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第42話 深夜の厨房と、極秘デート作戦

 深夜の厨房は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 魔鉱石のランタンが灯る薄暗い空間に、カチャカチャと食器の触れ合う小さな音が響く。


「……熱くないか?」


「はい、ちょうどいいです。ふふ、美味しい」


 私とジークハルト様は、調理台の隅に並んで座り、冷めてしまっていた特製スープを温め直して啜っていた。

 具材はくたくたに煮込まれて形が崩れてしまっているけれど、それが逆に家庭的な味になっていて、冷え切った体に染み渡る。


「……すまない。せっかく持ってきてくれたのに、冷ましてしまって」


 ジークハルト様が、スプーンを止めて申し訳なさそうに眉を下げる。

 その横顔は、先ほどまでの「嫉妬に狂う公爵様」の面影はなく、いつもの、けれど少しだけ幼い表情をしていた。


「いいえ。こうして二人で食べる方が、ずっと美味しいですから」


 私が答えると、彼は嬉しそうに、そして少し照れくさそうに視線を逸らした。


『ヒュー! ご馳走様です! ちなみにご主人様、今「このスプーン、さっきコーデリアが口をつけたやつだ……間接キス……」って意識しすぎて手が震えてるぜ! ピュアかよ!』


 テーブルに置かれたグラムが、頼んでもいない実況を入れてくる。私は思わず吹き出しそうになるのをこらえ、スープを飲み込んだ。

 ジークハルト様の手元を見ると、確かにスプーンを持つ手が微妙に震えている。なんて愛おしい人なのだろう。


「……そうだ、明日のことだが」


 スープを飲み干した後、ジークハルト様が切り出した。

 表情がキリッと引き締まる。まるで軍事作戦の会議のようだ。


「極秘デートの件ですね」


「ああ。城の者たちに見つかれば、護衛だの随行員だのと騒ぎになり、二人きりの時間はなくなる。……脱出は、隠密行動で行く」


 隠密行動。その響きに、私の胸が高鳴った。まるで物語の主人公になったみたいだ。


「変装が必要だな。俺の顔は……少し、目立つ」


 少しどころではない。銀髪に赤眼、そしてこの彫刻のような美貌と威圧感。どこにいても一発で「公爵様だ!」とバレる自信がある。


「では、変装グッズを用意しないといけませんね。リリィさんが洗濯室に忘れ物の古着を保管していたはずです」


「……うむ。頼んだ」


 私たちは悪巧みをする子供のように顔を見合わせて笑った。

 こんなにワクワクするのは久しぶりだ。


 ◇


 翌朝。

 空が白み始めた頃、私たちは城の裏口に集合した。まだ使用人たちも寝静まっている時間帯だ。


「……どうだ、コーデリア」


 柱の陰から現れたジークハルト様を見て、私は目を丸くした。

 艶やかな銀髪は黒い染め粉(一時的に色を変える魔道具)で塗りつぶされ、前髪を重めに下ろしている。服装もいつもの軍服ではなく、使い古された茶色の旅装束だ。さらに、鼻筋には伊達眼鏡をかけている。


 雰囲気はガラリと変わり、どこかの真面目な薬売りか貧乏貴族の三男といった風情だ。

 ……それでも隠しきれない気品とスタイルの良さが滲み出ているけれど。


「す、すごいです! 一瞬、どなたかわかりませんでした!」


「そ、そうか? ……君も、似合っている」


 彼が私の姿を見て、頬を染める。

 私もまた、目立つプラチナブロンドを亜麻色のウィッグで隠し、地味な村娘風のワンピースに身を包んでいた。これなら、ただのお忍びカップルに見えるはずだ。


『へへっ、二人ともコスプレ楽しんでるなぁ! 俺様も布でグルグル巻きにされて「ただの棒」に変装中だぜ!』


 背中に背負われたグラム(布巻き状態)が不満げにぼやくが、彼の装飾は派手すぎるので仕方がない。


「よし、行くぞ。……ポチには、見つかるなよ」


 ジークハルト様が小声で注意を促す。

 鼻の利くポチに見つかれば、一発アウトだ。「俺も行く!」と騒ぎ出し、ガイルやセバスチャンまで起きてきてしまうだろう。


 私たちは忍び足で裏庭を抜け、通用門を目指した。

 中庭では、早起きの植物たちが目を覚ましかけている。


『あれ? 誰か通った?』

『今の足音、ご主人様っぽかったけど……匂いが違うなぁ』


 植物たちの声をBGMに、私たちは息を殺して進む。

 通用門の前に差し掛かった、その時だ。


「グルルッ……?」


 門番小屋の横にある「豪華ログハウス」から、白い鼻先がニュッと出てきた。

 ポチだ!

