第36話 新人たちの暴走と、完璧執事の胃痛
オルステッド公爵家に、個性豊かすぎる四人の新しい使用人が加わってから、数日が過ぎた。
元・宮廷料理人のジャン、元・男爵令嬢の掃除屋リリィ、元・冒険者の庭師ガイル、そして引退した老魔術師マーリン。
彼らは全員、物の声が聞こえる私のお墨付きで採用された、物への愛に溢れるスペシャリストたちだ。彼らの加入により、慢性的な人手不足だった我が家は劇的に改善され、これからは優雅なスローライフが待っている……はずだった。
確かに、城は活気に満ちていた。
厨房からは食欲をそそる良い香りが絶えず漂い、廊下は大理石の本来の輝きを取り戻して鏡のように磨き上げられ、庭には季節を先取りした色とりどりの花が咲き誇っている。
一見、全てが順調に回っているように見える。……そう、あくまで「一見すると」だが。
◇
ある日の朝。
私は、執事のセバスチャンと共に、城内の定例巡回をしていた。セバスチャンは過労による療養から復帰したばかりだが、その表情は以前より少しやつれているように見える。完璧に整えられた白髪交じりの髪が心なしか元気がなく、目の下にはコンシーラーでも隠しきれない薄っすらとしたクマができていた。
「……セバスチャンさん? 顔色が優れませんが、本当に大丈夫ですか? まだ本調子ではないのでは?」
私が心配して声をかけると、彼はビクリと肩を震わせ、張り付いたような笑みを浮かべた。
「あ、いえ……体調自体は問題ございません、奥様。ご心配には及びません。ただ少々、新人たちの個性が予想以上に強烈すぎて、私の胃がキリキリと……いえ、これは私の指導力不足でございます」
彼が苦笑いを浮かべ、胃のあたりをさすった、その時だった。
ドォォォォォォン!!
城の東側、厨房の方角から、地響きを伴う凄まじい爆発音が響き渡った。
廊下の窓ガラスがビリビリと悲鳴を上げて震え、壁に飾られていた歴代当主の肖像画がガクンと傾く。私の胸元のアメジストも『ひゃあっ! びっくりした!』と震えた。
「な、何事ですか!?」
「ま、またジャンか……! あいつ、懲りずにまたやったな!」
セバスチャンの顔色が一瞬で変わり、胃痛を忘れたかのような速さで駆け出した。私もドレスの裾を翻してその後を追う。
厨房に飛び込むと、そこは七色の毒々しい煙に包まれていた。
視界が悪い中、何かが焦げたような匂いと、甘ったるいフルーツのような香り、そして硫黄のような刺激臭が複雑に混ざり合って漂ってくる。
煙の向こうで、料理人のジャンが目を回して床に大の字になっていた。顔も白衣も煤で真っ黒だ。
そして、元凶と思われるコンロの上の巨大な寸胴鍋からは、興奮した声が聞こえてくる。
『熱い! 熱いけどサイコー! 俺の中身が輝いてる! これぞエボリューション! 俺は伝説の鍋になるんだ!』
「ジャンさん! 大丈夫ですか!」
ジャンがよろよろと起き上がる。
爆発の衝撃を受けたはずなのに、彼の目は狂気的なまでにキラキラと輝いていた。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、興奮冷めやらぬ様子だ。
「お、奥様! セバスチャン様! 成功しました! ついに完成しましたよ! 新作『オーロラスープ・極』です!」
「オーロラ……?」
彼が誇らしげに指差した鍋の中には、確かに七色に発光する液体がグツグツと煮えたぎっていた。
どう見ても毒の沼地だ。あるいは魔界の入り口だ。これを飲んだら状態異常にかかる予感しかしない。いや、即死かもしれない。
しかし、漂ってくる香りは極上のコンソメスープのもので、そのギャップが余計に恐ろしい。
「ジャン……。説明しなさい。これは一体何ですか。厨房を爆破してまで作りたかったものがこれですか」
セバスチャンがこめかみを押さえて低い声で問う。その声には、押し殺した怒りと、深い諦めが混じっている。
「は、はい! 隠し味に、先日鉱山で採れた虹色魔鉱石の粉末を少々……。魔力を中和する行程を経れば人体に害はないはずですし、何よりこの輝き! 食べるだけでテンションが上がると思いませんか!? 夜のパーティーの主役にぴったりかと!」
