第3話 「デザートを最初に食べてもいいとは思う」
⚠︎本作には暴力描写・流血・グロ描写があります⚠︎
【舞台裏】という名の番外編もつけたら、5000字超えました…分けても良かったけど、「ま、ええか!」の精神でいったら、こうなりました…。
四階には何もいなかった。続く五階。
長い廊下に、ドアの取り外された部屋が等間隔に並んでいる。
手前の部屋を覗き込むと、そこは荒れ果てた会議室だった。
外れかけたホワイトボード、倒れた椅子、埃を被った長机。
その奥で、黒い影が背を向け、ボリボリと何かを貪っている。
魔物にしては小さいが、油断はできない。
シオンを呼びに戻ろうと、後ろに一歩下がった瞬間だった。
──コンッ。
踵が小石を弾き、壁に当たって乾いた音が響く。
影が弾かれたように振り返った。
薄暗がりの中、獲物を見つけた金色の瞳と目が合う。
階段へ向かって、全力で地面を蹴った。
「へ…………?」
だが、次の瞬間。
視界の端で黒い影がブレたかと思うと、軸足に鋭い衝撃が走った。
踏み出そうとした両足を背後から力強く刈り取られ、体ごと不自然に宙に浮く感覚に襲われた。
見えていたはずの階段が消え、視界にはただ、地面が猛スピードで迫っていた。
「……っ!」
顔面が硬い床に叩きつけられる。
鈍い衝撃が脳を揺らし、鼻の奥が焼けるように熱くなった。
体勢を立て直そうとするより早く、背中に強烈な重みが乗る。
両腕を後ろ手にねじり上げられ、ミツキは完全に自由を奪われた。
地面にポタポタと赤い雫が落ちる。
口の中には砂利のざらつきと、えぐみのある鉄の味が広がった。
パニックで呼吸が浅くなる。
乱れる思考を必死に抑え込み、脂汗を流しながら、わずかに首を後ろへ巡らせた。
そこにいたのは、魔物ではなかった。
黒ずくめの服。深く被ったフード。
その下で、鼻から上を覆う「狼の面」がミツキを見下ろしている。
男か女かもわからない。
だが、その口元には――どろりと赤い液体がこびりついていた。
それが「血」であると、認めたくはなかった。
けれど、最悪の答えが頭をよぎる。
(人喰いの魔物じゃない。人喰いの……人間が、ここにいる?)
背筋を氷でなぞられたような感覚に襲われ、ミツキの震えが止まらなくなった。
狼が、ゆっくりと口を開いた。
「美味しそうな、匂い。食べられに来た、の? 子うさぎちゃん」
男とも女ともつかない、不気味に透き通った声が耳元で跳ねる。
ところどころで、言葉を区切る、変わった話し方をする。
「ちょうど、よかった。メインディッシュが、欲しかったんだ。……子うさぎの、肉、いただきます」
獣のような呼気が首筋にかかる。
狼の顎が、ミツキの喉笛を目がけて大きく開かれた。
「ふんっ、ぬぅぅッッ!!」
死に物狂いで上半身を反らし、渾身の力で後頭部を突き上げた。
ゴッ、という鈍い衝撃。ミツキの後頭部が、狼の面に深くめり込む。
「ぐっ……!」
拘束がわずかに緩んだ。
その隙を、ミツキは逃さない。
強引に身を翻し、相手の襟首を掴んで壁へと叩きつけた。
その隙に跳ねるように立ち上がり、階段へと走り出す。
「シ、シオ……ッ!」
大声で名を呼ぼうとした瞬間、背後から伸びた手が強引にその声を掻き消した。
「シー、シー。ダメだ、よ。食事が、逃げようなん、て」
壁に叩きつけたはずの狼が、いつの間にか背後に回っていた。
(……速すぎる!)
