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昏黒鬼譚  作者: 谷村真哉
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最終話(二)

『クソッ、クソッ、クソったれぇ!』


 沢村は人気の無い構内を無目的に飛びながら、無差別に“剄”、つまり霊力を込めた声を喚き散らし、無意味に長過ぎる腕で“剄”を叩きつける。


 その姿は死亡した当時の、見ようによってはあどけなくすら見える制服姿だ。

 

 学校を嫌っていた彼女の姿としてはそぐわないが、何の事は無い、この姿をしている沢村こそが一番ちやほやされていた、言い換えれば商品として最も価値のある姿だったのだ。


 そしてその事実に彼女自身は気付いていないのだろう。

 ・・・結局はそんな程度しかないのだ、貴様は。


『やっとあそこまで行ったってのによぉ!』


 彼女が叫ぶ度に、或いは枝が折れ、或いは土埃が舞う。昼間ならば大騒ぎになるこの光景も、こうも暗くては何かの見間違いにしか思われない。

 これが笠場の仕込みの一つ。そして二つ目の仕込みへと、沢村は無防備に突進して行く。


『畜生っ、畜生っ、ちくしょ』


 ザンッ!


 不意に、沢村の腕が切り離された。


 急激な肉体感覚の変化に沢村自身は前につんのめったが、斬り落とされた肘から先の部分は取り残された様に空中に浮かんでいる。

 だがそれも本体から離れては長く存在できる筈もなく、すぐさま宙に溶けて消え去った。


 生前の行為を模倣して思わず振り返った沢村はそれを数瞬、呆けたように見詰めてから、


『あがああああっ!』


 獣の如き咆哮が響き渡り、彼女を中心として砂や小石が円形に吹き飛ばされる。


『あた、あたしのう、腕が、腕がぁ!』


 肘から先は無くなっても、まだ身長の半分はある右腕を振り回しながら、沢村は悲鳴を上げる。

 その意識は自分の体が無くなったという事実のみに向けられていて、どうして無くなったのかという原因には向けられていない。


 その油断が、彼らはそう見做すが、彼女に次なる痛みを招き寄せた。


 タン


 幽かな音と同時に生まれた光が、彼女の腹部を貫通する。

 ほとんど意識のない部分にいきなり生じた灼熱と苦痛に、腕を無くした恐慌に支配されていた沢村の思考は戸惑い、驚き、そしてのた打ち回ることになった。


『あああああぁぁっ! なにが、なにが起こってんだよぉ!』


 幽霊になってこのかた、彼女は肉体(霊体)を失う事はおろか痛みを覚える事すらなかった。

 そもそも自らに痛覚が備わっている理解していたかどうか疑わしい。


 そんな沢村に突如として振りかかった現実は、元々大した容量を持たない彼女の処理能力の限界をあっさりと突破した。

 ・・・おいおい、正気を喪うにはまだ早いだろう?


「落ち着けよ、馬鹿が。頭の悪さだけで死ぬ気か?」


『グハッ!』


 かつて母親に放たれたのと同質の声が、量を数倍にして娘に叩きつけられる。

 複数方向からほぼ同時に叩きつけられた“剄”によって、沢村は空中で棒立ちに押し潰された。


 そんな自らの所業に何らかの感慨を抱いた様子もなく、声は更に続く。


「霊体は腕を斬られた位では消えない。それに痛みもほとんど無い筈だ」


 だからさっさと正気に戻れ。


 発言ごとに位置を変えているのか、声は一つとして同じ方向からは届かない。それどころか言葉に込められた“剄”が沢村に襲い掛かるが、その体に到達するよりも早く、復元された右腕によって防がれる。

 ・・・手間の掛かる事だ。


 更に無意味に伸ばされていた腕が元の長さに戻され、憤怒一色に染まった瞳が声の主、すなわち笠場大の位置を求めてせわしなく動き回っている。


『どこだクソガキィ! 姿を見せろぉ!』


「・・つくづく頭の悪い女だ。姿を見せる必要性が無いから、俺は姿を隠している。そこに文句があるなら自分で探し出して見せろ」


 そんな彼女と対照的に、またしても別の方向から響いてきた笠場の声には動揺どころか感情の動きすら見えない。ひたすらに冷然としたその声から伝わる感情は唯一つ、侮蔑だけだ。