 彼は寝ぼけ眼で鼻をヒクヒクさせ、私たちの方向を見ている。


(ま、まずい……!)


 私が息を呑んだ瞬間、ジークハルト様がサッと懐から何かを取り出し、ポチとは逆方向に投げた。

 それは、昨夜の残りの骨付き肉(最高級)だった。


「ワフッ!?(肉!?)」


 ポチの注意が逸れる。その隙に、私たちは風のように門を駆け抜けた。


「……ふぅ。危なかったな」


「はい……。心臓が止まるかと思いました」


 城から十分ほど離れた街道沿いの林の中で、私たちはようやく足を止めて息をついた。

 成功だ。誰にも見つからずに脱出できた。

 顔を見合わせ、プッと吹き出し、そして声を上げて笑い合った。


「あはは! まるで家出少年と少女ですね!」


「……違いない。公爵ともあろう者が、犬に肉を投げて逃げ出すとは」


 ジークハルト様も、肩を震わせて笑っている。

 こんなに無邪気な彼の顔を見るのは初めてかもしれない。


 ◇


 そこからは、二人きりの旅路だった。

 目的地は、温泉街のさらに奥、山の中腹にある隠れ家的な離れ宿『雪月花』。

 徒歩で一時間ほどの距離だ。


 朝の空気は澄んでいて、街道沿いの木々がざわめいている。


『おっ、人間だ。カップルか?』

『仲良さそうだねぇ。手なんか繋いじゃって』


 木々の冷やかしも、今日ばかりは心地よい。

 ジークハルト様は、私の手をしっかりと握り、歩幅を合わせてゆっくりと歩いてくれる。


「……寒くないか?」


「はい、大丈夫です。あなたの手が温かいですから」


 私が握り返すと、彼は嬉しそうに指を絡めてきた。いわゆる「恋人繋ぎ」だ。


『ご主人様、内心でガッツポーズしてます。「繋いだ! 自分から繋いだぞ! 柔らかい! 小さい! 一生離したくない!」って、脳内がお祭り騒ぎです』


 グラムの実況に、私は口元を綻ばせる。


 領主として、聖女として、常に誰かの視線を意識しなければならなかった日々。

 けれど今は、ただの「ジーク」と「リア」だ。


 誰の目も気にせず、ただ隣にいる人の温もりだけを感じていればいい。


「……コーデリア」


「はい」


「……今日は、その……楽しませる自信はないが……」


 彼が立ち止まり、不器用に言葉を紡ぐ。


「俺は、君といられるだけで、充分に幸せだ。……君も、そう思ってくれるなら、嬉しい」


 真っ直ぐな瞳。変装の眼鏡越しでも、その熱量は変わらない。

 私は彼を見上げ、心からの言葉を返した。


「私もです。あなたと一緒なら、どこだって楽園ですわ」


 彼が目を見開き、そして破顔した。

 朝日が差し込み、彼の笑顔を照らす。それはどんな宝石よりも眩しく、美しかった。


「……行こう。宿では、君の好きな温泉まんじゅうも用意させてある」


「ふふ、準備万端ですね」


 私たちは再び歩き出した。目指す宿まであと少し。

 そこには、誰にも邪魔されない、二人だけの甘い時間が待っているはずだ。


 ……もっとも、城の方では今頃、


「だ、旦那様と奥様がいませんー!?」

「ポチが肉を咥えてドヤ顔してます!」

「これは……駆け落ち!? いや誘拐!?」


 と、セバスチャンたちが大パニックになっていることだろうけれど。

 ごめんなさい、今日一日だけは許してね。


 私たちは罪悪感と、それ以上の背徳的な幸福感を胸に、朝霧の向こうへと消えていった。

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