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昏黒鬼譚  作者: 谷村真哉
6/18

第二話(二)

すみません。一万字を超えてしまいました。

「ここが、げふっ、お前の暮らしているマンションか」

 

 げっぷをしつつクリーム色に塗られた外壁を見上げた笠場は、満足気に腹を撫でていた。

 ・・・鳳鳴軒のタンタンメンは少々高いが、値段分の味はした。特にオリジナルの辛味噌は辛い中にも甘さがあって、実にコクのある味わいと言える。


「で? お前の住んでいる部屋はどこだ?」


「三階の角部屋の、あそこさ」


「じゃあ、すぐ脇の外階段が・・・・・」


「そう。事故現場」

 

 ふむ。

 小声で頷きながら笠場は目を凝らしてみたが、特にそれらしいものは見当たらなかった。

 笠場の霊視能力は満足できる水準に達していないので当てに出来ないが。


「とすると死んだ上に化けて出てきたヒモ野郎は、手前の部屋に暮らしていたんだな」

 

 躊躇う素振りすらなく死者に鞭打つ笠場に、話を持ち掛けた立科の方が複雑そうな顔をしている。


“事故で死んだ隣人の声が、夜な夜な自分の部屋に聞こえる”

 

 立科の悩みごとは、そんな怪談じみたものだった。

 

 事の起こりは五日ほど前、隣に暮らしていた男性が外階段の踊り場で死亡していたのが発見された事だという。

 死因は頚椎骨折。階段を転げ落ちた衝撃によるものと思われた。

 それだけでは事件事故両方の可能性が考えられたが事件当夜、被害者が一人だったという複数の目撃証言や争った形跡が無いことから事故と判断された。

 

 ただし、事故と判断されるまで相当の時間が掛けられたのも事実である。

 一つには事故の直前、被害者が何かを叫んでいたこと。もう一つは被害者、竹中伸治(三十一歳)は表向きはサラリーマンだと名乗っていたが、実態は女性を食いものにしたチンピラだったことだ。

 

 その犯罪歴は長く、警察の調書に初めて名前が載ったのは十六歳のとき。恐喝行為の共犯としての補導だった。

 既婚女性に対して性的関係を持ちかけ、後にそれをネタに恐喝。実際に恐喝したのは暴力団構成員だったが、竹中にも相当量の現金が支払われていたらしい。初犯であることや未成年であることを考慮して起訴は見送られたが、竹中は反省するどころかますます狡猾になっていった。

 

 以降、竹中は詐欺、恐喝、薬物所持、売春教唆などで引っ張られたのは十回以上。

 確認されただけでも被害女性は三十名にも上り、未確認も含めると百名近くになると考えられたが、いずれも証拠不十分で逮捕に至らないか、至ったとしても不起訴処分に終わっている。

 

 その様な人物だけあって恨みをもつ人間も多く、殺人の可能性が濃厚だとして入念に捜査が行われたが、結局決定的な証拠が見つかることもなく、室内から違法スレスレの薬物が発見されたこともあって事故として処理されるに至った。


「はずなんだが・・・・」

 

 立ち入り禁止と書かれたテープも既に外され、西日が射し込み始めたそこは変哲のない踊り場でしかなかった。 しかし見下ろしているのは笠場のみ。立科は自分の部屋の前に立ったまま、覗くのも御免こうむるといった様子で顔を背けている。


「本当に声が聞こえるんだな?」


「ああ。死体が発見されてから二、三日たった頃から聞こえてきたんだ」


 ブルッと体を震わす。


「女に殺されたって・・・・・・・・」

 

 死体発見の翌日、まだ捜査が継続されていた最中、立科は中々寝付けずにいた。

 

 地方出身とはいえ、事件が滅多に起こらないような田舎から来たわけではない。空き巣などはむしろ都会の人間よりも身近な犯罪として警戒していたが、近所の住人が殺されたかもしれないというのは初めての経験だった。

