№25
まだ薄暗い夜が完璧に明ける前の静けさの中、車内に小さなアラームの音が鳴った。
彼の大きな手がそれを探す、やっと見つけた携帯の時間を確認しては隣の彼女に眼をやった。
まだ眠りの中の彼女は起きる気配すらない。
彼は、そんな彼女をそっと引き寄せていく。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
眼を閉じじっとそのまま彼女を抱きしめていた。
もうそろそろだな…。起こすか…。
淳二 「理沙…、理沙…。」
んんー、と声を漏らす。
そんな彼女に笑みがこぼれてくる。
淳二 「理沙…、日の出を見に行くぞ。」耳元で囁く。
皺を寄せた眉間、そのあと、ゆっくりと眼を開けていく。
もう目の前の彼に彼女は一瞬大きく見開くようにした。
軽い頬へのキスの後、ゆっくりと彼の首に腕をまわす。
理沙 「おはよう…。ジーン…。」
いちいちこの濃厚な挨拶は日本人の彼には辛い。
それでもやっぱりこたえてしまう彼であった。
彼女の背中に腕をまわし同じように、おはよう、という。
流石に頬へのキスまではしなかった彼であった。
そのまま何事もなかったように起き出した彼女、そのあまりにも普通さに笑ってしまった彼。
淳二 「水道があるとこまで行くぞ、歯ブラシとタオルあるか?」
理沙 「はーい、」返事と同時にバックの中身を取り出し始めた。
冷んやりとした空気が気持ちいい、思いっきり深呼吸をした。
喉と鼻の奥が冷たい空気を通していく。それだけで爽快な気持ちになっていた。
彼と二人タラタラと歩く彼女、水場には誰もいない。一番乗りだとはしゃいでいた。
二人は初めて過ごす朝を大自然の中で迎え、いま目の前に口に歯ブラシを咥えた
大好きな人がいる状況に戸惑うことなくシャコシャコと音を立てて磨いていた。
先に済ませた彼が彼女に言われ長い彼女の髪を持たされていた。
理沙 「ジーン、タオル、タオル取ってよ。タオルーー。」
無言で差し出す彼、それを受け取る彼女。顔をふかふかのタオルで覆いふぅっと顔を出した。
理沙 「ありがとう。ジーンが居て助かった。髪の毛濡れるもんね。」
淳二 「まあな、俺はいつでも役立つ男だからな。」
そんな彼に何も返さずクスクス笑っている。
そろそろ急ぐかと一旦車に戻った二人、身支度を簡単に済ませ日の出を見る為に移動していた。
一番乗りは残念だが、真と容子だった。人の気配に慌てた様子だが、それが二人だと
気づくと安心したように寄り添っていく。
理沙 「おはようございます。」
彼女の言葉にはにかんだような仕草の二人が≪おはよう≫と返事をしていく。
淳二 「理沙、行くぞー、朝日は二人で見るからな。こいつらとなんか見ないからな。」
真 「早くあっちに行け、お前達こそ邪魔なんだよ。」
そんな二人を横目に容子に微笑むと彼の後を追う。
彼女の肩をグイッと抱き寄せるとそのまま歩き出す彼にゆっくりと身体を預けていく。
淳二 「理沙、俺から離れんなよ…。」
理沙 「うん、まだちょっと暗いから怖いもん。」
淳二 「あはは、まだ暗いもんな。」
理沙…、そんな意味じゃないんだけどな…。俺から離れんなよ。
彼は、真と容子の姿を見た途端、言いようのない不安が脳内を掠めた。
ただ、出逢った時期が悪かっただけだといくら言い聞かせても、
どこか直視できない部分が色濃く残るのであった。
その言いようのない不安が自分達の幸せまでも壊してしまうようでならなかった。
ポツンと据えられたベンチに腰を降ろした二人。
淳二 「御来光に願掛けをするって知ってるか?」
理沙 「ゴライコウ? ガンカケ?」
淳二 「日の出の太陽を御来光、願掛けは、朝日に願い事をするって事だ。」
理沙 「わー、素敵ね。するする。願い事する。欲張りでもいいかな?」
淳二 「欲張り? 何をそんなに願うんだよ。」
理沙 「色々とね。」
淳二 「願い事は言葉に出して言わなくちゃダメなんだぞ。」
理沙 「OK」
周りは既に明るくなってきていた。後は太陽が顔を出すのを待つのみ。
淳二 「理沙、そろそろだ、準備はいいか?」
大きく頷く理沙に笑いが出そうな彼であった。
彼女がまるで呪文のように言葉を紡ぐ。
いつまでも仲良く二人で過ごせますように。ジーンと私が健康で過ごせますように。
美味しいご飯を食べられますように。ジーンが私に笑顔でいてくれますように。
ぶつぶつと口にする彼女の言葉が耳に入り、彼は心の中で同じことを願っていく。
淳二 「俺達の仲を邪魔する奴が現れませんように、理沙とずっと一緒に居られますように。」
彼の言葉に隣の彼の顔を見つめる彼女。
感激したように彼に抱きついた。
理沙 「誰もジーンを私から奪いませんように、ずっとジーンと一緒に居られますように。」
彼に抱きついたまま彼女が願いを唱えていく。
淳二 「理沙がキスを嫌がりませんように、それ以上の事ができますように。」
理沙 「ジーンが浮気をしませんように。私の男嫌いが治りますように。」
淳二 「マジかよ…。男嫌いだったのかよ…。」
理沙 「うん、そうなの…。相当なものだったの…。」
淳二 「そっか…俺は、男だからな、それも健康な身体を持つ普通の男だ。」
その意味がわかっているのか、彼女はそれでも話しを続ける。
理沙 「私も、健康よ。これでも普通のつもりなんだけど…。」
淳二 「健康で普通な俺達は大丈夫だな。」
理沙 「うん、大丈夫だよね。良かったわかってもらえて。」
淳二 「ああ、俺も良かった、わかってもらえてな。」
ニコニコと笑う淳二に同じような笑顔でかえす彼女。
彼の必要以上の笑顔さえ彼女にはその意図さえ伝わっていない。
こいつ…、わかってないな…。
わからせるべきか…、それとも…、…………。
淳二 「さて、そろそろ行くか? 朝飯はいつもいくうまい店なんだ。」
理沙 「こんなに朝早くから開いてるの?」
淳二 「んー…、車で移動する。ちょっと遠いな…。」
理沙 「楽しみ~~~、お腹空いた~~~。」
淳二 「あははは、その食べっぷりは人には見せられねーな。」
理沙 「ん? でもね昨日言われたもん。凄く食べるのねって。」
淳二 「もうばれたのか…。」
楽しげに歩く二人。
たまに彼が彼女に軽くキスをする。
照れる彼女が頬を染めては彼を見上げて恥ずかしそうに睫毛を揺らす。
そんな彼女がまた彼にキスをさせてしまう。
甘い時間を過ごしていく。
彼と彼女、車までなかなか行き着かない二人であった。