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第46話 一つ屋根の下、密着する掛け布団と夜の甘い吐息

 露天風呂での「のぼせ事件」から小一時間後。

 なんとか平静を取り戻した私たちは、部屋に運ばれてきた豪華な夕食を向かい合って堪能していた。


『さあさあ、お二人とも! 私がこの辺境で採れた最高の山の幸よ! 栄養満点だから残さず食べてね!』


『俺様は幻の魚、クリスタルトラウトの塩焼きだぜ! 旦那様、頭からガブッといってくれ!』


 テーブルの上では、地元の食材たちがワイワイと賑やかに自己アピールをしている。

 ジャンさんの作る洗練された料理とはまた違う、素材の味を極限まで活かした素朴で力強い味わいだった。


「……美味いな」


 ジークハルト様が、目を細めてクリスタルトラウトの塩焼きを口に運ぶ。

 湯上がりで少し気怠げなその表情は、いつもの厳しい領主の顔とは別人のように柔らかい。


「はい。とっても美味しいです」


 私が微笑み返すと、彼は少し躊躇った後、自分の小鉢に入っていた色鮮やかな山菜の天ぷらを、不器用に私の皿へと乗せてくれた。


「……お前、これを見て美味しそうと思っていたただろう。俺はもう十分だ、食え」


「えっ? どうしてわかったんですか?」


 口に出していなかったのに。

 私が驚いて目を丸くすると、彼はフイッと視線を逸らした。


「……お前が何を考えているかくらい、見ればわかる。ずっと、お前のことを見ているんだからな」


『ヒュー! ご主人様、息をするように甘い台詞吐いたー! 「コーデリアの瞳の動き一つ、瞬き一つも見逃したくない!」って、常に奥様をガン見してるからな! ストーカー一歩手前だぜ!』


 部屋の隅に置かれたリュックの中から、グラムが茶化すように叫ぶ。


 ジークハルト様は、自身の言った台詞の気恥ずかしさに遅れて気づいたのか、耳を赤くして無言で食事を再開していた。


 不器用だけれど、真っ直ぐな愛情。

 彼と一緒にいると、本当に胸が温かくなる。


 ◇


 食事が終わり、女将さんが手際よくお膳を下げてくれた後。

 いよいよ就寝の準備が始まった。


「お待たせいたしました。お布団を敷かせていただきますね」


 女将さんが押し入れを開け、ふかふかの布団を取り出す。


 ……が、そこに敷かれたのは、二人用にしては不自然なほど隙間のない布団だった。

 敷布団はギリギリ二枚並んでいるが、掛け布団は特大サイズがドーンと一枚だけ敷かれているのだ。


「あの、女将さん……。掛け布団が、一枚……?」


「はい。お二人は新婚様で、しかもお忍びの旅行とお伺いしておりますので。当館自慢の特注品、『比翼連理の掛け布団』をご用意いたしました。これで、どんなに寝返りを打ってもはぐれることはございませんよ」


 女将さんが、意味ありげにウインクをして一礼し、部屋を出て行った。


『任せな奥様! 俺の保温力は最高だぜ! お二人を朝まで密着度120%で包み込んでやるからな! さあ、愛の巣へ飛び込んでこい!』


 特大の掛け布団が、バンバンと自らを叩いてドヤ顔(?)で宣言している。


「…………」


 ジークハルト様は、その一枚の掛け布団を見つめたまま、再び石像のように硬直していた。


『うははは! ご主人様、完全にフリーズしてる! 「い、一枚の布団に、コーデリアと!? いや、夫婦だから当然なのだが……温泉の時のように、また理性が焼き切れたらどうする!? 俺は獣にはならん、絶対にだ!」って、脳内で軍法会議が開かれてるぜ!』