 しかも被害に遭ったのは何度も逮捕されたという札付きのチンピラである。高校生のころですら補導された生徒が通っていた学校を、それだけで恐ろしい学校だと判断していたのだ。


 竹中を見かけたのは数回しかないが、その数回だけで関わり合いにならない方が良いと判断していた。とはいえ逮捕されたこともあるとは完全に予想外の事実で、立科も意識してない部分で神経質になっていたらしい。

 

 ガサリ ガサリ

 

 寝返りを打つ度に、部屋に散らばったゴミが耳障りに騒ぎながら、あちこちに動き回る。叱られることがないからと、散らかし放題にしていた結果である。


「うっとうしい!」

 

 堪りかねたように勢いよく跳ね起きる。パジャマとして使っているツナギの襟で煽ぎながら、周囲の惨状を見て溜息をついた。


「・・・・・テレビでも見るか」

 

 ビニールの袋にゴミを突っ込みながら、時計を確認する。

 今は1時を少し回ったばかり。窓の外を眺めればちらほら電気が灯っている部屋が見えるが、動くものは見当たらない。電車も終わって人通りも途絶え、それこそ囁き声でも聴こえそうなくらい、いたって静かだ。


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

 何か、聞こえた。

 

 いや、何も聞こえないのが聴こえた、と言うべきか。


 テレビをつけたまま消音に設定すると、音声は聞こえないのにテレビが点いている気配といったものが感じ取れる。それに似た聞こえない音が立科の耳に届いた。


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

 また聞こえた。

 気のせいかもしれない。そう考えてもやはり払拭しきれないのか、立科は不安そうな表情をしたまま、部屋の隅をひっくり返す。


「・・・・・・・やっぱり気のせいか」

 

 原因らしいものは見当たらず、一息ついた瞬間


『・・・・・・・・・・・・・・来るな』

 

 ビクリと体を震わせて、背後を振り向く。


 聞こえた。たしかに聞こえた。

 男の声だ。聞いた事がある声だ。

 でもそんな訳ない。そんな事がある筈がない。そんな事があってはならない。


 そうだ。

 聞こえたのか? 俺は聞いたのか? 本当に聞こえたのか? 

 もしかしたら恐怖心から聞き間違えたのではないか? 


 希望的観測に判断を委ねながら、立科は身動きを取ることすら放棄して硬直していた。


『・・・・・・・・・・・・・・来るな』

 

 再び声が聞こえた。


 やっぱり。

 やっぱりだ。


 会話したことなんて無い。

 でも、窓を開け放して毎晩のように大声で電話していた。

 すっかり聞き慣れてしまった、あの人の声だ。


『来るな。来るなよ。やめろ。やめろやめろやめろやめろ』

 

 バンッ

 

 堪らず部屋を飛び出す。


 逃げ出したのではない。逆だ。

 この声は部屋の外から聞こえてくることに気づいて、確かめずにいられなくなったのだ。

 

 温かい。


 夜気が肌に触れて思わず浮かんだ。深夜にもマンションの廊下の明かりが消えることはないが、こんな時間に出ているのは立科だけ。他の住人が出てくる様子は見られない。そして外階段へと振り向くと


「やめろよ、このおんなぁぁ! と叫び声だけが響いていたと」

 

 青い顔をした立科に、笠場は念を押すように確かめた。


「そうだ。その時は声だけが聞こえて、姿は見えなかった」


「その時は?」


「次の日、夢じゃないかと思って、もう一度外に出て確かめてみた。そしたら」


「死んだ竹中の姿が見えたのか」

 

 ふぅむ。

 頷く立科を横目で見ながら、低く唸る。

 縋るような友人の視線を柔らかく受け止めながら笠場は笑みを浮かべた。


「それでどうだ? 何をしたらいいか分かるか?」


「そうだな。オーソドックスだが、塩を使ってお祓いでもしてみようか。大家か家主が既にしたかもしれないが、もう一度試みる価値はあるだろう」


「そうか。じゃあ台所から持ってくるよ」

 

