第三話(六)
『・・・・・・・』
そのままするすると解けてゆくと、姿も戻さずに御守りの中に戻ってしまった。
後に残ったのは眼鏡を掛けた反欠けの生首が一つ。
・・・さっさと準備を終わらせろって事か。
「貴方は佐久間さんですか?」
『・・・・・・・』
「もしもし。私の声が聞こえていますか?」
『・・・・・・・』
あさっての方向に視線を向けたまま返答をしない。
刃の様に無口などではなく、単純に思考能力が既に存在しないのだろう。
やれやれ、と笠場は溜息をつくと伸ばしっ放しの霊体の一部をうねうねと動かし・・・生首に突き刺した。
『!・・・!・・・!』
無言ながらも今までとは違う反応を返す首だけの霊体。
おそらく全身が有ったのならば激しく痙攣しているのだろうが、首だけの今現在は安っぽい玩具のようだ。
「もしもし? 私の言葉が分かりますか?」
『だ・・いだい・・・あづいぃ・・・』
「はい、もう一回」
再びビクン、ビクンと激しく揺れる首を、笠場は心なしか愉しげな、それでいて酷く冷めた目で観察しながら十秒数える。
「で? 今度こそ私の言葉が分かりますか?」
『痛い、痛い! これを止めてくれぇ!』
「ふう。やっと話せる状態になりましたか」
腕の霊体を元に戻し、佐久間の悲鳴など意にも介さずに冷徹な目で体を作り出しつつある幽霊を観察する。
・・・・結構な量の刺激を与えにもかかわらず、四肢の末端部分の再構成までには至っていない。所詮この程度と観るべきか、それともここまでと観るべきか。
『あ、あんたは一体・・・・。いや、何なんだよ、これぇ! 一体俺はどうしたんだよぉ!』
「・・・黙れ」
『ひっ』
思考を邪魔された事と、声そのものが耳障りだった事に由来する殺意を込めて黙らせる。
が、自身の当初の目的、つまり情報収集を思い出し、笠場は胡散臭い丁寧な笑みを顔に張り付けて改めて状況を説明する。
「あなたは既に死んだ人間、つまり幽霊です。色々と聞きたい事が有るので一時的に復活して貰いましたが、あまり無駄口を叩くと人格を壊すので悪しからず」
『じ、人格を壊す・・・?』
「ええ。先程の五倍の痛みを悲鳴が上がらなくなるまで流し続けます」
『・・・・・・・・』
穏やかな、人当たりの良い笑みを浮かべている筈だが、なぜか佐久間はさきほどよりも一層怯えた表情をしている。
・・・・もっと人格に強度があればムッターの能力で自我を制御できるのだが。
「で、まずは最初の質問なのですが、あなたは佐久間満生さんで間違いありませんね?」
『あ、ああ。俺が満生だ』
「では佐久間さん。あなたは御自分が亡くなられた時の記憶はありますか?」
『い、いや、覚えていない。ってか、俺はホントに死んでるのか?』
「死んでます。では、一番最近の記憶は何ですか?」
下らない質問は一言で切り落とし、さっさと本題に入る。不満そうな顔は一睨みで消えた。
『最近・・・・。俺が覚えているのは天井だ』
「天井?」
『・・そうだ。天井を見ていると周りが熱くなっていった。なのに体が動かない・・・。動かない・・・・! い、嫌だ! 俺は死ぎゃ!』
「はい、落ち着いてー。正気のままで居てくれれば痛い思いはしませんよー」
死亡直後の記憶が戻り錯乱しかけたので、再び刺激を与える。
今回は正気に引き戻すだけなので、一瞬だけだが。
『あ、ああ、分かった。分かったからそれは止めてくれ』
「それは貴方次第ですよ。しかし火事の時の記憶があるというのは妙な話ですねぇ。貴方は部屋の中央で亡くなっていたそうですから、意識のない状態だったと考えられていたのですが」
