第30話 観光地化と、床板の悲鳴
王都での騒乱から数ヶ月。
かつては「呪われた土地」と忌み嫌われ、雪と静寂に閉ざされていた北の最果て、オルステッド公爵領は今、かつてない熱気と喧騒に包まれていた。
――ドォォォォォン!!
地響きのような轟音と共に、漆黒の物体が街道を疾走してくる。
それは、かつて私が王都から嫁いでくる時に乗ってきた、あの「世界最速の馬車」だ。
今は増便され、王都とこの領地をわずか半日で結ぶ「観光特急・オルステッド号」として、定期運行している。
『着いたぜぇぇぇ! 俺のラップタイム、更新したか!? 風だ! 俺は今日も風になった!』
『ようこそ北の大地へ! 吐き気のある方はエチケット袋へどうぞ! 三半規管の強さには自信のある方のみご乗車ください!』
馬車本体と車輪たちがハイテンションで叫びながら停車すると、プシューッという蒸気のような音(馬車の鼻息)と共に扉が開いた。
中からフラフラになった観光客たちが、よろめきながら降りてくる。
彼らは一様に顔面蒼白で、足元もおぼつかない様子だが、目の前に広がる光景を見ると、その瞳に生気が戻り、感嘆の色が浮かんだ。
「す、すごい……! ここが噂の『魔鉱石と温泉の都』か!」
「なんて活気だ! 以前は人もまばらな寂れた土地だと聞いていたが……まるで別世界じゃないか!」
彼らの目の前に広がるのは、湯気が立ち上る温泉街と、それを彩るように輝く魔鉱石の街灯たち。
通りには新しい宿屋や土産物屋が軒を連ね、売り子たちの威勢のいい声が響いている。
名産の「雪解けカブ」や「温泉まんじゅう」を頬張りながら歩く人々、足湯に浸かって談笑する老人たち、そして元気に走り回る子供たち。
そこには、かつての陰鬱な空気は微塵もなかった。
私は、城のテラスからその賑やかな様子を眺めていた。頬を撫でる風は冷たいけれど、街の熱気がそれを和らげているようで心地よい。
「ふふ、今日も大盛況ですね。馬車さんたちも張り切っているみたい」
私が微笑むと、隣に立つジークハルト様が、少し複雑そうな顔で頷いた。
彼はいつもの黒い軍服ではなく、領主としての執務服を着ている。銀色の髪が風に揺れ、その美しい横顔には、領地の発展を喜ぶ気持ちと、同時に増えた懸念事項への警戒心が見え隠れしていた。
「……ああ。人が増えるのは良いことだ。領民たちの暮らしも豊かになった。……だが」
彼の鋭い視線が、街を行き交う人々の中の、数名のガラの悪そうな男たちに向けられる。
その腰には、相変わらず禍々しい装飾の魔剣グラムが佩かれている。
『ご主人様、内心ヒヤヒヤだぜ。「人が増えると治安が悪くなる。変な虫がコーデリアに近づかないか心配だ。城の周囲に有刺鉄線のバリケードを築くべきか? それとも入国審査で俺の威圧に耐えられた奴だけ通すか?」って真剣に脳内会議中だよ! 過保護!』
グラムの軽快な通訳に、私は苦笑した。
ジークハルト様の心配性も相変わらずだ。でも、その過保護さが私を大切に思ってくれている証拠だと知っているから、嫌な気はしない。
「心配の必要はありませんわ、ジークハルト様。私たちには、もっと頼もしい『目』がありますもの」
私がそう言ってウィンクすると、城壁の隅や街灯の上に止まっているガーゴイルたちが、一斉に『異常なしッス!』『怪しい奴はマーク済みッス!』と敬礼してくれた。
彼らは今や、領地の警備隊として大活躍している。交代制で空から街を見守り、スリや喧嘩があれば即座に急降下して仲裁(物理)に入るのだ。
その時、風に乗って遠くから悲鳴が聞こえてきた。
人間の声ではない。もっと切実で、軋むような「物」の声だ。
『痛いッ! 痛いよぉ! やめてぇぇ!』
『土足だ! 泥がついた靴で踏まないで! 私の木目が汚れるぅ!』
『重い! 乱暴に扱わないで! ささくれ立っちゃう!』
街の中心部、新しくできた高級宿屋の方角だ。建物の床板たちが、声を限りに泣き叫んでいる。
「……ジークハルト様」
「……ああ。聞こえたか」
私の表情が曇ったのを察知して、ジークハルト様も即座に表情を引き締めた。
「出動です。……マナーの悪いお客様に、少しお灸を据えて差し上げないと」
「……わかった。行くぞ」
私たちは慣れた様子でテラスを飛び降りた。 ジークハルト様が私を軽々と抱き上げ、ふわりと中庭に着地する。