 慌てて立科は部屋に入っていった。

 笠場の言葉をあまり信頼していないようだが、しばらく追っ払えれば笠場にとって十分である。どうせ出まかせを言ったに過ぎないのだから。


「さて・・・・・」

 

 常に持ち歩いている四つの御守りの一つ、“無病息災”を取り出すと中で休息を取っていた彼に話しかける。


「ドクター」


『何かね』

 

 声と共に空中に姿が形作られた。

 日光の下では力を消耗するというのに、一分の隙もない出で立ちに姿を構成する。


「一部始終は聞きましたね。その上でアレをどう観ます?」

 

 その言葉と共にぞんざいに指差さされたアレとは踊り場付近で宙に浮かんでいる幽霊、即ち死亡した竹中伸治である。

 先日、笠場が屠った女性の霊とは異なり、その姿は生前の面影そのままではあるが、やはり正気を失って同じ言葉を延々リピートし続けているだけだ。


『あの様子を見る限り、強い恐怖を原因として死の直前の行動を再現しているに過ぎない。他者に対して明確な干渉を行える知性は発露していないことから、偶然以外に存在を維持する手段を持つ可能性は低い。時間経過と共に消滅するだろうから放置しても構わないだろう』


「あの程度の規模で、常人が継続的に視認できた理由は?」


『君の友人のケースか。推論の域を出ないが、おそらく距離、最高状態での認識、そして生前における接触の三つが原因だろう。

 

 第一に時間経過と共に消滅すると説明したが、それはつまり発生時が最大の規模を有するということだ。第二にあの個体は周囲に対して無作為に干渉している。一般的な条件下では、霊体の力の伝播力は距離に比例して低下する。死亡地点に最も近い君の友人が最も強い干渉を受けた訳だ。第三に生前における接触によって、死亡した人物への理解があった。

 彼自身も語っていたが、最初は何と声を掛けられているか認識できなかった。全く無関係な人物だったならば認識できずに終わっただろうが、君の友人は自身の保有する記憶によって、干渉を意味あるものとして変換してしまった。

 

 これらによって君の友人は、本来は接触不可能な存在を、強く想像することによって接触を果たしてしまった。

二日目以降の視認を可能にしたのは経験の蓄積によって、死亡した竹中なる人物は霊として現在も存在しているという認識を構築してしまったことが直接の理由だと私は考えるが』


 「つまり、最初に認識したのは不幸な偶然。翌日以降の認識は、幽霊がいるという立科自身の確信が原因であると?」


『簡潔に述べれば、そうだ』


「では原因の除去のみでは不十分ですね。むしろより重要なのは立科自身の認識の変換ですか」


『そうだな。既にして君の友人は見えるものを視る段階から見たいものを視る段階へと移行している。仮に原因である幽霊を取り除いたとしても、認識を変化させない限り霊の声を聞き、霊の姿を見るだろう』


「やはりそうですか。では具体的な方策は私の方で考えるとします。ドクター、有難う御座いました」


『うむ』

 

“無病息災”の御守りをしまうと、入れ替えに“家内安全”と縫い取ってある御守りを取り出し、振る。


『何か用事かい、坊ちゃん』


「ムッター。貴女向きの仕事を一つ頼みたいのですが」


『おやおや。こんな昼間から穏やかじゃないねぇ』

 

 言葉とともに樽を想起させる女性が出現した。幽霊ではあるが翻るスカートから二の腕の激しい揺れまで再現されている。

 とはいえドクターに比べると幾分陰影が薄い。


『干乾しにしたい奴でも居るのかい? それとも、妾の目が必要なのかい?』


「今回は目も必要ですが、メインは憑依です」


『誰に何をやらせる気かねぇ。非道いことしても良いけど、ちゃんとバレないようするんだよ』


「大丈夫ですよ。立科に憑いてアレを見せて下されば良いのですから」


『ふぅん。後で説明しておくれよ?』


「当然です」

 

 笑顔で頷き合うと、彼女は壁の中へと消えていった。

 待つこと数秒、ムッターに取り憑かれたことに気付いていない立科が、塩を入れたタッパーを抱えて出てきた。

 

