第二話(一)
話の切れ目がなく、長くなってしまいました。
読みにくくて申し訳ありません。
ンゴキュ ンゴキュ ゴプッ
「ふはー」
唖然とした表情に囲まれながら、笠場は空になった牛乳パックをテーブルの上に置いた。プラスチックの容器がパックに押され、かさかさと乾いた音を起てる。
ここは大学の一角に設けられたカフェテリア、に設けられた屋外席である。カフェの客以外も利用可能で、昼休みの今は昼食をとる学生で大変な賑わいだ。テーブルが足りなくて相席となっているのも少なくない。
にもかかわらず笠場は四人掛けのテーブルを独り占めしている。
店内から最も遠い、言いかえれば往来に最も近い席とはいえ、一人というのは許し難く思われるかもしれないが、ことこれに限っては笠場に罪はない。少なくとも悪意は無い。
単純に他の学生が怖がって近寄ろうとしないだけである。それだけ周囲を怖がらせること自体は問題が有るかもしれないが。
「よー、かーさばーー」
ただ居るだけで立ち入り禁止の標識となる笠場だが、そんな彼にどこか歌うよう様な抑揚をつけて背後から声が掛けられた。笠場は頭を振り向けて、声の主へと無愛想な視線を送る。
「昼メシ食いに行かねー?」
「悪いが丁度食い終わったところでな」
両手に容器を掲げて、振る。空っぽになった容器から、茶色の欠片がわずかに零れ落ちた。
「おいおい、二限が終わって十五分しか経ってないのに、何食ったんだ?」
「タイ焼きだ。5個300円でな。思わず2パックも食っちまったよ」
「うげ」
平然と申告する笠場に、胸焼けでもした様に舌を突き出す。
「よく十個も食えんなぁ。おまけに牛乳を一パック。お前、ホケカンに行った方がいいんじゃないか?」
「なんで飯食う度に、保健管理センターに行かなきゃならないんだ」
どうやら周囲の学生が驚いていたのは、笠場の昼飯に対してでもあったらしい。
申告通りだとしたならば、タイ焼き十個を平らげた上に牛乳一パックを飲み干したことになる。何かの冗談かと呆れるのも無理はないかもしれない。
「お前の方こそ、そんな所に突っ立ってどうした? 何か用か?」
「いやさ、相変わらず妙な格好してんなーと思って」
しげしげと眺めながら、感じ入ったように呟く。
笠場の服装は今日も変だった。
色落ちがほぼ満遍なく広がっているズボンは相変わらず。ダークグリーンのTシャツ? はそれほど傷んではいないが麻袋を服に仕立て直したような固い布地であった。
「さすがは仕込み暗器の笠場だよ」
「黙りやがれツナギマネキンの立科」
物騒なあだ名を呼ばれた笠場は間、髪を入れずに罵倒し返す。
しかしツナギマネキンと呼ばれた立科なる男性は、付近を歩く学生が思わず後ずさるような笠場の視線を浴びながら笑っていた。
二人は同じ学部に同じ年に入学した仲であるが、それ以上にウマが合ったらしく一緒のサークルにも所属している。彼らが呼び合っているのは、そのサークルの先輩に付けられたあだ名である。
笠場のあだ名はいつも暗色の、しかも大きい服を着ていることに由来している。暗器を仕込んでいそうな服、という訳だ。笠場の目付きの悪さも、この物騒なあだ名を後押ししているのではあろうが。
もう一方の立科正樹は交じりっけなしの日本人の筈なのだが、色素の薄い髪や小柄ながらも均整のとれた肉体とマネキンじみた姿をしている。
だがこれらの美点を遥かに凌駕する特徴が彼にはあった。塗装工が着ているようなツナギしか着ないのである。
仕事の関係で着ているのでもなく、笠場のようにボロボロでもないが清潔に保たれている分その奇妙さが強調されてしまい、ツナギマネキンという一般的には不名誉なあだ名を頂戴してしまったのだ。
「で? 本当に何の用だ?」
「相談したいことっていうか、聞いて貰いたい話が有るっていうか・・・・」