「そして、それが貴様の役割だ。俺を殺したいのなら、或いは此処から逃げ出したいのなら、まずは俺を探し出せ。ただし、これはゲームだ。誰が」


 貴様を殺すか、というな。


 それを合図として、再び斬撃が沢村の居る空間を薙ぐ。


 繰り出したのは当然ながら刃。先刻と同じく、姿も気配も無い空間から突如として現れ、袈裟掛けに斬り下ろした。


『クソォッ!』


 その一撃に背中を半ば以上切断されながら、沢村は盲滅法に“剄”を込めた腕を振り回す。


『・・・・・・・』


 そんな攻撃が当たる筈もなく、刃は僅かに体を反らして避けた。

 更に戻す動作と同時に沢村の両手首を斬り飛ばし、そのまま返す刀で顔面を両断しようとした時、


『うおおぉぉっ!』


 咆哮と共に刃と沢村の間に炎が出現し、爆ぜる。


 それをまともに食らう様な刃ではないが、警戒するように距離を取るとそのまま姿を消してしまう。


『どこ行きやがったぁ!』


 消えた刃に向けて霊力をばらまくその間にも、沢村の斬られた背中も無くなった両手も復元してゆく。

 その姿は安藤の体から抜け出した時と変わらず、むしろ今の方が実体に近い存在感を放ちつつある。

 ・・・やはり、見事。それに比べて何と無様な。


『馬鹿にしやがってぇ・・・! テメェらなんぞまとめて殺してやるっ!』


 何の反応も無い事に業を煮やしたのか、一際大きく咆哮を上げると両手を脇に突き出して力を込める。掌には火の粉が浮かび、付近の温度が上昇しつつある事から、おそらくは全周に向けて炎を放つのだろう。

 ・・・こういった部分では期待していなかったが、ここまで程度が低いとは。


 本人だけは一生懸命な、しかし傍から見れば無防備なその光景に呆れ果てたのは笠場一人だけではなかった。


『馬鹿が』


 笠場とはまた別の、だが同じく侮蔑だけが込められた声が夜の一角から沢村に届く。

 簡単に挑発に乗った沢村が声の方へと勢いよく振り向いた瞬間、両肩に赤黒い炎が灯った。


『いぎゃぁぁあああ!』


 今までの攻撃とは異なり、継続して体を苛み続ける痛みに沢村が悲鳴を上げる。

 無意識のうちに傷ついた箇所の修復を試みているが、悪意が込められた炎はそう簡単に消えはしない。


『ボウズの言う通りだなぁ! こぉんな! 頭の! 悪い! 女は! そうはいねぇ!』


 短く区切った言葉ごとに新しく弾炎を撃ち込み、一度灯った炎は消えずに霊体を燃やし続ける。

 さほどの時間も掛からずに赤黒い炎は体の前面を覆い尽し、残すは顔のみ。


『最後は脳天だぁ! その何もねぇ頭をぶちマきやがれぇ!』


 それを終わりの言葉として、赤黒い射線が夜を貫く。

 あやまたず額に狙いをつけた弾炎が、沢村に着弾する直前に食い止められ、焼き消された。


 食い止めたのは沢村の腕。炎に焼かれる体から生えた、炎を掌に宿した腕だった。


『・・・バカに、するなぁぁぁ!』


 更に吼え声を上げて、全身から“剄”を噴出させる。

 