 しかし笠場は敢えてそちらに顔を向けない。踊り場を注視したままだ。


「これでいいか?」


「いいと思うんだが・・・・・」


 わざと歯切れの悪い言い方をして、注意を引く。

 口元に薄い笑いが浮かんでいるが、俯きがちな立科の目には留まらない。


「なんだ?」


「お前が見た幽霊の格好ってのは・・・・・」


「言ってなかったっけ? 黒のスーツにブルーのワイシャツ、襟までかかる長い茶髪に」


「両耳で合計五つのピアスにチェーンのネックレス、か」


「どうしてそれを・・・・」


 立科の台詞を途中で奪った笠場に疑問の言葉が掛けられるが、笠場は答える代りに腕を真っ直ぐに伸ばして階段を指差した。


「竹中ってのはアレか?」


「へ?」

 

 指差す先を目で追った立科は間の抜けた返事と、

 

 ゴッ ガロン

 

 という鈍い音をほぼ同時に立てた。


「あ、あ、あ・・・・・・」


『やめろやめろやめろやめろ』

 

 相変わらず馬鹿の一つ覚えのようにやめろやめろと繰り返す竹中を見て、立科はパクパクと口を動かすが、そこから意味のある言葉は漏れてこない。

 

 ほほう。


 その有様を眺めながら、笠場は不謹慎なことに感心していた。

 人間は驚くと本当にあんな反応を返すことがあるのだな。タッパーが足の甲にめり込んでいたのに、痛みにまで気が回らないとはそこそこ面白い。


「な、なんでこんな時間に出て来てるんだよっ! いつもは深夜なのに!」


「さて、な。向こうにも都合があるんだろ」

 

 塩の入ったタッパーを拾い上げながら、日中から竹中は出ているよ普段は見えていないだけ今見えているのは俺が見せているから、といった言葉を呑み込む。


「ま、何にせよ・・・・・・」

 

 蓋を開け、塩を掴み取り、階段に足を進めながら立科に聞かせる台詞を準備する。


「とっとと成仏しろ!」

 

 バッ、と塩を投げ付けると共にムッターに立科から離れるように指示を出す。

 それを受けてムッターは灰色の瞳を冷たく輝かせながら立科への憑依を解いた。

 

 ムッターと呼ばれる幽霊の持つ能力の一つに憑依能力がある。一般に幽霊は人に取り憑くと言われているが、ムッターのそれは一つの特性として挙げられるほど高いレベルを有している。

 せいぜいが体調を崩すか精神に負荷をかける程度の他の幽霊とは異なり、彼女は自身の能力の付与や知識の伝達、不随意筋の支配までも行い得る。その気になれば自我を保ったまま肉体を操作することすら可能な程である。

 

 そして彼女は、或る能力に関連して霊視能力が極めて高い。今回は立科に憑依して一時的に霊視能力を与えていた。それによって普通は見る事の出来ない竹中を見える様になっていたのだが、既にムッターは立科の体から離れている。その結果、竹中の霊はそこに居るのだが、


「消えた・・・・・・・」


「みたいだな」

 

 塩がかかった瞬間に消え失せた竹中がいまだそこに居るかのように、事実まだいるのだが、見つめ続けている立科は茫然と呟いた。


「お」


「お?」


「終わったのかぁ・・・・・・・」

 

 気が抜けたのか、へたり込む様に廊下に座った立科は、そのまま更に地面に突っ伏した。

 その姿を見た笠場の目が一瞬険しくなるが、すぐさま打ち消すと片手を持って助け起こす。


「地べたで寝るものではないな」


「・・ごめん、笠場。何だかどっと疲れがでて・・・・・」


「無理もない。ここ暫くはろくに寝ていなかったんだろう。今日はさっさと寝るがいい」


「・・・・・わりぃ。お礼は明日以降な」


「うむ」

 