『んな訳ねぇ! そもそも俺の部屋に燃えるようなモンなんてほとんど無かったんだぞ! そうか! あのアマだ! あのアマがやったんだ!』
「アマって誰のことです?」
『決まってるだろ! 竹中が引っかけた』
ビクン! と痙攣して佐久間の言葉が中断する。関係のありそうな単語がようやく出てきた事に思わず反応してしまったのだ。
・・・・先程より強い衝撃だったんだがな。反応が薄い所をみるとそろそろ限界か。
「今、竹中と言いました? 女を食い物にしている、あの竹中ですか?」
『ああ、そうだよ! そうだ、思い出して来た。あのアマは竹中の金蔓の一人だよ』
「そもそも貴方は竹中と一緒に何をしていたんですか?」
『釣りだよ、釣り。あいつは顔が良いだろ? で、バカな女が引っ掛かったらホテルに連れ込むんだよ。そこを俺が写真で撮って、後で金をせびってたんだ』
ひどく下卑た表情に相好が崩れる。と少しでも格調を高くしようとする試みも、実際に顔が崩壊を始めていては無駄な足掻きだった。鼻や耳といった部位が消え、そのかわり口や目といった意識がよくいく部位が巨大化する。
・・・・最初から無理があったということか。
だから崩れかかっていることを教えない。
どうせ使い潰すだけの道具に、そこまで費やす道理も理由も無い。
せめて最後まで使い切れるように調子よく合わせる。
「中々に効率の良さそうな稼ぎ方ですね」
『だろ、だろ? あとさ、女の中には彼女気取りの奴もいるのさ。どうせ竹中にとっちゃ全部同じなんだけどさ。で、そいつらに客取らせて今度は男の方の写真撮って、その筋に渡すと幾らか俺も貰えたんだよ』
「へぇ。では貴方が言っているアマというのも・・・・」
『そうだ。竹中がやっぱり引っ掛けた女で、色々と誤魔化してたが中学生ぐらいのガキでさ。やたらと金目のモノを欲しがるんだが、それ以上に変態オヤジ共に高値で売れてたから、竹中がよく手入れをしてた。あとさ、笑えるのはそいつのお袋も竹中に入れ込んでたんだよ! 仲が悪いくせにスる時の反応はそっくりだってさ! ホントにバカな親子だよな!』
「それはそれとして、その中学生の名前覚えてますか?」
『あ? なまえ・・・名前・・・・・リコ、いや違うな。・・・・リョウコ、これも違う。確かリが付く名前だったんだけどな・・・・・そうだ! リョウ』
『右側後方』
短い警告に即座に反応し、佐久間の霊体を振り回して盾とする。すると、
バヂュン!!
水風船を地面に叩きつけた様な、空気を震わせない音を残して佐久間は崩壊、霧散する。
その残骸の最期を意に介さず、笠場は攻撃が来た方向に満面の笑みを向けると、そこに立つ人物ににこやかに話しかけた。
「おやおや、これは思いもよらぬ再会です」
そうは思いませんか、安藤さん?
その言葉とは裏腹に、安藤の突然の登場にも笠場は一切の驚きを見せない。
どころか前回の態度を一変させて、実に親しげに接している。
しかし今度は逆に、安藤が友好的とは言い難い空気を放っている。
また以前に会った時のようなおとなしさが薄まり、胸元にはおそらく宝石をあしらったものであろう大きなペンダントを下げている。
「余程急ぎの用事だったようですが、肩で息をするほど疲れてしまうのはいささか不作法にも感じますよ?」
「・・・・・・・」
「それにいささか化粧も濃くなったようで。正直に申し上げて、貴女の顔にその口紅の色は少々不釣り合いに映ります。それこそ」
場末の安っぽい娼婦の様ですよ?
笠場の罵倒に安藤の目が大きく見開かれる。
その瞳の中に制御されていない怒りを見た瞬間、笠場は即座に後方へと飛び、
バウンッ!
