舞台裏 「ニャンコ譲渡会」
番外編2です。
6話と7話の間の話。
しんしんと、雪が静かに降り積もる。
銀世界に横たわるのは、二つの体。
一つは血溜まりの中で事切れた、山羊の面を被った男――「役者」の一人、アペル。
そしてもう一つは、浅い呼吸を繰り返し、意識の混濁した天衡隊 隊員、ミツキだ。
二人を見下ろすように静かに立つのは、雪豹の名を持つ、リオ。
任務は至極単純だ。
対象が死体であろうと生者であろうと、氷像へと変え、第四部隊へと持ち帰ること。
リオは音もなくアペルへと歩み寄り、その傍らで足を止めた。
無造作に右手をかざす。
掌から漏れ出した凍てつく冷気が、アペルの亡骸を永久の眠りへと閉じ込めようとした、その時。
「――ッ!」
本能的な危機を察知し、リオは即座に後方へ跳んだ。
直後、先ほどまで立っていた場所から、禍々しい赤黒い輝きを放つ巨大なタコの触手が、地を割って突き出した。
触手の影から、ゆっくりと一人の少女が姿を現す。
薄黄色のベレー帽に、後ろで低く纏められた紫黒の髪。クラシカルなロリータワンピースを纏い、白いタイツに黄色のパンプスを合わせたその姿は、戦場にはあまりに不釣り合いなほど可憐だった。
少女はリオを真っ直ぐに見つめると、へその下で丁寧に指先を揃え、深く、静かにお辞儀をしてみせた。
降りしきる雪の中、沈黙だけが場を支配する。
頭を下げたまま動かない少女を前に、リオの肌は粟立っていた。
少女から発せられる力、あるいは殺気か。
禍々しい触手の存在感も相まって、周囲の雪が彼女を避けるように舞っている。
(……ここで戦ったところで、決着のつかない泥仕合になるだけ)
リオは冷静に戦況を反芻し、撤退を決意する。
長い静寂の末、雪豹は少女に背を向けた。
数歩戻り、雪に埋もれかけていたミツキを静かに背負う。
そして、一言の言葉も残さず、雪豹は雪の帳の向こうへと消えていった。
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天井に届かんばかりの巨大な本棚が、部屋の壁を隙間なく埋め尽くしている。
数多の知識が詰め込まれたその静寂の空間で、女は赤い長ソファに身を委ねていた。
高価な黒のワンピースがシワになるのも厭わず、仰向けで分厚い書物を捲るその姿は、どこか浮世離れしている。
ソファの前には、金細工の脚が光るガラスのローテーブル。
その上には汚れ一つない純白のティーポットと、温かな湯気を上らせるティーカップが置かれていた。
そしてソファの背後には、黒ずくめの装束に身を包み、フードの奥から猫の面を覗かせる「役者」の一人――ミケが、影のように控えている。
その静謐を切り裂いたのは、荒々しい衝撃音だった。
部屋の扉が蹴破られ、一人の男――ヒナタが踏み込んでくる。
「あら、随分と情熱的なご挨拶ね。どうかなされたのかしら?」
女は本から目を離さず、くすりと微笑を浮かべたまま問いかける。
「『雪豹は今いない』……そう抜かしたのは、どこのどいつだ?」
ヒナタは冷え切った眼差しを女に向けたまま、机へと歩み寄る。
その長い足で無造作に机を跨ぐと、重厚なロングブーツの踵が金細工の脚を掠め、チャリ、と不快な金属音を立てた。
ヒナタは意にも介さず、挑発するようにガラスの天板の上へ腰を下ろす。
ギシッ……と、繊細なガラスが主の怒りを代弁するように悲鳴を上げた。
女はゆっくりと本を閉じ、一瞬だけ不思議そうに首を傾げた。
だが、その明晰な頭脳は即座に全てのパズルを完成させる。
起きた事象、彼の怒りの理由、そしてここへ来た目的。
「なるほど。ヤギ(アペル)が殺されちゃったのね? それで、自分を騙した対価として、相応の報酬を寄越せ……と。そうね、このミケが欲しいのかしら?」
相手を小馬鹿にするような甘い声で告げると、女は「ふぅ」と小さく吐息を漏らした。
「ま、いいわ。あげる。持っていきなさい」
「魔女様……っ!?」
自身の駒を躊躇なく他者に譲り渡すその言葉に、ミケは驚愕を隠せず声を上げた。
「……騙したつもりはなかったのだけれど。面倒事は避けたいし、猫の一匹くらい差し上げるわ」
女は淡々と言い放つと、仰向けだった上体をゆっくりと起こした。
くつろいだ表情が霧散し、表情が険しくなる。
「ただし――」
言葉を継ぐ彼女の瞳が、獲物を狙う蛇のように細められる。
ソファに座り直し、ヒナタを真正面から射抜くその視線は、先ほどまでの甘さを微塵も感じさせない。
「『雪豹』が邪魔をしたとはいえ、貴方は『子うさぎちゃん』を捕獲できなかった。その不始末に対する……“詫び”は、ないのかしら?」
冷徹な要求。
失敗したことへの代償を求めるその姿は、まさに魔女そのものだった。
「……何を求めている」
女の意図を測りかねたヒナタが、低く、警戒を孕んだ声で問い返す。
「簡単なことよ」
女の口角が吊り上がり、残酷なまでに美しい薄ら笑いが浮かぶ。
彼女は今まさに進行している「作戦」の全貌を、ゆっくりと語り始めた。
────── ────── ──────
「…………ふぅん。まあ、手を貸してやらんこともない」
しばらくの沈黙の後、ヒナタは舌打ちを響かせ、忌々しげに、だが確かにその提案を呑んだ。
提示された作戦は、彼にとっても利益のある話だったからだ。
依然として机の上にふんぞり返り、不遜に足を組み、腕を組んだまま。
一時的に彼女の駒に成り下がることを、彼は自身のプライドと強かな打算を引き換えに承諾したのだ。
「ただし、お前の人形になるつもりはない。俺は、俺のやり方でやらせてもらう。……文句はないな?」
鋭い眼光を向けるヒナタの言葉に、女はしばし思案するように目を伏せた。
だが、すぐに満足げな笑みを浮かべて頷いてみせる。
「ま、いいわ。今話した作戦の邪魔をしないのなら、それでいいわ」
かくして、二人の間で残酷な取引は成立した。
――たった一人、置き去りにされた存在を除いて。
敬愛する主人の元を離れ、望まぬ新たな主人の元へと下らねばならない現実。
それを到底受け入れられぬまま、猫の面の奥で絶望に震えるミケを、二人の視線が顧みることはなかった。
ニャンコちゃんは今後別の作品で出そうと思って、譲渡会が必要だったわけです。
本編7話は3月26日18~19時の間に投稿。




