第23話 嫌われ者の騎士団長と、反逆の城壁
幽霊騒動という名の「大掃除大会」を経て、私たち一行はさらに南下を続けた。
道中、馬車が『もっと飛ばせるぜ! 限界を超えろぉ!』と暴走しそうになるのを、「お客様(国王陛下)が乗っているのですから安全運転で」となだめつつ進むこと数時間。
次なる難所にして、王都への最後の防壁となる「関所」が見えてきた。
ここは、王都と地方を結ぶ交通の要衝であり、普段であれば多くの商人や旅人で賑わう場所だ。
しかし今は、異様な緊張感に包まれていた。
街道は封鎖され、頑丈な鉄格子が下ろされている。高い城壁の上には、殺気立った兵士たちが槍や弓を構えて待ち構えていた。
彼らはレイモンド殿下の取り巻きである、ガストンという男の部下たちだ。王都の異変を外部に漏らさないため、そして外部からの干渉を防ぐため、人の出入りを完全に遮断しているらしい。
私たちの「爆走馬車」が関所の前でキキーッと停車すると、城壁の上から怒号が飛んできた。
「止まれェェェッ! 何者だ! 通行手形を見せろ!」
現れたのは、煌びやかだが趣味の悪い金ピカの鎧に身を包んだ、髭面の太った男――騎士団長ガストンだった。彼の下品なダミ声に、馬車の中にいた国王陛下が「うぐっ」と眉をひそめ、深くフードを被り直した。
「ガストンの奴め、余に対してあの口の利き方はなんだ……」
「陛下、我慢してください。陛下は今、お忍びで城を抜け出して来ているのですから」
私は陛下をなだめつつ、隣のジークハルト様に視線を送った。
彼は無言で頷くと、悠然と馬車から降り立った。その姿は、ただ立っているだけで周囲の空気を凍らせるような、圧倒的な覇気を纏っている。
「……オルステッドだ。王都へ向かう」
短く、しかしよく通る声で告げる。
ガストンは一瞬、その威圧感に怯んだように見えたが、すぐに相手が「田舎に追放された辺境伯」だと認識し、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。
「はん! なんだ、辺境伯か! レイモンド殿下から話は聞いているぞ、『野蛮な田舎者』とな!」
ガストンが城壁の上から、ペッ、と下品に唾を吐き捨てた。
「ここは通さん! 今は戒厳令が敷かれているんだ。貴様のような田舎貴族が通れると思うなよ!」
「……急用だ。通せ」
「あぁん? 偉そうな口を利くな!」
ガストンは城壁の手すりをバンと叩き、勝ち誇ったように要求を突きつけた。
「通りたければ、特別に許可してやらんこともない。……ただし! 通行税として金貨1万枚を払え! それと、その腰の魔剣と、馬車に乗っている女を置いていけ! 殿下への土産にしてやる!」
典型的な悪役ムーブである。 車内でそれを聞いていた陛下が、顔を真っ赤にして震え出した。
「お、おのれ……! 余が乗っているとも知らず、なんという狼藉を! しかもコーデリアを土産物扱いだと!? 許せん、余が直々に成敗して……」
「陛下、落ち着いてください。今出て行くとややこしいことになります」
私が必死に止める中、外ではジークハルト様が冷ややかな視線をガストンに向けていた。
1万枚という法外な要求に対し、彼は眉一つ動かさない。
『ご主人様! あいつ斬っていい!? あの汚いヒゲだけ綺麗に剃り落としてやろうか!? ついでに鎧も三枚おろしにしてやる!』
腰のグラムが殺気立って振動している。
ジークハルト様は腰の剣を左手で制し、静かに、だが絶対的な拒絶を口にした。
「……払わん」
「あぁん? なら帰れ! ここは俺の城だ、俺のルールが絶対なんだよ! 逆らうなら、その馬車ごと燃やしてやるぞ!」
「も、燃やすのですか? しかし団長、それでは積荷の金貨まで溶けてしまいます!」
部下の一人が進言すると、ガストンは顔を真っ赤にしてその部下を殴りつけた。
「うるさい! 後で拾えばいいんだよ! 口答えするな、この役立たずが!」
「ぐっ……は、はい……」
殴られた部下は顔を歪め、周囲の兵士たちも「チッ、またかよ……」「いい加減にしろよ……」と小声で毒づきながら、嫌々といった様子で火矢をつがえ始めた。
一触即発の事態。
しかし、私の耳には、全く別の「声」が聞こえていた。
『あーあ、また言ってるよあのヒゲダルマ』 『俺の城? 笑わせるなよ。お前、一度だって俺の補修工事したことないだろ』 『錆びて関節が痛いんだよ……油くらい差せっつーの』 『あいつの足音、重くて嫌いなんだよねー。あと口が臭い』
関所そのもの――城壁、鉄格子、そして地面の石畳たちが、ガストンに対して猛烈な不満を垂れ流している。
どうやら彼は、部下だけでなく「物」からの人望(物望?)も皆無らしい。
私は馬車の窓を少し開け、小声で呟いた。
「鉄格子さん、城壁さん。……あんな意地悪な人に、大人しく使われてあげる必要あります?」
私の声は、魔力に乗って彼らに届いた。瞬間、関所全体が『えっ!?』とざわめいた。
『聞こえてるのか!? 今の声!』 『すげえ! 美人の姉ちゃんが話しかけてきた!』 『聞いてくれよ姉ちゃん! あいつら、俺(鉄格子)をトイレ代わりに立ちションするんだぜ!? 許せねえだろ!?』
鉄格子さんの悲痛な叫びに、私は深く同情した。それは許せない。物に対する敬意以前に、人として最低のマナー違反だ。
「わかりました。そんな失礼な人たち、懲らしめてあげましょう。……ストライキのやり方は知っていますか?」 『おうよ! 任せときな!』 『ていうか、あのヒゲ、昨日俺(城壁)の前で「こんなボロい関所、金が貯まったら捨ててやる」って言ってたんだぜ?』 『許せねぇ! 反乱だ! 革命だ!』
ガシャガシャガシャッ!