「随分と歯切れが悪い言い方だなぁ。だいたい話が有るなら『ダレ部』で話せばいいんじゃないか?」
「それも含めて、なんだけど・・・・・」
「ふむ」
元気の無い態度を疑問に思って、笠場は友人の顔を見つめ直す。
黒くなりかけている目の下や充血している白目。逆に顔色は悪く、どことなく浮腫んでいるようだ。
更に態度を加味すれば、悩み事が健康に悪影響を与えている可能性が高い。だとしたならば、だ。
「昼飯、まだだったんだよな?」
「え? あ、ああ、うん・・・・」
「よし、じゃあ鳳鳴軒に行こう」
「学校の正門前のか?」
「そうだ。あそこのタンタンメンが食いたい」
そう言いながらテーブルの上のゴミを片付け始める。
「お前の話でも聞きながら、な」
遡ること数か月。
思い出したように一台、また一台と通る車の音は、中々に風情を感じられた。少なくとも彼にとっては、だ。
同じ境遇の多くの者はラジオを聞いたり音楽をかけたりするらしいが、彼はそういった事は好まなかった。
別に嫌いな訳ではない。むしろ音楽は愛好するが故に、逆に聞き入ってしまって集中できなくなってしまうのだ。
だから彼はこの十二月の深夜、雨戸も窓も開け放ってベランダに座り込みながら月を眺めていた。
家全体が冷えてしまう為、家族からの評判は最悪だが、気分転換としてこれ以上のものを彼は持ち合わせていなかった。
そう、気分転換だ。一人呟きながら彼は自らの吐息が、沈みながら消えてゆくのをぼんやりと眺めていた。
寒さ対策に着用している手袋で、ベランダの手すりを擦ってみる。白く反射していた部分が指の動きにつれて消え失せ、月の光の中で黒く浮き上がった。霜だ。きっと今夜は零下を記録しているのだろう。
不意に激しい笑いの発作が彼を襲った。厚手の手袋と、やはり厚手の靴下を履きながら、わざわざ寒さを浴びている自分がひどく滑稽なことにようやく思い至ったのだ。
できることなら吹き出してしまいたかったが、こんな夜遅くに哄笑を上げたら、下手をすれば怒鳴り込まれ、そうでなくとも近所の評判となってしまうだろう。いくら受験生だと言っても深夜の行動がすべて許容されているのではないのだから。
深夜。その単語に再び彼の思考は引き戻される。彼は夜に良く馴染んでいた。そしてそれ以上に、夜に安穏を覚えていた。夜に浸っている時だけ、彼は自らの闇に心置きなく向き合うことができた。いや、向き合うという表現は間違っているかもしれない。
彼はその闇こそが自己の本質であることを確信していた。その闇こそが自己の中核であることを理解していた。本質であり中核である闇と、向き合うのもまた闇である。
同じ存在が向き合うことなど出来はしない。右手で右手を掴めないのと同じ事だ。
だが同時にそれが人間や社会にとって忌むべきものである事も、理解していた。故に彼はそれを他者に悟られることを怖れていた。彼自身の本質がどうあろうとも、彼は周囲の人間に対して一定の価値を認めているのである。果たしてそれがどのような価値なのか彼自身にとっても不明瞭ではあるが。
「やれやれ・・・・・」
両手を上にして背筋を伸ばす。疲労の原因は勉強時の姿勢ばかりではない。
むしろ日常的な擬態の方が主な原因だ。明確に理解して数年、漠然としてならば小学生の頃から、ずっと自己の本質を隠蔽してきた。
慣れたものとはいえ、時には肩の力を抜かないとそれこそ思いがけない瞬間に垣間見せてしまうこともある。だからこそ人気の無い時間帯を選んで、夜気に身を曝しながら意識的に表層へと浮かび上がらせている。
「寒いなぁ」
昏い眸を月に向けながら、倖せそうに言葉を零す。
寒さは静寂を呼ぶ。
寒さは孤独を呼ぶ。
そして、寒さは死を呼ぶ。
だからこそ彼は寒さを好んだ。静寂も、孤独も、死も、皆、彼の好むものである。皆、彼の闇に感応するものである。
「何てな」
自嘲気味に苦笑しながら彼は呟いた。