 疲れ切った上に右足が少し痛むのか、ふらふらと安定しない立科に塩のタッパーを渡すと、部屋に放り込む様にして扉を閉めた。

 鍵が掛けられた音を確認した上で彼女を呼び出す。


「・・・・・・・ムッター」



『御免なさいねぇ、坊ちゃん。ほんっの少しだけしか貰わないつもりだったんだけど、あの子が思った以上に疲れていて、ちょっぴり多く戴いちまったんだよ』


「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 笠場が彼女に向ける視線は険しい。

 笠場と四体の幽霊の間だけではなく、幽霊同士ですらそれぞれの人間性に対しての信頼は薄い。

 彼らを結び付けているのは純粋に利害関係のみであり、それすらも互いの監視外となれば何を仕出かすか分からないという負の信頼を抱いている。


 これは彼らの間に友好的な感情が無いという意味ではない。

 必要とあらば談笑している友人を笑ったまま殺せるような下衆ばかりが揃っているという意味である。

 

 今回は彼女の助力を得る代わりに、立科の体力の一部を彼女が奪うことを笠場は容認していた。

 しかしそれが想定量を上回ったため、笠場はこうして詰問しているのである。


「・・・・・まあ、いいでしょう。契約の中でも貴女は特に付帯条項が多い。それは能力を応用しやすいことの裏返しでもある。今回は構いませんが、今後は私の知人に憑依するときはあまり奪わないようにしてください」


『あいよぉ』

 

 愛想たっぷりに頷くムッターではあるが、その瞳はやはり人を人とも思わないような冷たい灰色に輝いている。


「それではさっさとアレの片を付けましょう」

 

 笠場の霊体の右腕が不気味にうごめくと、たちまちその体積が膨れ上がってゆく。

 その右腕を無造作に竹中へと向けると、つまらなそうに呟いた。


「面倒ですけど、ね」





「契約?」


『おうよ。ああ、ちょっと待て。どうせてめぇの事だ、色々と聞くつもりだろう。そーゆーのは俺以外の奴が説明する』

 

 目の前の老人以外か。

 おそらくはドクターと呼ばれていた個体なのだろうが、ここでの予想はむしろ害が多い。疑問点の予想ぐらい相手もしているだろうが、まず聞くべきことはこれだな。


「・・・・・まず責任者のあんたに質問させてくれ」


『ああ? てめぇの耳は飾りか? 俺以外の奴に聞けっつったんだよ』

 

 笠場から見て右側の眼が膨れ上がると共に、脇に構えていた古びた銃がミシミシと軋みながら縦に伸びてゆく。 緊張のあまり胃が痙攣しているのが感じ取れるが・・・・・・耐える。


「責任者に聞きたい。この契約とやらは断れるのか?」


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』


「答えてくれないのか?」


『く。くく。くくく。ひゃーはははははははははは! そうだ、そういう事よ! よく分かってんじゃねぇか! だからこそてめぇを選ぶ! だからこそてめぇは選ぶ! いいぜ、たっぷりと聞きな。何をやろうとどうせ決まったことだ。好きにヤルがいい!』

 

 一方的に捲し立てると唐突にその気配ごと姿が消える。

 だが、


『まったく・・・』

 

 次なる声は背後から聞こえた。

 眼前の老人に呑まれていた笠場は思わず首筋まで鳥肌を立たせ、すぐさま一回転してドクターと呼ばれていた声の主と向き合う。


『彼の無作法にも困ったものだ。質問を受けたのならば最後まで答えるべきだし、ましてや彼の行動は何の回答になっていない。だが・・・・・』

 

 独り言を呟くように宙に向けられたままだった視線が、笠場へと振り下ろされる。

 それは冷たいという表現の範疇を越え、さながら固くなって横たわる死体を眺める眼と寸分も違わぬものでしかなかった。


『彼の気持ちはよく解る』


「なぜ」


『君が有望だからだ。私達が用意するまでもなく、君に選択肢は無い。ただ、いつ行うかが問題となっているだけだ。だからこそ今は交歓の時なのだよ。存分に問い給え。適うる限り応えよう。これから始まる終わりを放棄した時間の最初の一歩なのだから』

