第32話 忙中閑あり、二人のティータイム
連日のトラブル対応と、増え続ける観光客向けの新しいお土産開発で、私は少し疲れていたらしい。
午後の執務室。窓から差し込む柔らかな日差しの中で、私は書類の山(主に、新しいお土産「光るキノコストラップ」のアイデアスケッチ)に向かっていたのだが、いつの間にか意識が遠のき、ウトウトと舟を漕いでいたようだ。
「……リア。……コーデリア」
低く、優しい声に呼ばれて、私はハッと目を覚ました。
目の前に、ジークハルト様の整った顔がある。
彼はデスクの脇に立ち、心配そうに眉を下げて、私の頬にそっと触れていた。その指先は少し冷たいけれど、触れ方は壊れ物を扱うように優しい。
「あ……申し訳ありません、ジークハルト様。私、居眠りを……」
慌てて姿勢を正そうとすると、彼は首を横に振った。
「謝るな。……働きすぎだ。顔色が悪い」
彼は私の手からペンを強引に取り上げると、有無を言わせぬ力強さで私の手を取った。
「……行くぞ」
「え? どこへ?」
「……休憩だ。君には、休息が必要だ」
◇
連れて行かれたのは、城の奥にある温室だった。
そこは、ジークハルト様が「北の冬は色がなくて寂しいだろうから」と、私のために魔鉱石の暖房システムを導入して整えてくれた特別な場所だ。
ガラス張りの天井からは太陽の光が降り注ぎ、色とりどりの花が咲き乱れている。外はまだ雪が残っているというのに、ここだけは常春の楽園だ。
中央の白いガゼボには、すでにセバスチャンが用意してくれた紅茶とお菓子が並んでいた。
『奥様、お疲れ様です! 私の花びらを見て癒されて!』
『今日の湿度は完璧よ! お肌プルプルになれるわ!』
『紅茶の温度、抽出時間、完璧にしておきましたわ! 最高の香りをお届けします!』
花たちやティーポットが、口々に歓迎の声を上げてくれる。
ジークハルト様は私の椅子を引き、エスコートして座らせてくれた。
「……何も考えず、休め。仕事のことは忘れるんだ」
彼自身も向かいに座り、優雅な動作で紅茶を口にする。
静かな時間。
ただ、小鳥のさえずりと、遠くの庭から聞こえるポチののんびりとした鳴き声だけが聞こえる。
湯気とともに立ち上るアールグレイの香りが、張り詰めていた神経を解きほぐしていくようだ。
私は紅茶を一口飲み、ほうっと深く息を吐いた。体の芯から力が抜けていく。
「……ありがとうございます。最近、少し根を詰めすぎていたみたいです。皆さんの期待に応えたいと思うと、ついつい」
「……ああ。君は、頑張りすぎる。……もっと、俺を頼れ」
ジークハルト様が、カップを置いて私を見つめた。
その赤い瞳には、深い愛情と、そして少しの寂しさが宿っているように見えた。
彼は何か言いたげに口を開きかけては閉じて、視線を泳がせている。
『翻訳するぜ、奥様。ご主人様、実はここ数日、めちゃくちゃ拗ねてたんだよ』
テーブルの端に置かれたグラムが、小声で(と言っても脳内に直接響くので鮮明に)教えてくれる。
『「領地が発展するのは嬉しい。コーデリアが皆に愛されるのも誇らしい。……でも、コーデリアが『旅館の床』とか『温泉の岩』ばっかり構ってるのが面白くない! 俺も構ってほしい! 俺も癒やされたい! 頭撫でてほしい! 膝枕してほしい! あーんしてほしい!」……って、昨日の夜、枕に顔埋めてジタバタ悶えてたぜ』
「ぶっ」
私は危うく紅茶を吹き出しそうになった。
目の前の、彫刻のように美しくクールな公爵様が、夜な夜な枕相手にそんなたうち回っていたなんて。
可愛すぎる。愛おしすぎて胸が苦しい。
「……な、なんだ? 紅茶が熱かったか?」
ジークハルト様が不思議そうに首を傾げる。
私はカップをソーサーに置き、席を立った。
そして、彼の隣に移動する。
「……ジークハルト様」
「っ!? ど、どうした……」
彼がビクリと体を強張らせる。
私は構わずに、彼の腕にそっと寄りかかり、肩に頭を乗せた。
彼の腕の筋肉がカチコチに固まっているのが伝わってくる。
「私も、あなた成分が足りなかったみたいです。……こうして、充電させていただけますか?」
私が上目遣いで言うと、ジークハルト様は耳まで真っ赤にして、口をパクパクさせた。
しばらく石像のように固まっていたが、やがて震える手で、恐る恐る私の背中に手を回し、優しく、しかし力強く抱き寄せてくれた。
「……俺もだ」
ボソリと呟かれた本音。
温かい体温と、彼の落ち着く匂いに包まれる。
ドクン、ドクンと、彼の心臓の音が早鐘を打っているのが聞こえた。
『ヒュー! ご馳走様です! もっとくっついちゃえ!』
『あらあら、お熱いこと。お茶が冷めちゃうわね』
グラムやティーポットたちが冷やかすが、今は気にならない。
ジークハルト様の手が、私の髪をゆっくりと撫でる。その不器用なリズムが、何よりも心地よかった。
「……コーデリア。今度の休み、二人で出かけないか」
「えっ?」
「……温泉街に、新しい店ができたそうだ。……君と、行きたい」
彼が勇気を出して誘ってくれた。デートのお誘いだ。
「はい! ぜひ! 私も行きたいと思っていました」
私が答えると、彼は安堵したように、微かに口元を緩めた。
しばらく、私たちは言葉もなく寄り添っていた。
どんなに領地が発展しても、観光客が増えても、この場所――彼の隣こそが、私にとって一番の安らぎの場所であり、帰るべき場所なのだ。
次の休日のデートを楽しみに、もう少しだけ頑張れそうな気がした。