いい加減、馬鹿馬鹿しい限りだ。どうやら本気で疲れているらしい。
確かに彼の裡には闇が潜む。光など意に介さぬ黒が淀んでいる。だが寒さと比べられるような大人しい代物ではない。もっと獰猛で、おぞましいものだ。
「そろそろ寝るとすっかな」
再び伸びをした、そのとき
『人殺しの目だな』
不意に声が聞こえた。
「いらっさいませー」
日本語らしからぬイントネーションで迎えられる店、鳳鳴軒。お昼時にも関わらず店内に学生客の姿は少ない。・・・・スーツ姿は多いが。
大学の正門近くに構えられているとはいえ、対象としている客層は社会人としているこの中華料理屋は、むしろ従業員に学生が多い。
店主の意向により留学生を多く雇い入れているこの店は、賃金こそ安いものの豊富な賄いと従業員同士による外国語の教え合いもあって、バイト先としても人気が高いのだがそれは閑話休題。いま重要なのは、知り合いに出くわすことなく会話できる環境の方である。
「お二人ですか?」
おすたり、と聞こえる店員に頷き返し、店の奥の二人席に座る。
「俺は担々麺。お前は?」
「じゃあ・・・・Aランチ」
「タンタンイチに、エーイチ!」
「ヤー!」
少なくとも平仮名表記ではない返事が厨房から帰ってくると、店員は水を置いて新たな客の応対へと入口に行った。やはり切羽詰まった様子の立科の向かいに座りながら、笠場は今一度つぶさに相手の状態を確認する。
学内で声を掛けて来た時はまだしも元気そうに振舞っていたが、二人きりになった途端、下をむいて目も合わそうとしない。
緊張しているのではなく、そこまで気が回らないだけなのだろうが、好ましい状況とは言えまい。
「さて、お前の話というのは一体どんなのだ?」
「え、ああ。そうだな。ええと、どこから話せばいいのか・・・・・」
「ゆっくりと考えるがいい。どうせ三限に授業は入れてないし、そうでなくとも飯を食いながら聞くつもりだったんだからな」
傾けるようにしてコップから喉に水を流し込みながら、笠場は人を喰った笑みを浮かべた。
この男の場合、邪気の無い礼儀正しい笑い方よりも余程に人が良さそうに見えるのは、持って生まれた特質なのか、それとも今までの生き方に因るものなのか。
「ただ、そうだな。どう話せば良いのか分からないなら、それこそ先輩の言葉を思い出せばいい」
「順序立てればいいということではない。理解していることから話を起こすべきだ、か。・・・・いや、いざ自分が苦境に立たされると意外と含蓄のある言葉だってことが身に沁みるなぁ」
「伊達に歴史を積み重ねているサークルではないということだろう」
ようやく笑みが戻ってきた友人を眺めながら、笠場は静かに安堵した。
相談とはたいてい物事を客観視するためか、自分の行為に賛同を得るための行為でしかない。今回の立科は前者だった訳だが、この様子を見るならば八割方用事は済んだと観てもいいだろう。
タンタンメン一杯一二〇〇円(税込)は普段の昼食の五割増し、更にはタイ焼きと牛乳の代金も昼飯代として払っているのだから、貧乏学生にはいささか辛い出費ではあったが、友人の為ならば致し方ないか。
「・・・・・・・・・」
先刻よりは見た目建設的な沈黙をしている友人を眼の端で捉えながら、笠場は悩み事の内容を想定していた。
まだ四月の下旬。授業に戸惑っている様子は見られないし、課題は何も出ていない。人間関係では深刻な問題を引き起こすほど深い付き合いのある人物はまだいないだろうし、大学生とはそこら辺の自由さが魅力の稼業だろう。
これが恋愛関係になると完全に守備範囲外になってしまうが。
考えられるとしたら一人暮らしによるホームシックだろうか。詳しくは覚えていないが、地方から上京してこの大学に入学したと聞いている。その程度ならば俺でも何とか対応できるかもしれないな。
