3 宵闇は焚き火とともに
朝のうちに城下町を抜けた二人は、昼過ぎに近くの森の中に落ち着いた。
ユーニスは小川のそばに馬をつなぎ、荷物の中から城の料理長に渡された昼食を取り出した。
サンドイッチと水筒を渡されたラヴィニアは、不満そうな顔をする。
「温かいお茶が飲みたいわ」
「夜だけだ。休憩ごとに焚き火を起こしていては、足跡を残して歩くようなものだ」
「デザートはないの?」
「贅沢を言うな。話し方が直るまでは街には入らないからな。当分は野宿だと思え。
城を出たばかりだからまだ食料が豊富だが、これからはそうはいかない。食料の調達方法や野外調理の仕方も追々覚えてもらう」
「お尻が痛いの」
「そこの川に尻でもつけとけ」
ユーニスの返事は取り付く島もない。ラヴィニアはサンドイッチと水筒を草の上に置くと、小川へ行き服を脱ごうとした。
「待て待て待て! 本当にやるな!」
「だって、ほら見てよ。赤くなってない?」
ラヴィニアは、ぺろりと尻をまくってユーニスに見せる。ユーニスは咄嗟に目をそらしたが、ラヴィニアはまったく気にすることなく、腫れぼったいとか熱を持っているとか言った。
「……あんたには恥じらいってもんはないのか」
「?
お茶やデザートは我慢できるけど、痛いのは嫌だわ。なんとかしてよ」
「鞍に毛布を敷いてやる。尻は布を濡らして冷やせ。ただし、俺から見えないところでだ」
着替えや風呂を全て侍女に任せていたラヴィニアは、自分の体を見られることにまったく抵抗がない。ユーニスがなぜ見えないところに行けというのかわからなかったが、とにかく痛みをなんとかしたかったので木陰に隠れてお尻を冷やした。
「午後も馬に乗るのよね……。最初は楽しかったけど、もううんざりだわ。
はぁ……」
ラヴィニアはため息をついて膝をつく。小川でハンカチを冷やし直そうとしたら、がさっと近くの藪が動いた。
「もう出発?」
ユーニスだと思ったラヴィニアは顔を上げる。すると、目の前にするどい牙を持つ荒い息をした獣がいた。
「きゃああああ!」
「どうしたっ」
ラヴィニアの悲鳴を聞いたユーニスが駆けつけてくる。剣を片手に木陰に飛び込んだユーニスが見たものは、野犬に睨まれ震えているラヴィニアだった。
「ちっ」
ユーニスは鞘で野犬を払う。野犬は飛び退き、藪の中に消えた。
「犬ごときで騒ぐな」
「犬? あれが犬なの?」
ラヴィニアの知る犬はもっと小さくて、毛並みもきれいでリボンなどをつけていた。今見たのは、立ち上がればラヴィニアの背丈ほどもありそうな大きな犬で、ごわごわとした毛といい、鼻先にしわを寄せ牙を見せてうなる姿といい、とんでもなく凶暴な獣に思えた。
「まったく、先が思いやられるな。そろそろ行くぞ。立て」
ユーニスに言われてラヴィニアは立とうとしたが、足が震えてうまく立てなかった。
「ユーニス」
ラヴィニアは、ユーニスに両手を伸ばす。こういった場合、抱き上げてくれるのが当然と思ったラヴィニアだったが、ユーニスは迷惑そうに大きなため息をついたあと、片手をとってラヴィニアが立つのを助けただけだった。
「あなた、女の子の扱いを知らないの?」
「いつまでも王女気分では困る。手を貸しただけでも感謝しろ」
「……ほんと、嫌な奴」
ラヴィニアのつぶやきがユーニスには聞こえたはずだが、ユーニスは何も言わなかった。代わりに、早く馬に乗れと言わんばかりに手綱を引いてきた。
「私、お昼ごはんを食べてないわ」
「これ以上の休憩はいらない。馬上で食え」
「~~~~~っ」
ラヴィニアは、ぷうっと頬を膨らませる。ユーニスはそんなラヴィニアをかまうことなく馬にまたがると、とっとと先に行ってしまった。
「待って! 待ってよ、もうっ」
ユーニスがいなくては、道がわからない。ラヴィニアは置きっぱなしになっていたサンドイッチを手に取ると、お尻が痛むのを覚悟して馬に乗った。けれど、鞍の上に座っても、思ったほどの衝撃はなかった。
「あら?」
見れば、鞍に毛布がくくりつけてあった。そういえば、ユーニスは毛布を敷いてやると言っていた。自分がお尻を冷やしている間にちゃんとやっておいてくれたのかと、ラヴィニアは嬉しくなった。
「ユーニス! ありがとう!」
馬首をめぐらせユーニスの隣に並んだラヴィニアが言う。ユーニスはラヴィニアを一瞥すると、うなずきを一つ返して馬を進めた。
パチパチと、薪が爆ぜる。
一日中馬に揺られていたラヴィニアは、夕食をとって草の上に横になると、すぐにまぶたが重くなった。
ユーニスは、丸太に腰掛けて地図を開く。
「明日の午後には一つ目の湖に着く。あんたのご先祖はここを始めとして全部で五つの湖に立ち寄っている。順調に行けば一か月くらいで回れるだろう。その後サガルマータ山で銀竜の鱗を得たそうだ。どうやって鱗を取ったのか、具体的な方法は書かれていなかったそうだから、最終的には行ってみないとわからないな。銀の道というのが何を指し示しているのかわかれば……っと、おい」
地図に集中していたユーニスがラヴィニアを見ると、ラヴィニアはすでに寝息をたてていた。ユーニスは地図を置き、ずれ落ちた毛布をラヴィニアの肩にかけてやった。
「まぁ、一日中馬に乗るなんて初めてだろうからな。
音を上げなかっただけマシ、か」
ユーニスは、薪を小枝でつついて火加減を調節する。
柔らかな光が、森の片隅を照らしていた。