第48話 氷の洞窟と、極上のひんやりスイーツ
ボルドー氏の提案から数日後。
私たちは夏の特産品の要となる天然氷を求めて、領地の北端に位置する山脈のふもとへとやってきていた。
領地の中心部はすでに雪解けが進み、柔らかな緑が顔を出し始めているというのに、この一帯だけは真冬のような冷気に包まれている。
「……寒いな。風邪を引くぞ」
バサリ、と。
私の肩に、ジークハルト様の着ていた分厚いファー付きの外套が掛けられた。彼自身の体温と、落ち着く香りがふわりと私を包み込む。
「ありがとうございます。でも、ジークハルト様が寒くありませんか?」
「俺はこれくらいどうということはない。それより、お前が冷える方が問題だ」
彼はそう言って、外套の襟元を私の首までしっかりと合わせ、不器用な手つきでマフラーまで巻き直してくれた。完全防備、もはや雪だるま状態である。
『ヒュー! ご主人様、過保護モード全開! 「俺のコートに包まれるコーデリア、小さくて可愛い……そのまま抱きしめて城に持ち帰りたい……」って、相変わらず物騒な愛情表現を脳内で繰り広げてるぜ!』
腰のグラムが楽しそうに実況するが、ジークハルト様は相変わらず真面目な顔で私の防寒チェックに余念がない。
「ワオォォン!(こっちだ! こっちから冷たい風が吹いてくるぞ!)」
先陣を切っていたポチが、雪をかき分けながら洞窟の入り口を教えてくれた。
そこは、切り立った岩肌にぽっかりと開いた、巨大な裂け目だった。
◇
「わぁ……綺麗……」
洞窟の中に足を踏み入れた瞬間、私は感嘆の声を漏らした。
薄暗い内部を、私たちが手にした魔鉱石のランタンが照らし出す。すると、壁から天井、足元に至るまで、全てが透き通るような青い氷で覆われていたのだ。
光が氷の中で乱反射し、まるで巨大な宝石箱の中に迷い込んだようだった。
『わーい! お客さんだ! 何年ぶりだろう!』
『ずっと退屈してたんだよー! 遊ぼうよー!』
洞窟の氷たちが、子供のようにはしゃいだ声を上げている。
どうやら、長い間誰も訪れなかったため、人恋しかったらしい。
「素晴らしいですね! これほどの規模の万年氷、王都の氷室でもお目にかかれませんよ!」
同行していたボルドー氏が、目を$マークにして(いるように見えた)興奮気味に叫んだ。
彼はすぐさま、連れてきた採掘の職人たちに指示を出す。
「よし、お前たち! かき氷の試作用に、少し氷を削り出してみてくれ!」
「へいっ! 任せてくだせぇ!」
屈強な職人たちが、大きなツルハシを振り上げる。
そして、洞窟の壁に向かって勢いよく振り下ろした。
ガァンッ!!
「うおっ!?」
鈍い音と共に、ツルハシが激しく弾き返された。
職人の手がビリビリと痺れ、ツルハシの先端が少し欠けてしまっている。壁の氷には、傷一つついていない。
「な、なんて硬さだ……! 鉄のツルハシが弾かれるなんて、ただの氷じゃねえぞ!」
『痛いっ! 何すんだよ乱暴者!』
『俺たちの体は、長い年月をかけて魔力と一緒に圧縮された魔氷だぞ! そんな無骨な道具で削れるもんか!』
氷たちが怒って、キーンと冷たい冷気を一斉に放った。
洞窟内の温度がさらに数度下がり、職人たちがブルブルと震え上がる。
「こ、これでは手が出ませんな。削るどころか、道具が壊れてしまいます」
ボルドー氏が青ざめてジークハルト様を見た。
「あの、氷さんたち。少しだけ、私たちに氷を分けていただけませんか?」
私が一歩前に出て、壁にそっと手を触れながら語りかけた。
『えー? お姉さんは優しい声してるけど、痛いのはやだなぁ』
『それに、ただの塊として乱暴に叩き割られるなんて、美しくない! 僕たちはもっと芸術的に、絹のように薄く、優しく扱ってほしいんだ!』
「絹のように薄く、優しく……ですか」
「どうした、コーデリア。氷は何と言っている?」
不思議そうに尋ねるジークハルト様に、私は氷たちの主張を伝えた。
「ええと……ただ乱暴に叩き割られるのは美しくないから嫌だそうです。もっと芸術的に、絹のように薄く優しく削ってほしい、と」
なるほど、かき氷の理想的な削り方そのものだ。しかし、この鋼鉄よりも硬い氷を、そんなに薄く削ることができる人がいるだろうか。私が思案していると。
「……なるほど。薄く、芸術的に削ればいいのだな」
私の思考を遮るように、ジークハルト様がスッと前に出た。
「えっ? ジークハルト様?」
「……俺に任せろ。剣の扱いには、少しばかり自信がある」
彼は静かに、腰の魔剣グラムに手をかけた。
『えっ、ご主人様!? ちょっと待って、その淀みないモーション……また俺様をそういう雑な用途で使う気!? 前にも似たような悲劇があった気がするんだけど! 俺、一応国宝級の魔剣なんだけど!? 魔王の首を落としたこともある由緒正しい剣を、今度はかき氷機にする気!?』
グラムが慌てて抗議するが、ジークハルト様は躊躇うことなく刀身を抜き放った。
薄暗い洞窟内に、グラムの放つ禍々しくも美しい紫色のオーラが満ちる。
「……いくぞ」
ジークハルト様は軽く息を吐き、姿勢を低くした。
その瞬間、彼の纏う空気が一変した。戦場を駆ける鬼神のような、圧倒的な集中力。
シュァンッ!!