まぁ、そもそも、と立科の気を引かない程度に笠場は苦笑する。悩み事なんて相談はおろかした事すら無いんだが。
根が合理的というか計算高い上に、感傷を富める者の贅沢としか思わない笠場にとって悩むという行為は縁が無い。
基本的に即断即決。時間を掛けるとしたら考慮すべき要素が多い時か、あるいは暇つぶし。
悩んでいる余裕があったら他の用事に使い、後悔という機能は自分から削除したと公言している。そんな彼が相談に乗れることといったら、最近手に入れた能力に関することぐらいだ。
能力と言えば考えるべきことがあったな。考えを纏めるため黙りっ放しの友人を意識の外に追い出しながら、笠場も沈黙の底へと思考を堕としてゆく。
前回の狩りは中々に愉しめたが、期待を凌駕するものではなかった。遭遇も偶然でしかない以上、今後に多く課題を残したと言えよう。
ただ異なる二種類の干渉による活性化は有効との感触を得た。今後も活用しつつ、猟場の確保が急務か。安定した猟場の目星は或る程度付いているとはいえ、どこも遠方だ。むしろ情報網の入手を目指すべきか。
にしても腹減ったなー。頭を使うと空腹が促進されるのは、やっぱ気の所為じゃないよな。タイ焼きは甘くて美味いとはいえ油っ気が無いから満足感が薄いし、ここの担々麺は炒めた挽き肉がたっぷりと入ってて、なんか、こう、食い応えがあるって言うか・・・
「笠場」
「ぅおい!」
「わっ!」
傍から見たらコントのような反応を繰り広げる二人の大学生。
幸いにも店内の喧騒に紛れて、人々の注目を集めにすんだが、当事者達は激しい動悸に翻弄されていた。
「何だよ、一体!」
「お前こそ何だよ!」
「話が纏まったから、聞いて貰おうと思ったんだよ!」
「ああ、そうか・・・・・」
やっと纏まったのか。長過ぎて途中から本能の赴くままに妄想していたが、これだけ考えたならば過半は終わったも同然だろう。これで霊関係が驚きなんだが、まず無いか。
「すまん。俺も少し考え事をしていてな。ああ、勿論お前の話を優先するが」
「そっか。それで聞いて貰いたい話ってのは・・・・」
「おう」
「最近、俺の住んでいる所に幽霊が出るんだ」
「・・・・・・・・・・」
「いや、別にそれっぽい姿が現れるんじゃないけど、なんか不気味な声が毎晩毎晩してさ、それをどうにかする方法を知らないかって聞きたかったんだよ」
ああ、そう言えば―――
肩の重荷を降ろしたように饒舌に語り始めた立科とは対照的に、唐突な話題に思考を止めた表の意識の裏側で、笠場は変に納得していた。
本来相談とは、個人の手に負えない問題に対して解決法を周囲に問うという行為だったんだよな―――
そうして、うんと頷いた瞬間、
「タンタンメンとAランチ、おまたっせ!」
とテーブルの上に料理が置かれたのだった。
『人殺しの目だな』
不意に声が聞こえた。
「!」
瞬間的に身構え、周囲の気配を窺う。
自らが異端であることを理解する彼にとって、迫害は日常に存在する恐怖だ。であるからこそ擬態と共に察知能力が自然と発達してきた。しかし今の声の主の気配は感じられない。ならば
「幻聴か?」
確認するように発声する。
頭で考えるだけではなく、声に出して耳に聞かせることに一種の自己暗示を掛ける積もりだったが・・・・・
『幻聴ではない』
再び声が聞こえた。しかも前とは別の人間の声で。
「・・・・・・・・・・・・」
身を低くして、警戒態勢をとる。
顔から表情が消えて眠たげにすら見えるが、それは表面でしかない。脳内では不必要な思考を止めて、相手への即座の反応を準備している。
『大した小僧だぜ。俺らに声を掛けられて驚かねぇとはな』
『そうだな、キャバルリーマン。私達の宿主として好都合だろう』
『宿主以上だろうよ、こいつは。あんただってこいつの目を見ただろう。あんな目をした奴がまともなはずがあるわけねぇ。俺らと同類だ』
