第44話 極秘の温泉お泊まりデートと、心臓に悪い混浴の誘い
襖が教えてくれた脱衣所に入ると、そこには湯上がりに着るための柔らかな綿の衣服、浴衣が二着綺麗に畳まれて置かれていた。
一つはジークハルト様の瞳と同じ、深い群青色。
もう一つは、淡い薄紫色に可憐な白い花があしらわれた可愛らしいものだ。
『あら〜、奥様とってもお似合いになりそう! 私の肌触りは最高よ!』
『俺の渋い色合いで、旦那様の色気をさらに引き出してやるぜ!』
浴衣たちも、着てもらう気満々である。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
私は一人、脱衣所で薄紫色の浴衣に着替えた。
帯をきゅっと締め、先ほど彼が買ってくれたアメジストの髪飾りを挿す。
鏡台さんが『とっても綺麗よ! 旦那様、きっと見惚れちゃうわ!』と太鼓判を押してくれたので、少しだけ自信を持って部屋に戻った。
◇
「お待たせいたしました、ジークハルト様」
部屋に戻ると、そこにはすでに群青色の浴衣を纏い、帯をキリッと締めたジークハルト様の姿があった。
普段の重厚な軍服やカッチリとした執務服とは違う、少しはだけた胸元とリラックスした佇まい。
鍛え上げられた広い肩幅が浴衣越しでもよく分かり、思わずドキリとしてしまう。
「……似合っているだろうか」
「はい……! とっても素敵です。なんだか、いつもより大人の色気があるというか……」
正直に感想を伝えると、ジークハルト様は目を見開いた後、今度は私の姿をジッと見つめて固まってしまった。
淡い薄紫の浴衣に、アメジストの髪飾り。自分でも少し浮かれている自覚はある。
「あの、変じゃありませんか……?」
「……いや。……すごく、綺麗だ。……その、よく似合っている」
絞り出すように呟かれた声は、微かに震えていた。
『おいおいご主人様! 「ゆ、浴衣姿のコーデリア……破壊力が高すぎる! うなじが……いや、直視してはいけない、だが目を逸らすのも不自然か!? ええい、俺の理性よ持ち堪えろ!」って、脳内で大パニック起こしてるぜ! 鼻血出さないように気をつけろよー!』
リュックの中のグラムが、大音量で実況中継を始める。
その実況を裏付けるように、ジークハルト様は「くっ……」と頭を抱え、ついにはその場にしゃがみ込んでしまった。
どうやら彼自身の脳内パニック(と理性の限界)が原因らしい。
「ジ、ジークハルト様!? 大丈夫ですか!?」
「……気にするな。少し、胸の動悸が激しいだけだ」
「それ、全然大丈夫じゃないですよね!?」
そんなドタバタを繰り広げていると、広縁の奥、ガラス戸の向こうから、ちゃぷん、と心地よい水音が聞こえてきた。
『おーい! いちゃつくのもいいけど、お湯が冷めちゃう前に早くおいでよー!』
声に誘われて戸を開けると、そこには雪景色に囲まれた美しい岩造りの露天風呂があった。
湯船からは白い湯気が立ち上り、仄かな明かりに照らされて幻想的な雰囲気を醸し出している。
『極上の湯加減でお待ちしておりました! さあ、ご夫婦水入らずでどうぞ! もちろん、一緒に入られますよね!?』
岩風呂が、とんでもない爆弾発言を投下した。
「い、いっ、一緒……!?」
私は顔から火が出そうなほど熱くなるのを感じた。
確かにここは客室専用の露天風呂。誰の目もない完全なプライベート空間だ。
温泉街の公衆浴場なら男女別だが、ここは……いわゆる『混浴』というやつではないだろうか。
隣を見ると、立ち直ったはずのジークハルト様が、再び石像のように硬直していた。
私の「一緒」という叫び声と、目の前に広がる一つの湯船を見て、彼も状況を察してしまったらしい
『あひゃひゃひゃ! ご主人様の思考がショートしたぞ! 「こ、こんよく……!? いや、しかしコーデリアが恥ずかしがるだろうし、俺から誘うなど破廉恥極まりない……だがしかし、せっかくの夫婦水入らず……ごくり」って、煩悩と理性が最終戦争を引き起こしてるぜ!』
私が真っ赤になって固まっていると、ジークハルト様は深く息を吐き、視線を逸らした。
「……な、なんだ。無理はしなくていい。俺は後でゆっくり入るから、お前が先に――」
彼が踵を返そうとする。
『おい! 強がってるけど、「本当は一緒に入りたい! でも嫌われたくない!」って必死に我慢してるんだぞ奥様!』
グラムの念話を聞いて、私はなぜか、すうっと心が落ち着いていくのを感じた。
この人は、どんな時でも私の気持ちを優先して、一人で勝手に葛藤してくれている。
王都で気味が悪いと虐げられ、誰にも心を開けなかった私を、丸ごと受け入れて愛してくれた人だ。
……なら、私からも、少しは勇気を出さないと。
「あの……ジークハルト様」
「……ん?」
「もし、よろしければ……」
私はギュッと浴衣の袖を握り締め、彼の真っ直ぐな瞳を見上げて言った。
「その……一緒に入り、ませんか……?」
しんと、静まり返る露天風呂。
数秒の沈黙の後、ジークハルト様の口から「ふごっ」という謎の音が漏れた。
『うおおおお! ご主人様の理性が木端微塵に砕け散ったァァァ!! 「天使からの誘い! 断る理由など万に一つもない!!」だってさ! やったなご主人様!』
ジークハルト様は、耳どころか首まで真っ赤に染めながら、何度もカクカクと頷いた。
「あ……ああ。……お前が、いいなら」
「はいっ」
グラムの歓声と、岩風呂の『ヒュー! 熱いねぇ!』という冷やかしの声を聞きながら、私たちは顔を見合わせて、不器用に笑い合った。
夜空には満天の星が輝き、雪景色の中で入る二人の温泉は、きっと、のぼせてしまうほど甘くて温かい時間になるのだろう。