目にも留まらぬ速さで、グラムの刃が氷の壁を撫でた。
叩き割るのではない。削ぐような、極限まで洗練された剣筋。
『ひぃぃぃ! 刃が冷えるぅぅ!』というグラムの悲鳴と重なるように、氷の壁から別の声が上がった。
『うおおおお! なんだこの凄まじい剣筋!』
『俺の表面が、まるでシルクみたいに薄く、美しく削ぎ落とされていくぅ! 超気持ちいいぃぃ!』
ジークハルト様が剣を数度振るうと、空中に雪の結晶よりも細かい、ふんわりとした氷の破片が舞い散った。
それは、まさに職人技。
鋼鉄の氷を、見事に究極の薄削りにしてみせたのだ。
「おおおっ……! なんと美しい氷だ! まるで粉雪のようだ!」
ボルドー氏が歓喜の声を上げ、持参していた大きな銀のボウルで、空から降ってくる氷をキャッチする。
ボウルの中には、あっという間に純白の、ふわふわのかき氷の山ができあがった。
「……こんなものか」
ジークハルト様が涼しい顔でグラムを鞘に収める。
『へへっ! どうだ! これが俺様とご主人様の超絶技巧だぜ! 氷の塊ごとき、赤子の手をひねるようなもんだ!』
先ほどまで嫌がっていたグラムが、ちゃっかりドヤ顔(?)で自慢している。
◇
洞窟の外に用意したテーブルで、早速試食会が行われることになった。
ボウルに盛られたふわふわの氷に、今日のために料理人ジャンさんが徹夜で仕込んでくれた特製シロップをかける。
領地の森で採れた三種類のベリーを煮詰め、黄金色の蜂蜜をブレンドした、ルビーのように輝くシロップだ。
「さあ、まずは奥方様からどうぞ!」
ボルドー氏に勧められ、私は小さな木のスプーンで氷をすくった。
口に入れた瞬間。
「……!」
氷が、冷たい雪のようにふわりと溶けて消えた。
硬さを全く感じない。それどころか、氷自体に魔力由来の微かな甘みがあり、そこに濃厚なベリーの酸味と蜂蜜の香りが絶妙に絡み合う。
「美味しい……! 口の中で一瞬で溶けてなくなります! こんな滑らかなかき氷、食べたことがありません!」
私が頬を落とさんばかりに感動していると、隣でジークハルト様がジッと私の口元を見つめていた。
「……そんなに、美味いのか」
「はい! ジークハルト様も、ぜひ食べてみてください。ほら、あーん」
私は無意識に、自分の使っていたスプーンで氷をすくい、彼の口元へと差し出していた。
やってしまってから「あ、はしたなかったかも」と気づいたが、もう遅い。
ジークハルト様は一瞬石のように固まり、赤い瞳を見開いた。
『でたァァァ! 無自覚な「あーん」からの間接キス! ご主人様の脳内がビッグバンを起こしてるぜ! 「こ、これは王族の晩餐よりも価値のある一口! 俺は今、世界で一番幸せな男だ!」って、もう氷食う前から溶けちゃってるよ!』
グラムのやかましい実況の中、ジークハルト様は震える口をわずかに開き、私が差し出したかき氷をぱくりと口に含んだ。
「……どう、ですか?」
「……っ、美味い。……甘くて、とろけるようd――ツゥッ!?」
甘い感想を述べていたジークハルト様の言葉が、突如として途切れた。
彼は眉間に深いシワを寄せ、片手で頭を押さえ込んでうずくまってしまった。
「ジ、ジークハルト様!? どうされました!?」
「ああっ! 閣下、冷たい氷を急いで飲み込むと、頭が痛くなるのです! いわゆるかき氷頭痛というやつで!」
ボルドー氏が慌てて説明する。
『ダッセェ! かっこつけて「あーん」された氷を味わわずに丸呑みしたから、頭がキーンってなってるんだぜ! 愛妻の前の失態に、ご主人様、泣きそうになってるぞ!』
「だ、大丈夫ですか!? おでこ、温めましょうか!?」
私が慌てて彼のおでこに両手を当てると、ジークハルト様は痛みに耐えながらも、嬉しそうに私の手の上に自分の手を重ねた。
「……気にするな。……お前の手が温かいから、すぐに治る」
頭を押さえながらも、どこか誇らしげなその表情に、私は思わずクスッと笑ってしまった。
無骨で不器用な夫の剣技と、領地の恵みが生み出した、究極のかき氷。
来るべき星祭りの目玉商品は、こうして大成功のうちに完成したのだった。