 爆風に押されて全身を包む炎が吹き飛ばされた。

 その下から現れたのは、肩口から一対の腕を生やした、計二対の腕を持つ少女の姿だ。


 しかし上の手は火を発し、下の手は自らの身長と変わらぬ長さと成人の頭すら丸ごと握り潰せそうな異形の代物。

 ・・・おお、いよいよバケモノ染みてきたな。


『どこだ、どこから撃ってきやがったぁ!』


 赤黒い弾炎の射手、カスターへ向けて四本の腕を広げて威嚇する。

 その全身には怒りと霊力が満ち、僅かにでも敵を捕らえたらすぐさま襲い掛かる態勢だ。


『言うかよ、馬鹿が』


 それを警戒もせずにカスターは攻撃を加える。

 再び沢村の体に赤黒い炎が点るが、今度は燃え広がることなくそのまま消えてしまう。


 一方の沢村は攻撃の来た方向にあたりをつけて一際大きな“剄”を撃ち出す。

 直線上に位置する木々が“剄”によって激しく揺らされるが、沢村の期待する悲鳴といった手応えは返ってこない。


『当たらねぇなぁ!』


『なら直接ぶっ殺す!』


 言うか早いか“剄”を追い掛け、矢の様にとびだす。

 ・・・欲求が解消できなかったらどう詫びようか? 何とかなりそうではあるが。


 一対の光を引き摺り、土埃を撒き立てて進む沢村の前に、また別の霊が姿を現した。

 何者かと疑問に思うよりも先に、その見下した視線が沢村の敵である事を如実に証明する。


『品性が低劣な者同士の会話は、無意味ではなく害悪だな。僅かなりでも知性を有するならば、その口を永遠に閉じ給え』


『てめぇも仲間かぁ!』


 白衣を翻し冷笑するドクターに、絶叫と共に勢い良く体当たりを仕掛け、その勢いを殺さぬまま上空に跳ね上がった。


 急激な運動ベクトルの変化に意識が追い付かず、きりもみのまま沢村は空中を移動する。

 ようやく自らの状態を把握し、自身の運動を制御したが、まだ混乱は収まっていないらしい。天地とは逆様に浮遊している。


 その姿に最近の記憶が刺激され、ドクターの口元がほんの少しだけ歪む。

 対象に対する効果的な干渉を思いついたのだ。

 ・・・幸運だよ、貴様らは。あと三日もすれば完全に忘れただろうからな。


『・・・・・ふぅ。これならばまだ母親の好意が持てたな。全く君は梅毒に脳まで冒されているのかね?』


 後方へと振り向き、いまだ態勢を整え切れていない彼女を挑発する。

 かなり時代がかった文句は通じなくとも、母親と比べられたという事実はそれだけで沢村を激高させ、再び攻撃へと、それも今まで以上に強烈な戦意を伴った攻撃へと走らせる。


『その口を、二度と開かせねぇ!』


 頭を地に向けたまま沢村は“剄”の込められた怒号、火球、突進による刺突の三段構えで眼下に佇むドクターへと襲い掛かる。


 本命は突進による刺突。先行して放たれた怒号と火球の着弾点はずらされており、一方が避けられたとしても、もう一方が必ず足止めをするようになっている。


 しかしこの戦法が通用するには、相手の回避が前提となっている。そもそも回避するまでもない攻撃だったのならば、これは単なる突進でしかない。

 ・・・貴様の攻撃が通じる? 本気で思っているのか?


『全く君は梅毒に脳まで冒されているのかね?』


 一字とて違わずに同じ言葉を繰り返しながら、ドクターは手を大きく広げる。

 すると二本の腕だけではなく、白衣の袖からも紙のように薄っぺらな腕が何本も這い出て、自身に向けられた全ての攻撃を弾き飛ばし、


『あっ、がっ、ぐ? 何、何よこれぇ! 何が起こってんのぉ!』


 沢村の体の中に突き刺さって、空中に縫い止めた。

 それを単なる物体として観察しながら、ドクターは沢村の悲鳴に応える。


『君に理解できるとは思えないが説明しよう。人体に骨格が存在していることは君程度でも知識として持っている筈だが、霊体もまた内部に骨格を構成してしまうことは知らないだろう。本来必要無い器官ではあるが、肉体と同時に無自覚に再構成してしまうようだ』


『うぐぐぐぐ』


 更に仰向けへと体勢を変え、掴んだ各部を内側へと寄せる。

 沢村の霊体がアーチを描くように変形し、有る筈の無い骨格が激痛で沢村を満たす。


『いま私は四肢を繋ぐ関節部分のみを固定している。そのため君の体は仮想的に構築された脳からの命令を受領しても、実行は出来ない状態にある。例えば上腕骨と肩甲骨を繋ぐ・・・』