 

 無表情ながらも高揚していることは確からしい。

 むっつりと押し黙る笠場へ、冷たく、しかし熱い視線が圧力となってが注がれる。


「・・・・・俺の名は笠場大という。あんたの名は?」


『これは失礼した。既に親より与えられた名は忘れてしまったが、今ではドクターと呼ばれることが多い。良ければ君もそう呼んでくれたまえ』


「ではドクター。あんたらは幽霊なのか」


『単刀直入な質問だな。しかし答える前に一つ確認したい。君は質問の答えに可能な限り是か非の二択を望むかね?』


「いや。自分の質問の目的が不明瞭である事は理解している。叶うならば質問を契機として周辺分野を含む知識の伝達を願いたい」


『私としてもそうした形式が好ましい。よって君の質問の意図を明確にする問いを私からも積極的に発することとしよう。

 それでは君の質問に対する回答だが現在の状態を指して幽霊と呼ぶのは構わない。しかし、幽霊なる概念を肉体を喪失した存在かと解釈するならばその通り、死者の保存と解釈するならばそれは違うと私は考える』


「解釈間の差異が発生する原因は?」


『死の定義だ。私達は肉体を喪ったとはいえ、当時の感情や知識のまま停止しているのではない。経験の蓄積により変化を起こしている。故に死を肉体の喪失ではなく経験主体の消滅と定義しなおした場合、私達は死者ではない。だから私達自身を呼称する際は幽霊ではなく、霊体と表現している』


「霊体か。俺もその単語を使わせてもらおう。ところで経験主体とは、いわゆる魂と同一か?」


『不明だ。生前、即ち肉体を喪う以前の状態を指すが、私は当時の社会の習俗に従って教会へと通っていたが、その宗教が考える魂とは信奉する神と不可分の関係性を有していた。しかるに現在の私の状態を観察すると、物理学に属する法則に近い性質を持っている。ならば現在の私達は未だ解明されていない事象に過ぎない可能性が高く、奇跡と表現される物理法則を超越した現象に類するとは考え難い』

 

 その言葉を吟味するように、しばし笠場は口を噤んだ。


「・・・・・神秘性を粉砕した意見だが、案外そんなものかもしれないな。では次の質問だ。契約の内容ならびに目的は?」


『内容は相互扶助。目的は私達にとって安定した居住空間の確保だ。話が前後するが、先に私達の体について説明しておこう。君は先ほどキャバルリーマンが変形したのを見ただろう』


「見たが・・・・・・あの老人の名はキャバルリーマンなのか?」


『ふむ、二度手間になってしまったな。私の名前について語った時に補足すればよかったのだが、統率者たる我々四名の霊体は各々が生前の名前を墓地へと置いてきた。君の好きなように呼ぶといい』


「了解した、と言いたい所だが、統率とは聞き捨てならないな」


『確かにそうだ。最初に話しておくべきだったが、私達は数十名に上る霊体によって構成される集団、霊団と呼称される存在だ。名乗る場面など滅多にないから忘れていたが、私達は“人の在り方を外れた者達の集団”という』


「長いな」


『様々な言語へと翻訳する際に基本となる表現だからだ。君の使う言語に翻訳したことは無いが、海を隔てた隣国においては“非人衆”と名乗った』

 

 ニイィ

 

 黙って聞いていた笠場の口の端が吊り上がり、ひどく嫌らしい皮肉気な笑みを形作る。


『何かね、その表情は?』


「いやなに、非人衆とはな。人に非ざる者達、か。なるほど、ぴったりだ」


『・・・・・・断わっておくが、君はその本来の意味をまだ目にしてはおらず、あくまでその根源への理解から誤解しているに過ぎない。

 さて、話を戻そう。霊体の存在の形式は肉体のそれとは異なり、意志による変化を可能とする反面、安定性は極めて低い。そもそも霊体は肉体という頑健なる器に収められてこそ安定する存在であり、肉体を離れた霊体は不断の消耗を余儀なくされてしまう。もしも霊力が尽きてしまえば、霊体は拡散して再び凝集することは不可能となる』


