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第24話 地下迷宮の案内人と、嘆きの聖剣

 王都の外れ、草木に覆われた古びた排水溝の入り口。

 かつて私が城の下働きをさせられていた頃、ここからこっそり抜け出して街へ買い物に行っていた秘密の通路だ。


「……うぅ、臭う。臭うぞ、コーデリア」


 国王陛下がハンカチで鼻と口を覆い、涙目で訴えている。

 無理もない。ここは王都の生活排水が流れ着く場所だ。腐敗臭と湿気が充満し、地面はヌルヌルとした苔と汚泥に覆われている。


「我慢してください、陛下。ここが一番警備が薄いのです」


「しかしだなぁ……余は国王だぞ? ドブネズミのように這い回るのは……」


「陛下。文句を言うなら置いていきますよ?」


「ひぃッ! 冗談だ! 行く、行きます!」


 私が微笑むと、陛下は慌てて前言撤回した。


 私たちは暗闇の中へと足を踏み入れた。

 先頭はジークハルト様、その後ろに私と陛下が続く。


 ジークハルト様は、自分のマントを脱ぐと、頭からすっぽりと私に被せてくれた。


「……匂いがつく。被っていろ」


「ありがとうございます。でも、ジークハルト様は……」


「俺は構わん」


 そう言って歩き出す背中は頼もしいが、彼の腰にある魔剣グラムはそうはいかないらしい。

 入り口に立った瞬間から、彼は鞘の中でガタガタと高速振動を始めていた。


『オェェェェ! 臭っ! 何ここ!? 地獄!? 湿気で俺の美しい刀身にカビが生えるぅぅ! 帰ろうぜご主人様! 俺、こんな場所で絶対に鞘から出ないからな!』


 グラムが必死に抗議している。

 国宝級の魔剣が下水道を行く。確かに、彼の高いプライド的には許せないシチュエーションだろう。


 私たちは暗い水路を慎重に進んだ。


 足元の汚泥からは、『ベトベトするよぉ』『滑らせてやるぅ』という悪意ある粘着質の声が聞こえ、壁の煉瓦からは『暗いよぉ』『カビちゃったよぉ』という陰鬱な声が響いてくる。

 王都の結界が弱まっている影響か、ここにも重苦しい瘴気が漂っていた。


「……待て」


 不意に、ジークハルト様が足を止めた。

 前方の闇の中に、何かが蠢いている。


 ボコッ、ボコッ……。


 汚水の中から湧き上がるように現れたのは、ドロドロとした黒いヘドロの塊だった。それらが集合し、人のような形を成していく。

 ヘドロのゴーレムだ。しかも一体ではない。十、二十……通路を埋め尽くすほどの数だ。


「……ミナの手先か」


 ジークハルト様が低く呟き、腰の剣に手をかける。しかし、抜けない。


『嫌だ嫌だ嫌だ! あんな汚物の塊なんか斬りたくねぇぇぇ!』


『俺は聖剣だぞ! もっと高尚なものを斬らせろ! ドラゴンとか魔王とか! なんでよりによってヘドロなんだよぉぉ!』


 グラムが鞘の中で踏ん張っている(ような気がする)。

 ジークハルト様のこめかみに青筋が浮かんだ。


「……仕事だ。出ろ」


『嫌だぁぁぁ! これ労災だぞ! 精神的苦痛で訴えてやる!』


 問答無用。

 ジークハルト様は剛腕で無理やり彼を引き抜いた。


 ギィィィン!!


 嫌な金属音と共に、紫色の燐光が闇を照らす。

 ヘドロのゴーレムたちが、その光に反応して襲いかかってきた。彼らは汚水を弾丸のように飛ばしてくる。


「……汚らわしい」


 ジークハルト様が一閃する。


 ズバァァッ!!


 衝撃波が通路を駆け抜け、先頭のゴーレムたちを霧散させる。

 しかし、飛び散ったヘドロの一部が、グラムの刀身に付着した。


『ギャアアアアアア! ついた! 今なんかヌルッとしたのがついたぁぁぁ! 汚れるぅぅ! 俺の神聖なボディがぁぁ! 消毒! 誰かアルコール消毒液持ってきてぇぇ!』


 グラムが発狂し、勝手に刀身を発熱させて「高熱殺菌モード」に入った。

 しかし、敵は流体だ。斬っても斬っても、またすぐに再生して合体してしまう上、斬るたびにグラムが精神的ダメージで切れ味を落としていく。


『もう無理! 戦意喪失! おうち帰って風呂入るぅぅ!』


 このままではジリ貧だ。

 狭い通路での戦闘は不利すぎる。


 その時。


 ザバァァァァァッ!!