恐怖で指先が震える。
ミツキは必死に手を伸ばし、ベルトのケースからナイフを引き抜こうとした。その瞬間――。
「あぁ、ちょうど、いい。そのまま、かじるのもいい、けど、メインディッシュ、だもん。丁寧に、切り分けなきゃ」
耳元で囁かれると同時に、ナイフを奪い取られた。
銀光が奔る。
狼は奪ったナイフを、ミツキの左肩へ容赦なく深く突き立てた。
「~~~~~ッ!!!」
口を塞がれ、まともな悲鳴すら上げられない。
左肩を貫く、えぐるような激痛。
傷口から熱い血が溢れ出し、焼けるような熱が全身に回っていく。
視界が激しく火花を散らした。
狼はナイフを容赦なく引き抜き、刃にこびりついた血をゆっくりと舐めとった。
「……うん。少し、甘みが強い、かな。でも、甘いソースを、かけた肉も、悪くないよね」
満足げな呟きと共に、銀光が再び奔る。
今度はミツキの左胸へ、深く、深々とナイフが突き立てられた。
「……あ……」
口を塞ぐ手を振り払おうとしていたミツキの腕から、一気に力が抜ける。
重い瞼が落ち、だらりと両手が地面に投げ出された。
「生きたままの、方が、肉は柔らかい、けど、暴れられると、面倒だしね」
狼はニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、胸からナイフを引き抜く。
抵抗しなくなったミツキを仰向けに転がした。
「もう一人、下にいる、みたい。……そっちは生きたまま、食べようかな。じゃあ、まずは君から。いただきます」
内臓から喰らおうと、ナイフの切っ先をミツキの腹部へ向ける。
だが、その手が止まった。
「……ん……?」
死んだはずのミツキの胸が、微かに、本当に微かに上下した。
狼はその僅かな生命の兆しを見逃さない。
確実に仕留めたはずだ。
その確信を裏切る微かな呼吸に、狼の眉が跳ねる。
疑問を抱くより早く、今度こそ息の根を止めるべく、ナイフの矛先を喉元へと向け直した。
喉を貫く寸前、ミツキは左手を突き出した。
肉を裂く鈍い音。手のひらを、鋭い刃が貫通した。
「……ッ、う、ぅぅ……!」
絶叫を喉の奥で押し殺す。
手のひらを貫いたままの刃を盾にして、ミツキは渾身の力で右拳を突き出した。
狙いは狼の喉元だ。
「ガハッ、……カハッ……!」
不意を突かれた狼が、喉を抑えて激しく咳き込む。
拘束が緩んだ隙に身を翻し、左手にナイフが突き刺さったまま、ミツキは大きく距離を取った。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
激痛で視界が歪む。
ミツキは歯を食いしばり、震える手で左手の柄を掴むと、一気にナイフを引き抜いた。
噴き出す熱い血。
涙が溢れるほどの痛みが走るが、今は止まっている暇はない。
(シオンくんを呼びたい……。でも、彼の身に万が一があったら…)
実力差は歴然だ。
普通に戦えば、今度こそ殺されるだろう。
だが、ミツキには唯一の武器がある。死んでも蘇る『復活』の能力だ。
(……やってやる。死んでも、何度でも立ち上がってやる。捨て身の『不死身戦法』だ……!)