「拡散? 消滅ではなく? それに霊力とは何だ?」


『霊体の全てを司る“力”を私は霊力と呼んでいる。あるいは魂、精気、プネウマ、エクトプラズムと呼んだとしても構わない。世界に遍在し、霊体の思考を支え、その外形を構成し、その能力を行使する為に必要なる物質乃至エネルギーの事だ。

 霊体は意志することにより霊力を制御しているが、必要な霊力を満たせなければその意志は喪われ、単なる霊力の塊として世界に拡散する宿命を背負っている。それは水に落とされた氷が溶けるようなものだ』


「ちょっと待て。霊力は世界に遍在していて、霊体はその霊力によって存在の維持を行う。それは理解できるが、その状態から安定性を欠く理由が分からない」


『霊力は世界に遍在しているという事実と、それが均質に展開しているという事実は等号で結ばれるものではない。むしろ濃淡が激しく、そしてそれすらも恒常的な状態では無い。端的に私達霊体がその濃い部分に当たると言えば理解できるだろう』


「・・ふむ。水の循環を連想すれば良いか?」


『適当だ。特に自然現象として偏在を起こす一方で、その法に従わない集中を厭う面はそっくりだな。ただ、私達は単純な自然現象ではない。自らの意思でもって、霊力を取り込むことを可能にしている』


「結構千万じゃないか。俺を必要とする理由が何処にある?」


『それは君の方には私達を必要とする理由が有ると受け取っていいのかね?』

 

 フッ

 

 今度は逆にドクターが鼻で笑いながら、生意気な若造をいたぶりにかかる。


「・・・・・・想像と判断は現実に影響しない限り自由に行える」


『判断も含めるのかね、君は? 本質に由来するのかも知れないが、君はユニークな思考をするようだな。

 それはともかく、霊力を取り込めるといっても無条件ではない。それぞれの性質に適した状態の霊力しか対象とすることが出来ないのだ』


「そいつぁ、ご愁傷様」


『ゴシュウショウサマ。その言葉は何らかの不運に見舞われた人物、特に近親者との死別を経験した人物に対して使用されることを私は知っている、と言っておこう』


 見る者によっては楽しげなまでに、剣呑な空気を作りながら会話をする二人。

 最初の緊張感は掻き消えたように見せつけながらも、彼らの力関係は一向に変わらず、ただ狂った人格の赴くまま、仲を深めてゆく。


『・・・・・・・君との会話が面白くないと言えば嘘となるが、いささか本筋以外の言葉が多すぎるな』


「・・・・・・・・確かに。今後は慎む」


『では、続けるとしよう。先程氷の喩えを使ったが、理屈は同じことだ。自然界に存在する状態では霊力は様々な温度を保持しているが、個々の霊体が利用できるのは自身と同じ温度のみ。

 それゆえ比較的温度が安定し、しかも豊富に霊力が存在する場所では、その場に近い固有温度を持つ霊体が集結することになる。これが霊団の発生する初期条件だ』


「・・・・・もしかして、肉体を持っていたとしても固有温度は存在するんじゃないか?」


『その通り。察しが良いな』

 

 その言葉とともに、数十本の腕が笠場を取り囲む。

 

 ドクターが作り出した白衣の袖から、裾から、白い影のような薄っぺらな手が表れ、その全ては今にも笠場を引き裂こうと身構えていた。


『霊体にとって、霊力は多くの場合失う事しかできない。しかし肉体は持つ存在ならば、その生命が続く限り霊力を生み出し続けることが可能だ。故に私達は近い温度を持つ者から、類似した嗜好を持つ者から霊力を奪ってきた』


『それで死んじまったら、私らのお仲間になるだけさ』

 