「何度言ったらわかるのですか……! 料理に魔鉱石を混ぜる時は、事前に実験室で安全確認をしろと! 爆発したのは魔力飽和を起こしたからです! それに、そんな光るスープ、誰が飲みたがるんですか! お客様が恐怖で失神しますよ!」
セバスチャンの雷が落ちる。
ジャンは「す、すみません! ついインスピレーションが降りてきて! 料理の神様が『入れろ、今すぐ入れろ』って囁いたんです!」と縮こまっている。
『怒らないであげてセバスチャン! こいつ、味の探求者なんだよ! 失敗は成功の母って言うじゃん!』
『そうよ! ちょっと爆発したくらいで目くじら立てないで! 私の底が焦げ付かなかったからセーフよ!』
フライパンや鍋たちが一斉にジャンを庇う中、セバスチャンは大きなため息をつき、頭を抱えた。 ジャンは料理の腕は超一流だが、探究心が強すぎて時々暴走するマッドサイエンティスト気質があるのだ。
◇
気を取り直して、次は客間のエリアへ向かう。
静かな廊下を歩いていると、向こうから凄まじい風切り音が聞こえてきた。
シュババババッ!
「きゃあああ! 待ちなさいよ、この頑固な汚れぇぇ! 私の目は誤魔化せなくてよ! そこっ、右に逃げたわね!」
元・男爵令嬢のリリィが、ドレスの裾を太ももまで大胆にまくり上げ、モップを槍のように構えて廊下を疾走してくる。
彼女が血眼になって追いかけているのは――なんと、逃げ回る「埃の塊」だった。
長年の魔力溜まりで実体化してしまった埃の妖怪だ。フワフワとした毛玉のような姿で、ピョンピョンとすばしっこく跳ね回っている。
「リ、リリィ! 廊下を走るなとあれほど!」
「セバスチャン様! どいてくださいまし! 今ここを通さないと、あの汚れが客間のカーペットに逃げ込みますわ! そんなことになればオルステッド家の恥です! 私のプライドが許しません!」
リリィは聞く耳を持たない。
彼女はドレスの裾を翻して壁を蹴り、三角飛びの要領でジャンプし、空中でモップを一閃させた。
「必殺! モップ旋風脚・改!」
ズバァッ!
見事な一撃で埃の塊が霧散する。
しかし、その衝撃波で近くに飾られていた、代々伝わる高そうな花瓶がガタリと揺れ、台座から滑り落ちた。
『ひぃっ! 落ちる! 落ちるぅぅ! 私、割れ物よぉぉ! 繊細なガラス細工なのよぉぉ!』
「危ない!」
私が叫ぶより早く、どこからともなく庭師のガイル(なぜか廊下にいた)が飛び出し、花瓶を地面スレスレでナイスキャッチした。スライディングのような見事な動きだ。
「ふぅ……危ねぇ危ねぇ。怪我はねぇか、花瓶ちゃんよ」
『あぁん、ありがとうマッチョなお兄さん! 抱き留め方が男前だわ! 惚れちゃう! 結婚して!』
花瓶が頬を染めている(ように見える)。ガイルはニカっと笑い、リリィに向き直った。
「おい嬢ちゃん! 掃除はいいが、周りをよく見ろよな!」
「あ、あら……ごめんなさい。つい夢中になって……。汚れを見ると、体が勝手に動いてしまって……」
リリィがシュンとしてモップを下ろす。
セバスチャンは懐から常備薬となった胃薬を取り出し、震える手で口に放り込んだ。水なしで飲み込む手つきが手慣れすぎていて涙を誘う。
「……リリィ、掃除への熱意は買いますが、破壊活動は禁止です。この花瓶一つであなたの給料何カ月分だと思っているのですか。それとガイル、なぜ庭師のあなたが屋内にいるのですか。持ち場は庭でしょう」
「いやぁ、庭の木が『廊下の観葉植物が喉乾いたって泣いてるぞ』って教えてくれたからよぉ。ついでに水やりに来たんだ。ほら、植物に境界線はねぇからな」
ガイルが手に持ったジョウロを悪びれずに掲げる。
どうやら、城内外の植物ネットワークで情報を共有しているらしい。便利だが、職務範囲が曖昧すぎて管理が大変そうだ。
◇
最後に、図書室。
ここなら静かだろうと期待して扉を開けると、そこでは老魔術師マーリンが、本棚に向かって朗読会を開いていた。
「……むかしむかし、あるところに……」
彼が渋い声で語ると、本棚の本たちがパタパタと表紙を開閉させて聞き入っている。
ここだけは平和だ。知的な空気が流れている。そう安堵したのも束の間。
「……すると、邪竜が口から全てを焼き尽くす業火を吐き、勇者に襲いかかったのじゃ!」
ボウッ!