恐怖をヤケクソな覚悟で塗りつぶし、ミツキは返り血を浴びた手でナイフを構え直した。
「……死んだ、はずなのに。もしかして、傷を治して、生き返る、タイプの能力?」
狼はまだ少し咳き込みながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「……そうだよ。だから、僕を殺そうなんて無駄だ──」
「素晴らしいッ!!」
突如として響いた狼の歓喜の声に、ミツキは言葉を失った。
「すごい! なんて素晴らしい能力なんだ! ありがとう、出会えてよかった! 子うさぎちゃん、キミに出会えて本当に嬉しいよ!」
金色の瞳をキラキラと輝かせ、狼は子供のように無邪気にはしゃぎ始めた。
困惑し、声も出せないミツキを置いて、狼は独り言のようにまくし立てる。
「食べることは大好きだけど、デザートを食べるのは嫌いなんだ。だって、それを食べ終えたら食事が終わってしまうから。でも、子うさぎちゃん、君は食べても生き返る! しかも傷を治して!」
狼はその場で、ゆらゆらと小躍りを始めた。
「つまり、一生デザートを楽しめるってことだよね! 終わらない食事、無限のフルコース! なんて素晴らしいんだ! もっと早く出会いたかったよ……さて」
言い終えた瞬間、場を満たしていた熱狂が、凍りつくような殺意に塗り替えられた。
無邪気な子供の顔は消え、そこには冷酷な「捕食者」の顔があった。
ナイフを構えようとした瞬間には、すでに仰向けに倒れていた。
宙を舞った感覚も、後頭部を打ち付けた衝撃すらない。
ただ、気がついた時には視界が天井に切り替わっていた。
理解が追いつくより早く、狼がミツキにのしかかる。
その顎が大きく開かれ、剥き出しの牙が首筋へと深く食い込んだ。
「あ、が……ッ! ぎ、あああぁッ!!!」
あまりの痛みに喉が鳴る。
ミツキは震える手で狼の背にナイフを突き立てようとした。
だが、振り下ろす直前――抗いようのない強烈な眠気に襲われた。
急速に体温を奪われるような、泥濘に沈むような感覚。
ナイフを握る指先から力が抜け、視界が真っ黒に塗り潰される。
何一つ抗えぬまま、ミツキの意識は闇へと落ちた。
────── ────── ──────
「……ツキッ……ミツ……キ……ミツキ!」
激しく肩を揺さぶられる感覚。
遠くで響いていたシオンの声が、急に耳元で鮮明になった。
重い瞼を押し上げると、そこには血の気を引かせ、必死の形相で自分を見下ろすシオンがいた。
死の淵から生へと、無理やり引き戻されたような不快な浮遊感。
脳を内側から金槌で叩かれるような、鋭い痛みが突き抜ける。
「ミツキ、大丈夫!? 三階まで見終えて上がってきたら、君が倒れてて……」
「……狼……狼が……うっ……」
警告を口にしようと上体を起こした、その瞬間だった。
胃の底からせり上がる、抗いようのない強烈な吐き気に襲われる。
「お、……お゛ぇぇぇぇッ!!」
抑える間もなかった。
自分の膝に、熱を帯びた中身をぶちまける。
呼吸が整わない。視界が激しく点滅していた。
吐瀉物には、わずかに赤が混じっていた。
「血……!? ミツキ、しっかりしろ! 大丈夫なわけないよね……ごめん、すぐ手当てするから!」
シオンは焦燥感を滲ませた声で言い、手際よく隊服の上着を脱いだ。
「とにかく一度、天衡隊に戻ろう。歩ける? いや、無理だな。俺が背負う!」
「……狼が……どこかに……」
ミツキは朦朧とする視界で辺りを見渡す。
だが、そこには誰もいない。
隠れているのか、それとも去ったのか。
殺気どころか、気配すら感じられなかった。
「狼? ……大丈夫だよ。ここには俺ら以外、だれもいない」
シオンは周囲を鋭く警戒しながらも、汚れを隠すように自分の上着をミツキの腰に巻きつける。
「狼の、面を……」
説明しようとした瞬間、再び胃の底が跳ねた。
シオンを汚さないよう咄嗟に横を向き、地面にすべてをぶちまける。
混じっていたのは、鮮血と苦い胃液。
頭を直接殴られているような激痛が、絶え間なく脳を揺らす。
「……おおかみ……が……」
力なく呟き、ミツキの体から芯が抜けた。
支えようとするシオンの腕の中で、ミツキの意識は再び深い闇へと沈んでいった。
【舞台裏】シオンは何をしていたのか?