 笠場の右手に新たな霊が出現する。中年の、大きな体を持つ女性だ。


『でもねぇ、今回は違うのさ。坊ちゃんは生きているのに、あたしらと何ら変わらない心を持っている。その温かい体から、氷の下に閉じ込められた水よりもなお冷たい魂が滲み出している。それがあたしらにとってはこの上なく気持が良いのさ』


『だから・・・・・・・・・契約だ・・・・・・・・・』

 

 今度は左手に霊が姿を現す。白い着物に、乱れた長い髪の男性だ。


『貴様の・・・・・・望みで・・・・・・渡せ・・・・・・・・・・』


『そっちの方がずっと簡単なんだよ、小僧。なーんも分かってねぇ奴より、てめぇがイカれていることを知ってる奴の方がずっと質の良い魂を寄こす』

 

 そして背後から再び声が掛けられるが、笠場はもう振り返らない。振り返らずに言葉を紡ぐ。


「それで? 俺のメリットは?」

 

 話す端から嗤いが零れて行く。彼だけではない。周囲の霊体は皆、隠しきれない嗤いを顔に浮かべている。


『そいつはてめぇ次第だ。てめぇが何を望んで、何をするかに掛かっている。・・・・・それじゃあ、小僧。てめぇは俺達と契約するか?』


「・・・・・・俺は小僧じゃねぇ。笠場 大って名前がちゃんと有るんだよ」

 

 だからこれからはそう呼べよ、くそ爺ぃ。

 

 寒気が大気に満ち満ちて、冷たい月の光が冴え渡る中、彼は彼らと契約を交わした。

 しかしそれはほんの形式的なものでしかない。そんな事をせずとも、きっと彼はその道を選んでいただろう。


 なぜなら彼は




「人殺し・・・・・・・」

 

 ふらふらと千鳥足のように歩きながら、月を眺めて家路を辿っていた笠場がぽつりと呟く。

 あの後大学に戻って寝付いてしまった立科の代返をし、更に立科の様子を見に行ったから普段よりも帰る時間が遅くなってしまった。


『何か言ったか、小僧』


「昼間に片付けたあの幽霊の事だよ、爺さん」


『ああ、あのゴミな。結局最後まで正気に戻らずじまいで、くそつまらなかったな』


「それはどうでもいいんだけどな」

 

 変わらずに月を眺めながら、昼間の事を反芻する。

 

 竹中はやめろと繰り返していた。それは自分を突き落とそうとする誰かに向けられたものだろう。


 しかし現場に残された証拠からは、加害者の存在は確認できなったそうだし、竹中ひとりだったという目撃者の証言もある。警察の見込み違いとは考え難い。だとしたならば警察の想定外の犯行だった訳だ。


『なにぶつくさ言ってやがる?』


「人を殺せるほどの意志と力を持った霊体がいるかもしれない」

 

 ボッ、と一瞬だけ笠場の目前で火の粉が散る。


『へへぇ。そいつぁ愉しみな話だな』

 

 言葉面こそ落ち着いているが、火の粉が忙しなく笠場の周囲を飛び回り、それはまるで死体に集る蠅のようだ。


『で、どうすんだ? 早速探し出してヤっちまうか。この前の奴はチャイニーズがほとんど始末しちまったからな。今度は俺の番だ。できることなら、燃やし甲斐のある奴だとイイんだが贅沢は言わないぜ?』


「・・・・・・・・・」

 

 笠場を煽り立てるカスターだが、当の本人は黙りこくったまま、月の光を浴びている。

 その姿から覇気は感じられず、むしろ眠たそうですらある。


「・・・・・・・ま、それはまた明日考えよう。探すといっても当てもないし、何よりもその女が人殺しなら―――」

 

 眺めるのではなく、月を睨みつけながら不意に全身から黒い気配を噴出させる。

 まともな者なら肌を粟立たせるような真黒な空気にしかし、彼に付き纏う悪霊たちはその身を宿す御守りから青く燐光を発して喜びを示す。


「俺に引き寄せられるだろうよ―――」



これで、ようやく三分の一が終わりました。

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