第三話(四)
第三話第二幕です。
残り一幕で第三話は終了です。
「来るとしたら、今日か明日か・・・・」
緊張を顔ににじませながら、衣司薫は窓の外と時計に交互に目をやった。
早くも人気が無くなりつつある校舎の、しかも特別教室もない三階の端ともなれば、他人に見られることなく校門の出入りを監視できる。
昨日の打ち合わせでは、姉の香住と稀姫が笠場に話をするのが午後二時ごろ。話が最短で終わったとしても、この学院に着くころには放課後になっているはず。
「おそらく学院の図書館を利用するはずだから、その時に接触しろって、ずいぶんと無茶を言ってくれるなぁ・・・・」
今日もまた溜息をついて、薫は渋々ながら来るかどうかすらも分からない人物を待ち続ける。
もう練習は始まっているが、今日と明日については休むと伝えておくべきだったろうか?
こうして笠場が来るのを監視しているのは、彼女自身の意志ではない。言うなれば交換条件としての労働だ。
この仕事と引き換えに稀姫の為の助力が約束された以上、薫は断ることなどできなかった。
昨日のことである。
一人きりになった薫はある番号に電話をかけた。用件は稀姫の抱える悩み事への協力、の根回しのためだ。
本来ならば電話一本で力を貸してくれるような相手ではない。
しかるべき手続きを踏んで、はじめて話を聞いてもらえる。そういった立場の人で、しかも未成年者である薫には、その手続きすら困難でもある(この辺りの事情が、出来る事なら力を借りたくないと思う原因の一つ)。
だからといって、バカ正直に手続きが済むのを待っていたらいつになるか分からない。
そのための根回しだったのだが、この一件の一部始終を話したところ、思いもよらぬ言葉が返ってきた。
それが笠場大という人物の調査に協力すること。
どういった理由からかまでは教えてくれなかったが、この調査に協力すれば薫の依頼を特例として引き受けるという話だった。
もしもそれだけなら、かなり破格の条件といってもいいかもしれない。
本当にそれだけならば。
「・・・・マズった、かな。ま、決めたことを後悔してもしょうがない。問題はどうやって話を運ぶか、ね」
いささか無理矢理に気分を入れ替えて、今後の行動を考える。
おおまかな指針なら昨日の時点で説明されている。
簡単に言えば、相手の警戒心をできるだけ煽る事。
そのためには、こちらの存在を多少チラつかせてもいいし、学校の一件を持ち出してもいい。
「その上での反応を報告せよって言ってたけど、もし来なかったらどうしたいいんだろ? 一応は色々と準備をしといたんだけど―――」
当然と言えば当然の疑問を薫が抱いた時、校門に奇妙な服装の男性が姿を見せていた・・・・
「あら、笠場君。最近よく来るわね。でも大学の方が蔵書は充実しているでしょう?」
一般の利用者用の入口に姿を見せた笠場に、眼鏡をかけた司書教諭が声を掛ける。
図書館の中なのに、と思われるかも知れないが、笠場がいま居る場所はまだ図書館の内部ではない。
傘立てや下駄箱が置かれているこの場所は、外部利用者の為の窓口だ。
ここで利用手続きを行ってから、改めて図書館の中に入って目当ての本を探す。
そういうシステムになっているのだ、この学校の図書館は。
「今日は地方紙の縮刷版を見に来たんです。それも五、六年前の。大学だと全国紙は置いてあっても地方紙となると置いてなくて」
「そうなの。縮刷版は辞書類と同じ棚、倉庫の前に置いてあるから目当てのものは自分で探してくれる? あ、あと分かっているだろうけど、貸し出し禁止だからコピーするなら一声掛けて。じゃ横積みだから気を付けてね」
笠場の名前が記入された利用者台帳を受け取り、再び手元の書類に視線を落とした教諭に軽く一礼してから、笠場は本棚の列に体を滑り込ませた。
『本当に調査をする気かね?』
「そのつもりですが、ドクター。何か疑問が?」
下の段に積まれた分厚い縮刷版の年代を一冊ずつ確認しながら、率直な感情が込められた声に応える。
『
ああ、疑問だ。確かにあの場で殲滅することは君にとって不利益が多いだろう。しかしその後の行動は肯定しかねる。君がそうと望めば今夜にも攻撃してきた霊体を吟味できただろうに』
「確かに。ですが、今後を望むならば何らかの広報活動が必要です。竹中程度など広まったところで害にしかなりませんが、この一件を解決すれば宣伝効果は期待できます」
『それが理由かね?』
「それに、まあ、私なりの美学といったところでしょうか。私自身の好みとして、出された料理は可能な限り喰い尽します。それこそ肉の一筋どころか軟骨まで削り落す。だからといって、食卓を汚すのは品が無い。綺麗に食事をする為なら、多少の手間は厭いません」
『そうして我々は容易く得られる果実を諦め、益があるか疑わしい情報を求めて彷徨っているわけだ。君の美学とやらは、君の行動における合理性の限界として作用しているな』
「それが何か問題で?」