一階から三階まで探したが、ミツキが降りてくる気配はない。
俺はそのまま上の階へと足を進めた。
「え? 今すぐ戻れって?」
四階の薄汚れた廊下を進み、一応、左右の部屋を軽く覗き込んで気配がないか確認しながら、俺は第二部隊の隊長と電話をしていた。
「……いや、今は任務中だよ。ミツキはもともと第四部隊の人間だし、あっちの隊長からも『すぐに実戦へ放り込め』って言われてるし、入隊式だって、もう終わりかけだったし……」
スマホから漏れる怒号に、思わず顔をしかめる。
「うわ、パワハラ。義姉ちゃんに言いつけちゃお。嫌われるよ?」
さらに激しくなった罵声に、俺はスマホを耳から離した。
「……はいはい、俺が悪かったで~す。任務が終わり次第、すぐ帰りま~す」
最後は舌打ちとともに、一方的に通話が切れた。
俺はため息をつき、五階へと続く階段を上がる。
だが、五階に着いた瞬間、俺は息を呑んだ。
廊下に、ミツキが仰向けで倒れていた。
「ミツキ!?」
駆け寄ろうとして、その凄惨な姿に足が止まる。
胸元からへその下までが、ざっくりと切り開かれていた。
中身は空っぽだ。
内臓も骨もない。
血さえ、わずかしか流れていない。
だが、彼の『死んでも生き返る能力』は、すでに発動しているようだった。
切り口から新しい内臓が、じわじわと形作られていくのが見えた。
ひとまず再生が始まっているなら大丈夫だろう。
俺は思考を切り替え、すぐ近くの部屋へと踏み込んだ。
ここにも魔物の気配があったはずだ。
部屋の奥には、魔物の死骸が転がっていた。
近づいて検分すると、それは無残にバラバラにされ、あたり一面に肉片と血がぶちまけられている。
それは巨大な顎で噛み砕かれたように無残に引き裂かれ、食い散らかされていた。
あたり一面に肉片と血がぶちまけられている。
「……何がどうなってんだ、これ」
全く状況が掴めない。
通話をしていたとはいえ、魔物を細切れにするほどの激戦があったのなら、それなりの戦闘音が聞こえてくるはずだ。
だが、俺の耳には何の音も届いていなかった。
顎に手を添え、現場を詳しく調べようとしたその時。
ズボンのポケットでスマホが震えた。
「はいはい、シオンでーす。用件は手短に……」
投げやりに出た俺の耳に、脳を直接とろけさせるような、甘く優しい声が響く。
「お、おぉぉ……こ、この声は……り、りりり、リオ……!?」
優しく相槌を打たれただけで、脳みそが震える。
「な、なんで俺の番号を……あ、そうか。交換したんだったね。はい、そうですね!」
頭が回らない。
体が内側から熱くなっていく。
「え、あ、うん! 新人のことは任せて! はい! ありがとうございます! 頑張りましゅ!」
意識が朦朧としてきた。
顔が熱い。
脳みそが沸騰しそうだ。
「は、はい! あ、えっと……そ、その、り、りりり、リオも……」
心臓がうるさい。
今、心拍数を測ったら機械が壊れるんじゃないか。
「が、がががが、頑張ってね……っ!」
最後に見事な(?)エールを送り、優しいお礼の言葉を聞いたところで、俺の意識は遠のいた。
気がつくと通話は切れていたが、俺はスマホを耳に当てたまま、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「うっ……うぅ……」
突然、ミツキの苦しげな声が聞こえ、俺は弾かれたように我に返った。
そうだ、今はそれどころじゃない。俺は急いで彼の元へと駆け出した。
次回第4話は3000字で落ち着きました。
狼の性別は?リオの性別は?気になりますけど、まぁ、お楽しみにってことで。
第4話は3月21日 18時~19時の間に投稿します。