突然、関所の鉄格子が激しく振動し始めた。
「な、なんだ!? 地震か!?」
ガストンたちが慌てふためく中、鉄格子は『あー、もう我慢できねぇ! 自由になるんだぁぁ!』と叫びながら、自らの意志でスルスルと巻き上がり始めた。
レバーも操作していないのに、完全に全開状態だ。
「なっ、なぜ勝手に開く! 閉めろ! おい、何をしている!」
「だ、団長! レバーが動きません! 錆びついて固まってます!」
「馬鹿者が! 手動で下ろせ!」
慌てる兵士たちを尻目に、ジークハルト様が私の方を振り返った。
私は窓から顔を出し、彼にウインクと共にOKサインを送る。
「……行くぞ」
ジークハルト様が馬車に戻り、扉を閉めた。
その瞬間、馬車が『ヒャッハー! 強行突破だぁ! 俺のスピードについてこれるか!?』と車輪を空転させ、ロケットスタートを切った。
「うわあああ! 止めろ! アイツらを止めろォォ!」
ガストンが命令し、兵士たちが飛び出そうとする。
だが、今度は地面が裏切った。
『足が滑る〜! ツルツルにしてやるぜ!』 『靴紐が勝手に結ばれてるぅぅ! あ、解けたと思ったらまた結ばれた!』
地面の石畳が波打ち、兵士たちの足を掬う。彼らは次々と転倒し、まるでコントのようにドミノ倒しとなって折り重なっていった。
「ええい、役立たずどもめ! 俺がやる!」
業を煮やしたガストンが、城壁の上から身を乗り出し、弓を構えようとした。その時。
『触るなデブ! 重いんだよ!』
彼が体重を預けていた手すりが、嫌悪感を露わにしてグニャリと外側へ曲がった。
「あ?」
支えを失ったガストンの体が、宙に投げ出される。
その落下地点には、偶然にも(あるいは地面の誘導によって)、軍馬たちの落とし物が集められた「特大の肥溜め」があった。
「ひ、ひぎゃああああ!?」
ドッポォォォォン!!
情けない断末魔と共に、ガストンは茶色い山の中へ頭から突き刺さった。 見事な逆立ちである。
――ヒュンッ!
私たちの馬車は、混乱の極みにある関所を風のように駆け抜けた。背後で『ざまぁみろヒゲ!』『二度と来るな!』『姉ちゃん、また来てくれよなー!』という関所たちの罵声と歓声が響いている。
「……す、凄い」
一部始終を見ていた陛下が、ポカーンと口を開けていた。
「一太刀も浴びせず、指一本触れずに関所を落とすとは……。魔法か? それとも呪いか?」
「いえ、彼らが日頃の行いが悪かっただけですわ」
私はハンカチで口元を押さえて微笑んだ。
物は正直だ。大切にしてくれる人には尽くし、粗末にする人には牙を剥く。
ただそれだけのことが、この国では忘れ去られてしまっている。
「……見えてきたぞ」
ジークハルト様の低い声が響く。彼の視線の先、前方の霧が晴れ、ついに目的地が姿を現した。
王都。かつて私が生まれ育ち、そして無実の罪で追放された場所。
しかし、その姿は私の記憶にある美しい都とは、大きく異なっていた。
街全体が、どす黒いドーム状の結界に覆われ、空は鉛色に淀んでいる。
美しい白亜の城壁は黒ずみ、街からは活気のある喧騒ではなく、重苦しい沈黙と腐臭が漂ってきていた。
『……痛い……』 『……苦しいよぉ……』 『……誰か、助けて……』
そして、無数の嘆き。
人々の声ではない。街そのものが、石畳が、家々が、声を上げて泣いているのだ。
「……ひどい」
私が息を呑むと、隣で陛下が拳を震わせていた。
「これが……余の国か。……ミナの暴走で、ここまで……」
陛下が涙を流している。
感傷に浸っている時間はない。この「声」を聞いてしまった以上、万物の代弁者として黙ってはいられない。
私たちは裏口を知っている。
以前、城で虐げられていた私が親しくしていた、「下水道さん」の入り口だ。
「行きましょう。正面突破は不可能です。地下から潜入します」
私は馬車に指示を出し、王都の外周、古びた排水溝へと進路を取った。
ここからが本番。「王都奪還作戦」の開始だ。