『まさか! それこそが我々の、我々たる非人衆の証明だ。何にも拠らず、ただ己一人をもって自らの由となす。君は間違いなく我々の同朋だ』
「御褒めに預かり、光栄至極」
笠場は死者と戯れながら、沢村親子が死亡した年の記事が収められている本を、痛めぬよう注意しながら取り出す。そしてその場でページを捲って日付を辿る。
『その理解を踏まえて、なおも問う。君の行動の理由は本当にそれらだけかね?』
「そうですね、今まで述べたのは嘘ではありません。ですがそれらに勝って何よりも―――」
ようやく探していた記事を見つけ、閲覧席に移動しつつドクターに説明する。
見る者がいないからこその素の感情を浮かべ、外道の心情を吐きだす。
「もっともっと遊びたいんですよ、私は。今回の獲物があの安藤という人形の言った通りの人格とは到底思えない。あれだけの力を持っているからには、何かしらやっている筈。きっと痛めつければさぞかし愉快でしょう?」
ドクターはその言葉に心底納得し、友愛の情に基づく賛辞が贈られる。
『君もつくづく救いがたい性の持ち主だな』
「ま、あなた達の同朋ですからね。さて、これから例の死亡事件について調べるのですが、協力してもらえますか」
『構わん。だが我々の中で充分な教育を受けたのは私と君のみ。しかも私は君の使っている言語は不案内だ。通訳を求める』
「つまり今の会話と同じ形式で思考すれば良いのですね」
『そうだ』
「では、時系列に従って確認します。十一月八日にアパートから出火、母娘二人が死亡と記事に載っています。この時点では事故か事件の判断は付けられていないようですね。次いで九日。放火の疑いがあり・・・?」
『アンドウという少女の話に、そのような事実は無かった』
確認でも助言でもなく断定かい。相手に伝わらない形で考え、苦笑する。
・・・流石はドクターだ。自分が間違えている可能性など微塵も無く払拭している。
「記事の内容によると九日夜、つまり二人が死亡した翌日にまた火災があったようですね。同じくアパートの一室から出火し、こちらは男性一名が死亡と書いてあります。また死者の出た火災が二日続いたことから放火の可能性も書かれていますね」
『日付以外での関連性は?』
「この記事だけでは何とも。・・・ですが十日になると八日の件は無理心中、九日は事故と書かれていますね。その判断の理由は安藤親子の遺体が逃げようとした形跡が見られない事、もう一件は出火場所が室内だったとなっています。以上の事実から関係性はないと司法当局は判断したんでしょう」
『だがその判断は我々を拘束しない。直接的な事象は問題ではなく、タケナカという男とどのように関わったという事実と、あの規模の力を持つに至った―――』
『おい。お喋りに熱中するのはてめぇらの勝手だがな。気ぃ抜いてると首からナイフが生えるぞ』
調査中の索敵を役割としていたカスターから声が掛けられ、二人は即座に相談を止める。
「爺さん、敵か?」
『おうよ。隠れちゃいるが、こっちを見ている奴がいる。殺るか?』
「まさか。ここで殺したら問題が多すぎる。まぁ、得物を持っていたら皮一枚の所で止めてくれ、ドクター。もちろん皮の内側でな」
『正当防衛を装わねば痛めつけられぬとは、不便な立場だな』
それきり会話を打ち切って体内に潜む。
笠場も傍目には記事を追っているように見せているが、全ての感覚を周囲に散らして警戒する。
此方を窺っている人物はすぐに分かった。書架の並びに身を隠しながらも、影の位置までは気が回っていない。
音の反響の仕方も最初に椅子に座った時とは異なっている。
少し経つと足音が聞こえてきた。軽く、小さな足音。
「ちょっとすいません」
掛けられたのは笠場の期待通りの声。
聞くのは今日で三回目だが、抑制の利いた良い声だとやっと気付く。
ささやかながらも好感を持ち、もう一つの目的へと体ごと振り向いた。
・・・彼女の為に高校まで出向いたのだ。
「おや、こんにちは。衣司先輩の妹さん」
「こんにちは、笠場先輩。今日はどんな御用ですか?」
「先輩から紹介された、安藤さんの件を調べていましてね」
やっぱり、と言わんばかりの笑みを衣司薫は浮かべる。それに応じる様に笠場も笑みを形作った。
「やっぱり先輩だったんですね。あの時は誤魔化されましたけど」
「申し訳ないとは思ったのですが、何をしたかなんて普通の人に言っても信じて貰えませんから」
「確かにそうですけど、笠場先輩だと思ったから話しかけたんですよ?」
既に安藤から聞いていた情報ではあったが、笠場は改めて自分の裡に驚きの感情が撒き上がるのを確認した。
・・・・非人衆の気配はほぼ確実に絶っていた。その上で見抜ける能力を持っているのか。
「なるほど。それは済みませんでした」
「安藤さんについても笠場先輩なら大丈夫だと考えたから姉さんに話したんですし」
「おや? どうしてですか?」
「どうしてって、学校に居たあの人は、沢村さんのお母さんですから」
「ああ、そうでしたか! いかんせん娘さんの方は写真で知っていましたが、お母様となると存じ上げなかったものですから」