 突然、私たちの横の水路から、巨大な水柱が上がった。

 陛下が「ひぃぃッ!?」と腰を抜かし、私の背中にしがみつく。


 現れたのは、巨大な白い影。

 全長十メートルはあろうかという、白変種アルビノのワニだった。


「グルルルゥ……!」


 ワニが巨大な顎を開き、鋭い牙を剥き出しにする。

 ジークハルト様が私を背後に隠し、剣を構え直した。


「……新手の化け物か」


『うわデカッ! 無理無理! あんなの斬ったら歯こぼれする!』


 一触即発。

 しかし、私はそのワニの顔を見て、声を上げた。


「待ってください、ジークハルト様! その子、知り合いです!」


「……は?」


「シロちゃん! シロちゃんだわ!」


 私が水路の縁に駆け寄ると、巨大なワニ――シロちゃんは、パチクリと赤い瞬きをした。


『……あれ? その声……お掃除係の姉ちゃんか?』


 シロちゃんは、かつて王城のトイレから誤って流されてしまった、元・貴族のペットだ。

 私が下働き時代に、この通路でこっそり高級ハム(厨房の余り)をあげて仲良くなっていたのだが、まさかここまで巨大化してこのエリアの主になっていたとは。


「久しぶりね! 大きくなったわねぇ!」


 私が手を振ると、シロちゃんの赤い瞳がキラキラと輝いた。


『おうよ! 久しぶりだな! ……へへっ、姉ちゃんこそ元気そうで何よりだぜ』


 シロちゃんは嬉しそうに尻尾を振り、水しぶきを上げた。


『ていうか姉ちゃん、ヤバいぞ。あいつら(ヘドロ)は普通の攻撃じゃ死なねぇ』


 シロちゃんが鋭い視線でヘドロたちを威嚇する。ヘドロたちはシロちゃんの巨体に怯んだのか、動きを止めている。


『俺の背中に乗りな! 城の地下に通じる「隠し水門」まで送ってやるよ! 水の上ならあいつらは追いつけねぇ!』


 なんと、送迎の申し出だ。

 私は振り返り、ジークハルト様と陛下に言った。


「彼が城の地下まで乗せてくれるそうです!」


「な、なに!? この怪物にか!?」


「はい。とっても優しい子ですよ。ね、シロちゃん」


 私が言うと、シロちゃんは『へっ、任せときな! 乗り心地は保証するぜ!』と得意げに鼻息を吹いた。

 その様子を見て、ジークハルト様が剣を収めた。


「……わかった。信じよう」


『ええっ!? 正気かご主人様!? ワニだぞ!? この前のポルターガイスト宿よりハードル高くない!?』


 ジークハルト様は陛下を抱え上げ(陛下は白目を剥いている)、シロちゃんの背中に飛び乗った。私も続く。


『しっかり掴まってな! 下水道最速伝説、見せてやるぜ!』


 シロちゃんが猛スピードで泳ぎ出した。

 まるでモーターボートのような速さだ。


「うおおおっ!?」


「早いですわー!」


 私たちは水飛沫を上げながら、複雑な地下迷宮を疾走する。

 ヘドロのゴーレムたちが触手を伸ばしてくるが、シロちゃんの鋼鉄のような鱗とスピードには追いつけない。


『邪魔だコラァ! 姉ちゃんの通り道だぞ!』


 バクンッ!


 シロちゃんは進路を塞ぐヘドロを豪快に噛み砕き、突き進んでいく。

 その背中で、陛下が「あわわわわ……余はもうダメだ……王家の威厳が……」とうわ言のように呟いているが、今は緊急事態なので我慢していただくしかない。


 数分後。

 私たちは、巨大な鉄格子の前までたどり着いた。


『ここだ。この上が、城の地下牢に繋がってる』


 シロちゃんが減速し、岸辺に寄せてくれる。

 私たちは陸に上がった。陛下は四つん這いで地面に口づけしそうなくらい安堵している。


「ありがとう、シロちゃん。助かったわ」


『へへっ。いいってことよ。……姉ちゃん、気をつけてな。上からは、すっげぇ嫌な気配がする。昔、俺を無責任に捨てたあの貴族みたいな、腐った匂いだ』


 シロちゃんは心配そうに赤い目を細めた。

 私が「ありがとう」ともう一度頭を撫でると、彼は照れくさそうに鼻を鳴らし、『……あばよ!』と言い残して、水の中へと消えていった。


「……行ったか」


 ジークハルト様が、泥汚れ一つないマントを翻す。

 目の前には、城内へと続く錆びついた鉄格子。


「ここからが、本番だ」


「はい」


 私は鉄格子に手を触れた。


「こんばんは、鉄格子さん。……開けていただけますか?」


『お待ちしておりました、コーデリア様!』


『さあどうぞ! 油差しといたんでスムーズに開きますよ!』


 ギィィィ……。鉄格子が恭しく開いた。

 その先にある螺旋階段を登れば、そこはもう王城の内部だ。


 いよいよ、ミナとの直接対決が始まる。

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