『そうだとしたならば、なおさら好都合と言わねばなるまい。私達の衝動を満たすことも、私達にとって必要な行動なのだから』
相変わらず声の主の姿は見えないが、声の出ている位置の大まかな見当は付いた。彼の頭上、天井スレスレの辺りだ。
同時に会話の内容も検討する。キャバルリーとはたしか騎兵隊のことだった筈。ではキャバルリーマンとは騎兵のことか。しかし、それ以外の話が見えてこない。私達。宿主。衝動。そして、同類。
『へへぇ、まだ動かねぇのか。聞こえてんだろ、小僧。殺したのは一人、二人じゃなさそうだな』
ぐっ、と圧迫感が額のあたりに生じる。顔を覗き込まれたか、あるいは手で触れられたのか。この時点で彼は目に見えない侵入者が存在するものとして、状況を理解していた。
それが一体いかなる存在なのか、という疑問は彼にとって意味を為さない。自分が体験している現実のみに即した、ある意味動物的ですらある彼の思考形式はこの謎の侵入者に困惑することなく、情報収集を優先した。
「・・・・・・・・人を殺したことはない」
『やぁぁっと喋ったと思ったら、殺したことはない、だと? けっ、この嘘つきが!』
『・・・たしかに真実とは思えない。しかし君は、私達が何者か疑問に思わないのかね? それとも姿が見えているのかね?』
成程。
何かは判らないが、こいつらは姿を持ち、かつそれを隠している自覚がある。そして隠している姿を見つけることが可能な人間、あるいは手段が存在すると。
「姿は見えない。が、疑問に思うには情報が足りない。ならば考えるだけ無駄だろう?」
問い掛ける様に、或いは当然の事を語る様に彼は無感動だった。
「ならば相手からの働き掛けに反応した方が、情報の入手に有利だ」
『くっくっく。馬鹿じゃねぇか、こいつ? 本気で言ってるんだったら、相当イカレてるぜ』
その声に含まれる嘲弄にも、夜気と共に部屋へと満ちてきた寒さも、どちらも認識の外へと追い出し、笠場はそれまでの会話で得た情報を整理する。
どうやら話しかけてきているのは二名。しかしこいつらが二体しかいないことの証拠ではない。
日本語のみで会話しているが、両方からリアクションが返ってくる。だが会話から感じ取れる教養レベルやキャバルリーマンといった呼称とは矛盾する。
会話は演技か? 可能性は捨てきれないが、そもそも聴覚器官に入力するというプロセスを経ているかどうかすら疑わしい。
それに、と思考の途中で一拍置いて、笠場は細く長く息を吐き出す。
現にこいつらの会話は使用している言語のレベル、即ち耳に入力されている状態では何を喋っているか、俺は理解していない。
かろうじて英語だろうという見当は付いているが、その内容は理解不可能だ。にもかかわらず俺は内容を理解して対話を試みている。理屈は不明だが、言語からのアプローチは無意味だな。
『待ちたまえ。接触してから数秒、彼は取り乱すことなく対応している。これは相応の評価をすべきではないか?』
悪寒。不意の、ではない。突然の声からずっと感じていたが、それが急に強まったようだ。これは評価に関連していると考えても好いだろう。何せひどく馴染みのある感覚なのだから。
「・・・・確かに、な」
『何かね?』
「確かに同類だよ、俺は。この悪意は俺も持っている」
『認めたか、クソガキ。で? お前は何人をどんな風に殺した? 十人か? 二十人か? 絞め殺したか? 刺し殺したか? お前だったら殴り殺すのも似合いそうだな。しかし何といってもサイコーなのは生きたまま燃やすことだ。もしかしてお前も燃やすのが好みか?』
自分自身の言葉に興奮するかのように段々と激してゆく老人の声。耳障りに聞きながらも、笠場の冷えた感情はわずかにすら動揺しない。共感を抱いていると思わせるための台詞でしかなかったが、老人からも似た計算高さが見え隠れしていた。