 グラムの実況を聞きながら、私は少しだけ意地悪な気持ちになった。

 いつも彼に振り回されてドキドキさせられているのだから、たまには私から仕掛けてもいいはずだ。


「……ジークハルト様。お布団、入りましょうか」


「っ!? あ、ああ……! そ、そうだな。俺は、こっちの端で寝るから。お前は、広い方を……」


 彼がぎこちない動きで布団の端っこに潜り込み、壁の方を向いて丸くなる。

 大きな体が小さく縮こまっているのが、なんだか可愛らしい。


 私は魔鉱石の明かりを落とし、部屋を月明かりだけの薄暗闇にすると、彼の隣へと潜り込んだ。


『いらっしゃいませー! ほらほら、もっと中央に寄って! 俺の真ん中が一番暖かいんだから!』


 お節介な掛け布団が、不思議な引力を発揮して、私の体を自然とジークハルト様の方へと滑らせる。


「あっ……」


 私の肩が、彼の広い背中にコツンとぶつかった。


 ビクンッ、と彼の体が跳ねる。

 暗闇の中でも、彼が息を詰めているのがわかった。


「……狭かったですか?」


「いや……。大丈夫だ」


 くぐもった声。


 しばらく沈黙が流れた。

 外からは、しんしんと雪が降る気配と、遠くで風が木々を揺らす音だけが聞こえてくる。


 やがて、彼がゆっくりと寝返りを打ち、私の方を向いた。

 暗闇に目が慣れてくると、至近距離にある彼の端正な顔立ちがぼんやりと浮かび上がる。


「……起きているか、コーデリア」


「はい」


 布団の中で、彼の大きくて温かい手が、私の手を探り当て、そっと包み込んだ。


「……今日は、色々とすまなかった。俺が不甲斐ないばかりに、風呂でも……」


「いいえ。私、すごく楽しかったです」


 私が彼の言葉を遮るように言うと、彼は私の手をギュッと強く握った。


「……俺は、ずっと北の大地で、魔物を狩り続けるだけの人生だと思っていた」


 ぽつり、ぽつりと、彼が静かな声で語り始める。


「誰も寄せ付けず、誰にも理解されず。……それでいいと思っていた。だが、お前が来てくれて……俺の世界は、変わった」


 彼の指先が、私の頬をそっと撫でる。


「お前が笑うと、胸が苦しくなるくらい嬉しい。お前が他の奴と話していると、どうしようもなく焦燥感に駆られる。昔から嫉妬深いタチだったが……こんな感情、お前に出会うまでは知らなかった」


 それは、普段の無口な彼からは想像もつかないほど、素直で、不器用な愛の告白だった。

 グラムの実況も、今は聞こえない。

 彼自身の言葉で、彼の声で、私に伝えてくれている。


「ジークハルト様……」


「……愛している、コーデリア。俺の命に代えても、お前を守る。だから……ずっと、俺のそばにいてくれ」


 彼の熱い吐息が、前髪を揺らす。


「はい。……私も、愛しています。ずっと、一緒にいます」


 私がそう答えると、彼は安堵したように息を吐き、私の体を抱き寄せた。

 彼の腕の中にすっぽりと収まり、その力強い鼓動を耳元で聞きながら、私はそっと目を閉じた。


『……へへっ。今日は俺様の出番はなさそうだな。おやすみ、ご主人様、奥様』


 リュックの中から、グラムの小さな、優しい声が聞こえた気がした。

 私たちは一つ屋根の下、一枚の布団の中で、これ以上ないほどの安心感に包まれながら、深い眠りへと落ちていった。


 ◇


 翌朝。

 私たちは朝日と共に宿を立ち、変装のまま、再びこっそりと城の裏口へと戻ってきた。

 二人だけの甘い時間の余韻に浸りながら。


「よし。まだ誰も起きていないな……」


 ジークハルト様が周囲を警戒しながら、裏口の扉をそっと開ける。


 ギィィ……。


 しかし。

 扉の向こうに広がっていたのは、静寂に包まれた廊下ではなかった。


「…………お帰りなさいませ、旦那様、奥方様」


 そこには、両手に分厚い書類の束を抱え、背後に般若の幻影を背負った完璧執事・セバスチャンが立っていた。

 その目の下には、昨日よりさらに色濃いクマができている。


「なっ……セバスチャン!?」


「ワオォォン!(抜け駆けはずるいぞ! 俺も温泉行きたかった!)」


 セバスチャンの足元では、ポチが怒ったように吠えている。

 さらにその後ろからは、ジャンやリリィ、ガイルたち新人使用人が、ニヤニヤと生暖かい視線を送っていた。


「大変『充実した』ご視察だったようで、何よりでございます。……さて、旦那様。奥方様。昨日丸一日空けられた分の書類と決済が、山のように溜まっておりますが?」


 セバスチャンの笑みが深くなる。もはや恐怖しか感じない笑顔だ。


「あ、いや、これは……その」


 戦場では無敵の辺境伯様も、この時ばかりは冷や汗を流して後ずさった。


『あひゃひゃひゃ! ご主人様、現実に引き戻されたな! さあ、地獄の執務時間の始まりだぜ!』


 グラムの容赦ない高笑いが響き渡る。


 夢のようなお忍びデートは終わり、再び騒がしくも愛おしい、オルステッド家の日常が幕を開けたのだった。

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― 新着の感想 ―
調理されてなお「私を食べて」と言う魚は・・・ちょっとホラー。 まるで某子供向けヒーローアニメのようだ。
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