 更に具体的な医学用語を駆使した説明を得々と語るドクターを無視し、沢村は必死で拘束から逃れようとする。


 その筋力は筋肉の断面積から求められる範囲、言いかえれば常識や人間の範疇から既に逸脱していることに彼女は気付いていない。

 ・・・・死んだ筈の幽霊が必死とは、滑稽な。


『あああああああああ!』


 絶叫しながら更に力を込めるその姿に、白衣の悪霊は不快気な視線を送る。


『君が求めたからこその説明だというのに、静かに聞く程度の礼儀すら守れないのかね。それと』


 無理に動くと君の関節は破壊されるだろう。


 その忠告と沢村の全身のあちこちから鈍い音が響くのは同時だった。


『あぐぅがぁああ!』


 獣染みた絶叫を上げつつも拘束から逃れた彼女は、一瞬で壊れた部分を復元し反転。

 彼女を再び縛りつけようとする幾本もの腕を掻い潜りながら、眼下のドクターへと接近しようとする。


『肉体の維持能力が上昇しているのか、或いは意識における骨格の比重が低下しているのか・・・・』


 じりじりと距離を詰めつつある沢村を無視し、目の前で起こった現象について分析をするドクター。


 目前の憎悪に対する軽視と受け取った彼女は、


『あたしを無視するなぁ!』


 炎を放って周囲の腕を焼き払い、もう一対の腕で頭蓋を叩き潰そうと振り上げる。


 が、


『愚かな』


 直前で袖から新たに這い出てきた腕に食い止められる。

 その腕を振り払おうとする間に、再び四肢、いや六肢を拘束されてしまう。


 だが彼女の表情に焦りは無い。


『どっちが・・・・』


『何かね?』


『どっちが愚かかって言ったのよっ!』


 沢村のセーラー服の一部、脇腹の部分から一対の鉤爪が飛び出す。

 その鉤爪は自身を拘束する腕の全てを引き裂いた上で、ドクターを突き殺そうと迫る。


 しかしドクターの顔には焦りも驚きも浮かばない。


『無論、君だ』


 そう言い捨てたドクターの姿が、沢村の視界の中で急速に下降して行く。

 

 それが自分自身の上昇の結果だと気付いたのは、耳元で囁かれる知らぬ女の声によってだった。


『やんちゃなお嬢ちゃんだねぇ。あんまり暴れると、落としちまうよ?』


 その声色は優しげながら、万力のような力で沢村の頭を締め上げる。


 使っているのは片手だけだが、その大きな手は沢村の後頭部を包み込み、指は頭蓋に食い込んでいる。

 そのままもう少し力を込めれば、沢村の頭を握り潰すのもそう困難ではないだろう。

 なにせ今でも、頭を元の大きさよりも一回り小さくしているのだから。


『い、いぎ・・いぎぁ・・・』


 苦痛のあまり、沢村の口から意味を成さぬ言葉が零れる。

 生身の人間だったら行動不能になってもおかしくはない激痛の筈だが、そこは幽霊。四本の腕で背後のムッターに攻撃を加えようとする。


 しかしながら、その攻撃は全て無駄でしかない。


 背中を取られている沢村は知りようもないが、現在のムッターの姿はひどく朦朧としている。

 輪郭はぼやけ、陰影もはっきりとしていない。簡単に言えば流体か、密度の高い霧といった所だ。


 霊力の込められた攻撃や“剄”の塊をぶつけられるならともかく、単なる霊体による干渉など痛くも痒くも無い。どころか獲物の活きの良さに、冷たい灰色の瞳に歓びが浮かぶ。


『こんな元気なら少しばかり吸い取っても平気さね』


 頭を締め上げていた手を離しながら、両腕を前にまわして沢村を羽交い締めにする。

 別に腕一本でも沢村を拘束することなど容易いが、獲物の悲鳴を聞くために、敢えて頭を自由にしたのだ。


 ムッターの体が燐光を放ち始めると、それに呼応するように沢村の体も光を放つ。

 それは濃密な霊力を脳が視覚的に処理したもの。本来ならば沢村の意識によって制御されているそれらは、ムッターにより分解、吸収されてゆく。

 ・・・そして、このまま消え去る。なんてやめてくれよ?


『か、はっ、体が、体がぁ・・・・・』


『ほれほれ、意識を喪うにはちと早いんじゃないかい?』


 必死に抗うが確実に霊力を奪われ、霧散してゆく沢村。

 手足が完全に消え去り、残るのは胴体だけだが、それすらも薄れつつある。


『あ、ああ・・・あ・・・・』


 やがて声も小さくなり、抵抗するだけの霊力も喪って残された上半身からも力が抜ける。


 もはや意識も残っていないのか、吐息のような悲鳴を虚ろな顔から洩らすのみ。


「・・・終わり、か」



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