「あれ? でもその新聞には沢村さん達の顔写真も載っていますよね」
その通り、と肚の底で薄ら寒い笑みを浮かべながら、笠場は内心で彼女の疑問を肯定した。
ただしそれは今開いているのとは別のページ。つまり彼女は写真が載っているという事実を以前から知っていたという事だ。
「でも私が会った時は亡くなられた時の姿だったので、気付きませんでした」
「ああ、そうだったんですか。でも、そうですよね。見えるからって必ずしもこういった事が得意とは限りません
ものね」
彼女の言葉を聞いた途端、笠場は瞳の奥に鈍い光を一瞬宿し、すぐさま打ち消した。
・・・問題は事実ではなく、ここでこれを伝えた意味。単なるミスか、それとも、な。
「調べ物の邪魔をしてしまって、申し訳有りませんでした。正直に言うと私の方には他にも考えてる方法があるので、姉の頼みとはいえあまり無理をしないで下さいね」
そこで一礼すると、衣司薫は同好会の練習があると去って行った。
後ろ姿からも均整の取れた肉体、よりも筋肉の動かし方を意識していることが視える。
・・・傍証ではあるが、また一つ上積みされた訳だ。
更に数秒、他の人間の気配を入念に探ったのち、ドクターが口を開く。
『・・・・・意見を』
「小娘の目的は分かりません。が、安藤の為だけではなさそうですね。私が今日来ることまで予測できていなかったとしても、恐らくは網を張っていた可能性は高いでしょう。沢村の母親か安藤に関する情報を求め、私が学校を訪れる様に姉を誘導しているかも知れません」
『他には』
「姉と比べて高い霊能力を持っています。ただし姉が隠蔽していないならば、という条件が付きますけど。そして何らかの組織とつながっている可能性がありますね」
“見えるからって必ずしもこういった事が得意とは限りませんものね”
笠場は先程の言葉を反芻する。
それが小娘自身を安易に一般化したものなのか、それとも小娘の知る能力者全てに当てはまるかは不明だが、どちらとも取れる言い方だった事こそが、最も気になる点ではあった。
「特に私に対する干渉は組織の指示による可能性が高そうです。で、それに関連して質問が二つあるのですが」
『何かね』
「一つは霊視に関して。形態に依存せず基本となる身体を霊視できる能力はありますか?」
『ある。我々の中に所持しているものはいないが。どの様に認識しているのかは不明だが、意志によって構成される肉体とは別に生前の姿を視る能力者は遭遇したことがある』
「そうですか。では母親を焼死体以外で視たとしても矛盾はしませんね」
小娘の発言はやはり絞り込めない、と。予測通りだから落胆はしないが。
共有しない形式で笠場は思考する。
彼らは共同体ではあるが、意識までは一体化していない。
どんな形であれプライバシーは重要である。とくに意志と行為が直接的に関係する霊体にとっては。
『もう一つは?』
「貴方達を怨んでいる連中、消したがっている連中ってどの位います?」
『基本的に襲撃してきた存在は全て迎撃、活用してきた。しかし逃れた者も数は少ないが居る。また先に話したよ
うに我々を敵視、あるいは利用したいとする集団は多い』
これに笠場はしばし黙考する。
以前に聞いた話では、非人衆を含め百年単位で存在する霊体が複数存在する。
また人間に由来しない霊体や、生物学から逸脱した物理体をもつ存在とも遭遇したことが有るという。
しかしそれらが現在の社会において広く認知されていない事から、管理や対処する存在が想定できる。
また沢村良子が竹中伸治を殺害できたように、霊体を使用しての犯罪行為を欲する集団も十分に考えられる。
問題は小娘の背後に居る者達の性格がどうなっているか、だ。
管理側だったならば俺達を看過してくれるとは考えられない。反社会的だとしても、笠場大という個体と非人衆の間に結ばれたような関係性を持つ事は難しそうだ。
何にせよ、小娘からこれ以上の背後関係を推測するのは困難だな。
運動訓練は受けているかも知れないが、いまいち素人くさい。
組織と接触しているかも知れないが、一員ではなさそうだし現時点では考えるだけ無駄か。
「予想は出来ましたが、役には立ちませんね」
『で、どうするんだぁ? 今回はてめぇの好みで動いテンだから、てめぇで仕切れや』
「取り敢えず、その死んだ現場に行くとしよう。もう一軒の火事も関係があるかもしれねぇし」
カスターへの返答として形だったが、ドクターも賛同の意思を送ってくる。
「それにしてもあの小娘・・・・」
俺があの女をどう始末したか聞いて来なかったな。
ぼつりと呟いたとその瞳は暗い。
或る意味ではそれが一番気懸かりではあった。
笠場が何者か、いや何なのか理解した上での態度だったのか。
ならば衣司薫という人間は決して侮れない。
「まあ、良い。良いさ・・・・」
愉しみは多いに越したことはないのだから。
五人の内、誰かの呟きに一斉に嗤い声が応える。
たった一人しかいないのに、百人以上の声なき声で。