第5話 勝たない選択
期限は、三日だった。
スポンサー側からは、何も言ってこない。
だが、それが余計に重かった。
「待っている」という沈黙は、
「逃げ場はない」という意味でもある。
俺は、グラウンドの端でノートを開いていた。
エースの動きは、相変わらず鋭い。
だが、細かいズレが積み重なっている。
踏み込みが、半歩遅い。
着地の角度が、わずかに浅い。
――このまま使えば、勝てる。
――壊れる確率は、確実に上がる。
「桐生」
声をかけてきたのは、当の本人だった。
「最近、俺のこと見てるよな」
「分析なので」
「……使われすぎ、ってことか?」
核心を突かれ、言葉に詰まる。
彼は、苦笑した。
「正直に言えよ。
勝てるなら、俺は走る」
それは、覚悟だった。
そして同時に、
俺に突きつけられた選択だった。
「……勝率は上がります」
「じゃあ――」
「でも」
俺は、最後まで言い切った。
「その先は、保証できません」
彼は、しばらく黙っていた。
それから、意外なことを言った。
「なら、外してくれ」
「……え?」
「壊れてまで勝つのは、違うだろ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
選手の方が、
ずっと先を見ていた。
⸻
ミーティング。
「エースは、次の種目を外す」
俺の判断を、鷹宮が伝えた瞬間、
空気が凍った。
「正気か?」
「勝てないぞ」
分かっている。
勝率は、確実に下がる。
スポンサーの顔が、頭をよぎる。
だが。
「それでも、この判断です」
俺は、初めて感情を込めて言った。
「今勝って、未来を失うより、
負けても残るものを選びます」
鷹宮は、俺をじっと見た。
そして、短く言った。
「責任は、俺が取る」
⸻
大会結果。
――敗退。
会場は、静かだった。
言い訳も、拍手もない。
その夜、電話が鳴った。
『今回は、期待外れだった』
スポンサーの声は冷たい。
『次はない』
「……分かりました」
通話は、それで終わった。
⸻
翌日。
グラウンドで、エースが走っていた。
軽い動き。
痛みのないフォーム。
「助かった」
彼は、そう言って笑った。
「次は、もっと強くなって戻る」
その笑顔を見て、
胸の奥が、静かに温かくなった。
ノートに、一行書き足す。
「勝たない判断にも、意味はある」
評価されない。
金にもならない。
それでも。
この判断だけは、
間違っていなかったと、思えた。




