第33話 完璧執事の悲鳴
穏やかなティータイムで英気を養い、ジークハルト様との甘い時間で心の充電も完了した翌日。
私は、朝から城の廊下を歩きながら、妙な違和感を覚えていた。
いつもなら陽気にお喋りをしている城の家具や調度品たちが、今日はどこかソワソワと落ち着きがなく、声を潜めてヒソヒソ話をしていたのだ。
『……見た? さっきの顔色……』
『……真っ青だったよ……幽霊かと思った……』
『……膝が笑ってるよ……ガクガクだったよ……』
『……また胃薬飲んでたよ……今週で三瓶目だよ……』
廊下の床や壁、花瓶たちが心配そうにざわめいている。
幽霊? まさか。この城の幽霊騒動はとっくに解決済みのはずだ。誰のことだろう?
その時、前方から執事のセバスチャンが歩いてきた。
背筋をピンと伸ばし、燕尾服を完璧に着こなし、手には銀の盆を持っている。白髪交じりの髪を撫で付け、穏やかな笑みを浮かべた、いつもの完璧な執事の姿だ。
「おはようございます、奥様。本日のご予定は……午前にギルド長との面会、午後は温泉街の視察となっております」
セバスチャンが滑らかに礼をする。声にも張りがある。
一見、何の問題もないように見える。
……しかし。
『ギャアアアア! 重い! 足取りが鉛みたいに重いよセバスチャン!』
『脂汗すごいよ! 滝だよ! 私の繊維に染み込んでくる!』
『靴の中がむくんでパンパンだ! 悲鳴を上げてるぞ!』
『トレーが震えてる! 小刻みに震えてる! もう限界突破してるよ! 倒れる! 倒れるぞぉぉ!』
彼の身につけている服、靴、そして持っているお盆が、一斉に断末魔のような悲鳴を上げていたのだ。
彼の笑顔は、極限状態で貼り付いた仮面だったのだ。
「セバスチャンさん!?」
私が異変に気づいて駆け寄ると、セバスチャンは「おや、いかがなさいま……」と言いかけ、白目を剥いてその場にグラリと崩れ落ちた。
「きゃっ!?」
間一髪、近くの窓枠に止まっていたガーゴイル(廊下の警備担当)が『親父ぃぃッ!』と叫んで飛び出し、彼を空中でキャッチした。
「だ、旦那様ー! セバスチャンさんが! セバスチャンさんが倒れましたー!」
◇
医務室の白いベッドで、セバスチャンは点滴(高濃度の魔力回復薬と栄養剤)を受けていた。
駆けつけた医師の診断結果は、極度の過労とストレス性胃炎。
原因は明白だ。
領地の急激な発展に伴い、城への来客は倍増し、処理すべき書類仕事は山のように積み上がり、増えた使用人たちの管理業務も加わった。にも関わらず、責任感の強い彼は「私がやらねば」と全てを一人で抱え込み、完璧にこなそうとして、ついにキャパオーバーを起こしてしまったのだ。
「……申し訳ございません、旦那様、奥様。執事としてあるまじき失態を……不甲斐ない……」
セバスチャンが青い顔で、今にも切腹しそうな勢いで詫びる。
ジークハルト様は、痛ましげに彼を見下ろした。セバスチャンは、彼が幼い頃から支えてくれた親のような存在でもある。
「……俺の配慮不足だ。……すまない、セバスチャン。休め」
「しかし、私が休めば城が回りません……! 明日の来客の準備も、来週の晩餐会の手配も……ぐっ……!」
彼は点滴を引き抜いて起き上がろうとするが、ベッドが『寝てろ! 絶対離さないからな! この頑固じじい!』とシーツを絡ませて拘束した。
「セバスチャンさん、ベッドさんの言う通りです。今は休んでください。命令です」
私は彼の手を握り、真剣に告げた。
「でも……」
「仕事なら心配いりません。ジークハルト様と私、それにみんなで分担しますから」
私が言うと、セバスチャンはようやく体の力を抜いた。目尻に光るものが浮かんでいる。
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」
彼が眠りに就いたのを見届け、私たちは部屋を出た。
廊下で、ジークハルト様が重い溜息をつく。
「……彼に、頼りすぎていたな」
「ええ。領地の発展は嬉しいですが、これ以上あなたやセバスチャンさんに負担をかけさせるわけにはいきません」
私は決意を込めて言った。
「ジークハルト様。決めました。……新しい使用人を雇いましょう」
「使用人?」
「はい。セバスチャンさんの右腕になるような、優秀な人材を! ただの雑用係ではありません。このオルステッド家の特殊な環境にも動じず、即戦力として働ける、タフで有能なスペシャリストが必要です!」
ジークハルト様は少し考え込み、そして力強く頷いた。
「……うむ。金ならある。最高の人材を集めよう」
頼もしい(相変わらずの成金)発言。
こうして、オルステッド家初となる「大規模人材募集」が始まることになった。王都のギルド、近隣の村々、あらゆる場所に求人票がばら撒かれる。
『求む、スーパー使用人。給与:応相談(高額)。条件:心身ともに健康で、不思議な現象に動じない方。温泉入り放題特典あり』
この求人が、まさかあんな個性的な面々を引き寄せることになろうとは、この時の私たちはまだ知らなかった。