マーリンが演出のために指先から出した幻影の炎が、ちょっと魔力を込めすぎたせいで実体化し、近くのカーテンに引火しかけた。
「わあぁぁっ!? じいさん! 火事になる! 本が燃えますぞ!」
セバスチャンが悲鳴を上げ、慌てて簡易的な消火魔法(指先から水を出す生活魔法)を放つ。
ジュッ……と火は消えたが、本たちは『キャー! リアルな演出!』『3D映画みたい!』『もっと燃やして! スリル満点!』と大喜びだ。
「……マーリン殿。図書室での火気は厳禁です……! 何度言えばわかるのですか! ここは貴重な書の保管庫なのですよ! 幻影魔法を使うなら出力調整をしてください!」
「フォッフォッフォ、すまんのぅ。つい物語に入り込んでしまってな。臨場感を出そうと思ったんじゃが、歳には勝てんな」
全く悪びれない老魔術師。
セバスチャンはその場に膝から崩れ落ちた。
「……奥様。私は……私は彼らを御しきれる自信が……。私の指導力が足りないばかりに、いつか城が爆発するか水没するか燃え尽きるか……」
完璧超人だった彼が、弱音を吐いている。
私はしゃがみ込み、彼の肩に手を置いて優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ、セバスチャンさん。彼らは確かに破天荒ですが、悪気はないのです。それに、ほら」
私は、ピカピカになった廊下や、元気になった観葉植物、そして嬉しそうな本たちを指差した。
「城のみんなは、彼らのことが大好きみたいですよ。今まで静かすぎたこの城が、息を吹き返したみたいです」
『うん大好き! 毎日が遊園地みたい!』
『ジャンのご飯おいしいし! 毎日がパーティーよ!』
『リリィの掃除はスリル満点だけど気持ちいいよ! 背中のかゆいところに手が届くの!』
家具や道具たちから、口々に擁護の声が上がる。
モノたちが楽しんでいると聞いて、セバスチャンは大きくため息をつき、それから少しだけ口元を緩めた。
「……確かに。城の空気は、以前よりずっと明るくなりましたな。……少々、騒がしすぎますが」
彼は立ち上がり、服の埃を払った。その背筋は再びピンと伸びている。
「やれやれ……。私の胃が穴だらけになる前に、彼らに貴族の使用人としてのマナーというものを、骨の髄まで叩き込まねばなりませんね。……教育係としての腕が鳴ります」
眼鏡の奥の瞳がキラリと光った。どうやら、完璧執事の闘志に火がついたようだ。
こうして、オルステッド家の毎日は、爆発と悲鳴と笑い声に包まれながら過ぎていく。
セバスチャンさんの胃痛が治る日は、まだ当分先になりそうだったけれど、彼もまた、この騒がしい日常をどこかで楽しんでいるのかもしれない。