直前まで笠場の居た空間に炎が生み出される。
時間にして一秒に満たない程度だったが、幻ではない証明として、余熱が笠場の肌を刺激する。
同時に荒い呼吸を繰り返していた安藤が、立ち眩みでも起こしたかの様に態勢を崩す。
笠場は助ける素振りすら見せないが、背後から現れた別の人物が倒れるのを防いだ。
「また会いましたね、笠場先輩」
「ええ。また会いましたね、衣司さん」
笠場には予想できた事態に予想された人物の登場だったが、それは向こうも同じらしい。
意識を喪っている安藤を両手で抱えながら、衣司薫は学校と出会った時と変わらぬ微笑みを向けて来た。
「奇遇ですね」
「奇遇です」
同じ言葉を互いに口にする二人の表情は、やはり同じ。
しかし春の陽気にそぐわぬ寒々しい空気が、二人の間に漂っている。
「今日は安藤さんの依頼の件で動いていたんですが、まさか安藤さん自身と出会うとは思っても居ませんでしたし」
ましてや貴女が来るなんて予想だにしていませんでしたよ。
互いに嘘と承知の台詞は単なる牽制。裏に透かす意図は、すべて見通しているという恫喝。
「そうなんですか? 今日の調査については、姉を通じて稀姫さんに話をされていたと聞いていたので、てっきりそういうつもりだと私は考えていましたが」
「そうですか」
「そうです」
受ける言葉にて笠場のささやかな矛盾を指摘し、恫喝を気付かぬ振りで黙殺する。
そして二人は再び微笑みを顔に作った。
「笠場先輩こそこんな場所でどうされたんですか? 確かにこのアパートは沢村さんの翌日に火災があった場所では有りますし、なぜか昨日の夜にも火事があった場所ですが」
今回の件に関係があるとは思えませんけど。
彼女の攻撃は正面から。
依頼への背信を暗に問い、この場から去るように詰め寄る。
それは安藤を背中に隠し、不要な場所まで立ち入らぬように防壁を造るため。
「いえいえ、そんな事はありません。沢村さんがどうして竹中の事を嫌悪していたかの理由はまだ分かっていないので、関係の有りそうな所をしらみつぶしに調べている途中でしてね。もしかしたら沢村さん親子の死亡については竹中が関係していたかも知れません。そこで調べてみると当時のこの部屋に竹中らしき人物が出入りしていたという話が聞けたまででして」
「そうですか」
「そうです」
その意図を見抜き、笠場はやすやすと彼女の攻撃をいなす。
加えて繰り出された一言は、彼女の築いた防壁を突き崩して陣へと押し入った。
それは彼女の次撃を限定する嫌味な一手。衣司の選択肢はここからの撤退か、自らの身を曝す攻撃のみ。それを承知の上で、二人は三度微笑みを・・・・形作らない。
ふう。
溜息を一つ付いて薫は安藤を座らせた。
その表情は冴えないが、今までの作り物の顔と違って生き生きとしている。
特にその瞳はこんな時でさえ、鳶色にきらきらと輝いていた。
「・・・・もう止めませんか」
「私は愉しいですよ」
心底から疲れたと言わんばかりのその言葉に、笠場は心外そうな声を上げる。
それが演技では無く、本心からだと理解すると一層疲れた顔を彼女はした。
「先輩の目的は一体何なんですか? はっきり言わせて貰いますが、あなたの行動は不審すぎます」
真正面からの質問。
その姿を見て笠場は間違いに一つ気付いた。衣司薫という人間は、俯かずに真っ直ぐに正面を向いている顔が一番魅力的だ。
そうと分かっていたなら、腹の探り合いなどせずに真っ向勝負を挑んだ方が愉しかったかもしれない。
・・・・ただし、正々堂々は俺の流儀では無い。
「直球ですねぇ。でも決して嫌いじゃない。ただまあ・・・・」
先に自分の手の内を見せるってのが礼儀だと思いません?
相手に伝わらない事を理解しているが、それでも好意や敬意の表れとして人を食った笑みを浮かべ、まずは彼女に譲歩を要求する。
「私の手の内・・・?」
「そう。目的を尋ねるなら、目的を」
「なら簡単です。私は稀姫さんの為を想って行動しています。彼女は私達家族の大切な友人ですから」
「安藤さんの為ですか・・・」
善意や友愛といったものが動機として相応しくないとは笠場は考えていない。
更に偽善では無くそれらを動機に出来る人間いるとも考えている。
なにせ彼のような人間が平気で呼吸しているのだ。その逆サイドが居たとしても不思議では無い。
しかしそれらを本気で言い切れる人間は少ないだろうとも考えている。
対象との親密さや問題の程度、そういったものであっさりと横に置かれるのが善意だ。
とくに何らかの指示に従って動いている時には。
さて彼女はどうかと、笠場が目の奥を覗いても曇りは見られない。
逆に迷いの無い瞳に笠場自身が戸惑いを覚えてしまう。
・・・頭が悪い訳でもなければ、感情に引き摺られている様子もない。つまるところは矢張り、ということなのだろう。
「ふぅむ。シンプルかつ力強い返答。誤魔化しのない良い動機ですね」
素直に讃えたのだが、薫は馬鹿にされたと受け取ったらしい。その眼が険しくなるが、それはかえって肌理の細かい白いおでこと、鳶色の瞳を際立たせた。
・・・これからも機会が有るなら、彼女を怒らせてみようか。
「私は手の内を明かしました。次は先輩です」
「私の直近の目的は安藤さんの依頼の達成ですよ。で、直近では無い方の目的は色々とありましてね。取り敢えずは安藤さんの害になる様な事は含まれていませんが」
「・・・・・・・・本当ですか?」
当然の事を口にされ、笠場は下手に肩を竦める。
そのおどけたような仕草にも、薫の眼から険しさは取れない。
「ええ。周囲の人間に無用の害を及ばすのは、私の主義に合わないので」
「・・分かりました。誤魔化しの多い信用しにくい返答ですが、私と先輩の目的は衝突していないんですね?」
仕返しをされて笠場は苦笑を浮かべているが・・・・・・いま言われた事の真意を彼女は理解しているのだろうか?