そこにはすでに、ポチが「ワンッ!(乗れ!)」と言わんばかりに背中を向けて待機していた。
◇
現場は、先週オープンしたばかりの高級宿屋『白銀亭』だった。真新しい木造建築で、入り口には「土足厳禁」の看板が掲げられている。
しかし、そのエントランスでは、成金風の男性客が、泥だらけのブーツのままロビーに上がり込み、従業員を怒鳴りつけていた。
「なんだこの宿は! 客に靴を脱げだと? 俺は王都の貴族だぞ! そんな田舎のルールに従えるか!」
「で、ですがお客様、当館は全館畳敷きでして……泥がつきますと……」
「知るか! 汚れたら拭けばいいだろうが! 俺に恥をかかせる気か!」
男性がガンガンと床を踏み鳴らす。
そのたびに、床板の悲痛な叫びが私の頭にガンガンと響く。
『痛いぃぃ! 小石がめり込んでるぅ!』
『ワックス掛けたばっかりなのに! 傷つく! 許さない!』
『もう我慢できない! 棘出して刺してやる! 足の裏を蜂の巣にしてやる!』
床板の怒りが頂点に達しようとしていた。
このままでは、物理的に木目を逆立てて、客の足を串刺しにするというホラー展開になりかねない。
「お客様、そこまでになさってください」
私が凛とした声で進み出ると、ロビーの空気が一変した。
従業員たちが「あ、奥方様!」「領主様も!」と安堵の表情を浮かべる。
男性客は「あぁん?」と不機嫌そうに振り返り、私の姿を見て鼻で笑った。
「なんだお前は。小娘が口を出すな。俺は今、教育をしてやっているんだ」
その瞬間。
ゴゴゴ……と空気が重く、冷たく澱んだ。
私の背後から、氷点下の殺気を纏ったジークハルト様が、音もなく姿を現したのだ。
その瞳は、絶対零度よりも冷たく凍てついている。
「……俺の妻に、何か言ったか」
「ひぃッ!?」
男性客が腰を抜かしそうになり、後ずさる。
”愛妻家公爵”として名高い(そして見た目が恐ろしく、かつては”沈黙の辺境伯”として恐れられた)ジークハルト様の登場に、ロビーは静まり返った。
周囲の野次馬たちも、サッと道を空ける。
「あ、あなたが領主様……!? い、いや、私はただ、この宿の対応が……」
「言い訳は結構です」
私は男性の足元を指差した。
「そこの床板さんが言っています。『右足の踵に鋭利な小石が挟まってるんだよ! それをグリグリ押し付けるな! あと水虫の薬の匂いが臭い! 鼻が曲がる!』……だそうです」
「なっ……!?」
男性客は顔を真っ赤にして自分の足を見た。
周囲の客たちが「うわぁ……」「臭いのか……」と引き気味に見る中、私はニッコリと、しかし目は笑わずに微笑んだ。
「この街の建物は、皆様を歓迎するために毎日おめかし(掃除)をしています。彼らにも心があるのです。どうか、敬意を持って接してあげてくださいね。……そうしないと」
私が床板に目配せをした、その時だ。
パカッ。
男性客の足元の床板が、まるで落とし穴のように突然開いた。
そして、彼の履いていた泥だらけのブーツだけを、スポン! と器用に飲み込み、すぐさま閉じた。
「あ……?」
男性客は、靴下姿で呆然と立ち尽くしている。
次の瞬間、宿の勝手口の方から「ペッ!」という音と共に、二つのブーツが外へ吐き出される音が聞こえた。
『出てけ! 裸足になって出直してこい!』
『二度と俺の顔(表面)をその汚い靴で踏むな!』
床板たちが勝利の凱歌を上げる。
「う、うわあああ!? 俺の特注ブーツがぁぁ!」
男性客は靴下姿で情けなく叫びながら、慌てて自分の靴を追いかけて外へと走っていった。
その滑稽な姿を見て、ロビーはドッと爆笑に包まれた。
『さすが奥様! 話がわかる!』
『スッキリしたー! ありがとうコーデリア様!』
モノたちの感謝の声を聞きながら、私はジークハルト様と顔を見合わせた。
ジークハルト様は、やれやれといった様子で肩をすくめ、しかしその目は優しく細められていた。
「……賑やかすぎるのも、考えものだな」
「ふふ、でも、これが私たちの街ですから」
私たちは手を繋ぎ、歓声に包まれる宿屋を後にした。
観光地としての成功は喜ばしいけれど、それに伴うトラブルの種も尽きそうにない。
でも、私たちがこうして声を聞き、守り続ける限り、この街の温かさは失われないはずだ。
……さて、次はどこのトラブルかしら。




