№9
桐生 淳二。そう告げた目の前の彼。
玲子おばさんの息子だと名乗る彼は、嬉しくてその気持ちを表した私に対して、
ひきつったような笑顔を返してくれた。
それでも喜んでくれているように見えたのが私はとても嬉しかった。
本当に久々に自分の名前を呼ばれた事が嬉しくて、
ここが日本だと言う事も忘れて目の前の彼にハグをしてしまっていた。
両親にきつく止められていたハグ……。
日本人は欧米人のようにスキンシップが苦手だから、
決して軽はずみにしてはてけないと言われていたのに…。
習慣ってそんなにすぐに直るものではないのよね…。
とにかくこっちに来るまでの間、ハグとキスは禁止だときつく、きつく言われ続けていた。
ただ…、一瞬彼の腕が私の身体に巻きついてきたとき………。
その優しい温もりが安心できる場所のように思えて………、…………。ドキッとした。
淳二 「ところで……、どうしてこんな遅い時間に出かけようとしていたんだ…。?」
俺は…、背中にまわした腕を解くこともできずに、
そのまま腰の辺りで止めて上半身だけ異常に彼女から離れたかたちで問いかけていた。
見上げてくる瞳にちょっときつく言っている自分にも気がついていた。
理沙 「念願の車がやっと手に入ったのに…。まだ一度も運転した事がなくて…。」
信じられない言葉が彼女の口から出てきた。
ちょっとまてよ…、初めて運転するのに……、京都かよっっ。
彼女がナビを操作できない事に心底安心した俺がいた。
淳二 「無謀すぎる。」
俺の言葉が理解できないのか、首を傾げて見上げてくる。
理沙 「ムボウ…? 何?」
淳二 「あのな、お前みたいな奴の事を言うのさ、無計画、考えなしに行動する事だ。わかったか。」
ムッとした顔で睨みつけてくる。その後、くるっと後ろを向いた。
理沙 「だって……、ずっと…、一人で……。退屈だったんだもん…。私だって…、出かけたりしたいのに……。」
小さくつぶやくような声が聞こえてきた。
俺はいつのまにか彼女の背中から彼女の顔を覗き込むようにして顔を見ては、
普段の俺なら到底言わないような言葉を彼女にかけていた。
淳二 「今から…、ちょっと行くか? ただし、京都は無理だ。」
頭の上から彼の声が聞こえてきた。振り向き見上げたそこにはちょっと気まずそうな彼がいた。
照れたように頭に手をやり、それでも気遣うような視線が嬉しかった。
淳二 「うわわぁぁーーー、止まれ、止まれ、頼む、おい、止まれ。理沙っっ。」
キーーーーッと言う嫌な音がして理沙が車を止めた。
俺は彼女が女の子だと言うのも忘れたように強い口調で怒鳴っていた。
淳二 「お前、免許持ってんのかよっ? 俺を殺すきか? 」
しれっと当たり前のように彼女が言い放った。
理沙 「勿論、免許証見る? これでもむこうでは普通にパパやママの車を運転していたんだからね。」
何故か得意げな彼女が居た。俺は一気に怒りが萎えていく。
淳二 「もっと小さな車にしたら良かったのに…。なんでこれなんだよっ。あぶなかしくって俺が持たないし…。」
ぐったりとした様子で彼が私を見ている。
その彼の疑問に答えるべく私は父の言葉を彼に教えた。
まあな……、確かに…。その父親としての気持ちは俺にもわかる。
こいつはあまり人前に出ないほうがいいような気がする。
そうだよな……。やたら見栄えが良いってのも……、考えもんだよな…。
変なとこで納得した俺はさっきから俺の言葉を待っているのがものすごくわかる理沙に眼を向けた。
淳二 「お前の父親は、日本の交通事情を知らないからな……。道路は狭いし…、車は多いしな…。二度と乗るな。」
その俺の言葉にあきらかに不満な様子の彼女が口を尖らせて行く。
理沙 「ヤダ、車で大学に通うもんね。それが夢だったの…。」
淳二 「無理だな…。絶対無理だと思うな…。犠牲者が出る前に諦めろ。」
理沙 「この車で日本を横断するもんね。アメリカでは無理だけど…。日本列島は制覇できそうじゃない?」
淳二 「あのな、俺の周りにそんな事した奴は一人も居ない。狭いようだけどこれでも結構広いんだぞ。」
黙って下を向く私に彼がこう付け加えた。
淳二 「とにかく運転変われ。もう少し安全なところでかわってやるから、そこで練習でもするか?」
ニッと笑った彼。その次に大きな手が私の頭をくしゃとなでた。
理沙 「うん。」
笑顔で答えた私だった。