この男は“周囲以外の人間ならば害を及ばす”と“周囲の人間であっても有用ならば害を与える”と言ったのだが。
「まぁ、摩擦位は有ると思いますが。何よりも、こんな事を仕出かすのがその辺をうろうろされていると迷惑この上ない。そうは思いませんか?」
親指を立てて、アパートの残骸を指差す。
その無作法な振る舞いに、彼女の眼が更に険しさを増すが、笠場は意に介さない。
どころかその真剣な眼差しに微かな昂揚を覚える。
・・・良い眼だ。金でもって購う事が出来無いものの一つは、間違いなく、強い意志。
「・・・・そんな言い方は、ないんじゃないですか」
「ですが、貴女もこの事態は問題だと思っている。そうでしょう?」
「・・そうですね。少なくとも当面は、先輩の事よりも心配すべき事があるようです。だから今だけは先輩に協力しましょう」
「それは重畳。では、私はこれで退散します。安藤さんは貴女にお任せしますが、それで宜しいですね? 私が居ると落ち着かないでしょうから」
「ええ。任せておいて下さい」
睨み付けるような薫とは対照的に、笠場は胡散臭い微笑みを顔に張り付けている。
そのままの表情で軽く一礼をすると、足早にその場を去り・・・・・・五分も過ぎた頃だろうか、不意に声が掛けられた。
『止まれ』
「監視は?」
『見当たらねぇ』
そう言いつつ、頭上から笠場の前に降り立つように姿を見せたのはカスターである。
不動産屋の男性に接触する以前から、上空にて周囲を監視していたのだ。
「で、どうだった?」
『ああ、てめぇの予想通りだ。丁度てめぇがチンケな霊を締め上げ始める少し前ぐらいから、あのアンドウって女ともう一人の小娘が近づいて来てたぜ。その後ろに男が二人。アンドウが急に走りだして小娘を振り切ったときにゃ、男共と小娘が一緒になって相談してたからな。あいつらぁ手ぇ組んでんぞ』
「男ってのは、どんな感じだった?」
『よく分からねぇが、素人じゃ無かったな。俺に気付けたとは思えねぇが、一応は警戒しなきゃならん雰囲気だった』
小さく頷くと、ポケットから“無病息災”の御守りを取り出し裡に宿る存在に話しかける。
「だ、そうですが、ドクター。どう思われます?」
『君の推測通りだったという訳だ』
『おいおい。てめぇらが何話してっか全然分からねぇぞ』
『・・・・ここまで聞いていて理解できないのかね?』
『殺るか』
宙に浮かぶカスターよりも高い位置に頭部が来るように肉体を構成したドクターに、少しずつ長さが伸びている銃が突き付けられる。
歩み寄る気など全く持ち合わせていない二人に、笠場は割って入るようにして説明した。
「爺さんが見た男達はな、恐らくは霊体を相手にしている組織の人間だろうよ。そんで小娘の方は組織に属しちゃいないが、何らかのつながりがあるんだろうさ」
『そりゃあいつらの様子を見てりゃ、仲間だってのは分かるが何で小娘が一味じゃねぇって言えるんだよ?』
またぞろ見下した目付きをするドクターと、今度は言葉より早く炎を撒き散らし始めたカスターの二人に、今度は笠場も本気で怒りを発する。
流石にやり過ぎたと思ったのか二体の幽霊は手を引いて、ドクターは問い掛ける様に笠場に確認する。
『組織の一員としては行動が独自判断に過ぎると君は考えているのだな』
「そういう事です。そう錯覚させる様に行動している可能性も否定しきれませんが、ま、安藤の為に動いていると
いう言葉に嘘はなさそうですし、何よりも今日の様子を見ると、そろそろ食べ頃だとは思いませんか?」
問い掛けの形をした命令に、二人は静かに賛意を示した。