「何度も言うが、俺は人を殺したことはない」
『・・・・・くどいぞ、ガキ。てめぇのツラは殺しを愉しむ顔だ』
やっと、か。
無表情に固められた笠場の瞳にようやく感情の動きが見えた。やっと相手が本気を出してきた。
所詮いままでは遊びのようなもの。幽霊かなにか知らないが、声を掛けられた瞬間から底冷えするような恐怖を感じていた。だが相手は世間話でもするかのように振舞い、こちらを安心させようとしていた。
甘く見るな、とは言わない。しかし胡散臭すぎて、逆に不安を覚えてしまう。それならば、だ。総身に鳥肌が立っていることを自覚しつつ彼は考える。
悪寒や圧迫感とは桁違いの悪意が全身を隈なく包み込み、押し潰そうとしているイメージが脳内を往復しているが、こっちの方が落ち着く。
『まあ、待ちたまえ。真偽はともかく、そんなにも若者を苛めるものではない』
壮年男性の声がとりなすように響き渡り、笠場の体に掛けられていた荷重が軽減される。
『行動を観察する限り、君はかなり優秀な人物だ。自己の感情を制御し、正体不明の私達から情報を入手しようと姿勢は、未熟ではあるが相応の鍛練を自ら課してきた証左と受け取れる。だからこそ、君のそのつまらない嘘は不可解であり、不愉快ですらある。それとも隠された意図を君は持っているのかね?』
「意図もなにも、真実、俺は人を殺したことがない」
内心の困惑を現さないまま、彼は頭上に目を向けた。
『ふむ・・・・』
『ダクタァ、何をそんなに悩んでんだ? こいつの眼を見りゃ、一発だろうが。こいつは人殺しで嘘つきなんだよ。でもよぉ、それでいいじゃねぇか。それで何の不都合があるってんだ』
『・・・・・・・・・嘘つきが嫌いなだけだ、カウボーイ。信用できない相手と取引したばかりに私は銃殺の憂き目にあったのだから』
銃殺。
相変わらずの虚偽を視野に含めたとしても、物騒な表現だ。軍隊か占領下、もしくは独裁国家ぐらいなものか。
『それで・・・・・』
視線が向けられる感覚がする。あるいは視えたのか。
この場に、この空気に体が順応し始めているのかもしれない。
『可能性としては極めて低いが、もしかしたら君は本当に、殺人経験が無いのかね?』
「無い。何を根拠としてそう考えるのか理解できるが、この国の治安維持能力ならびに警察の捜査能力を考慮した場合、例え殺人を行ったところで無目的な通り魔以上の大量殺人は困難だ。そんなものの何が愉しい?」
『では殺人衝動、殺人欲求、ならびにその達成において殺人行為を含む願望を抱いたことは?』
「日常のことだ」
ヒュウ、と口笛が聞こえた。
笠場の答えを呆れたのか、認めたのか。
『どうやら嘘は付いていないようだよ、キャバルリーマン。彼は、この若者は、天性の素質と不断の鍛練によってここまで到達してしまったらしい。彼ほど宿主として相応しい人物は多くはない。決定は君が下すとはいえ、私は彼を推薦しよう』
『ぐだぐだ言ってたのはてめぇじゃねえか、ダクタァ。最初っから俺はこいつが気に入ってたんだ。なぁにが、推薦しようだ。気取り屋め』
フン、と不機嫌そうに鼻を鳴らす音が聞こえると共に、一方の気配が遠ざかり、そして宙に浮かぶ老人がゆっくりと姿を現した。
濁った瞳以上にその視線は汚れ、おぞましさを見る者に呼び起させたが、笠場にとってそれは決して不快ではなかった。
『さて小僧。突っ込むにしても股ぐらのモンだけにすりゃいいのに、鼻なんて余計なモンを突っ込みたがるモノ好きの居やがったせいで随分と遠回りしちまったが・・・・・・てめぇに話がある』
「なんだ」
零れんばかりの黒を瞳に湛えながら、笠場は頭上の幽霊を見下した。
老人の恐怖を打ち消す強い殺意を無意味に放っているが、老人は微風のように柔らかく浴びている。
『俺達と契約しろ。てめぇが俺達の居場所を寄こす代わりに、俺達はてめぇの力になってやる』




