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第6話 Back to Youth

 ライブハウス〈B-Flat〉の看板が、夕暮れの街角でオレンジに滲んでいた。

 その下には、手書きのポスターが貼られている。


 「Back to Youth vol.5 Re:wind 出演」


 十年前と同じ文字、同じ場所。

 けれど、そこに立つ三人の心は、まったく違っていた。


 ***


 控室。

 スティックの音も、スネアの響きも、今日はもう聞こえない。

 代わりに、悠真の譜面データをもとにしたリズムトラックが、ノートPCの中で静かに待機していた。


 「本当に、この形でいいのか?」


 海斗はギターの弦を指で押さえながら言った。


 「生ドラムじゃないライブなんて、正直、違和感があるしな」


 翔は小さく頷いた。


 「わかってる。でも、これは“欠けたままの再現”じゃない。悠真の音を、今ここで鳴らすための形なんだ」


 美鈴が笑ってフォローを入れる。


 「それに、今日のために寝ずにアレンジしたでしょ? 悠真も笑ってるよ」

 「……寝てないのはお前もだろ」

 「あれ? ばれてた?」


 控室に小さな笑いが広がる。

 それだけで、胸の重さが少しだけ軽くなった。

 開場のアナウンスが響く。


 客席には懐かしい顔がちらほらと見えた。

 かつてのバンド仲間、学校の同級生、そして——悠真の母親。

 ステージ袖からその姿を見つけた瞬間、翔の喉が詰まった。


 「翔」


 海斗の声で、我に返る。


 「行くぞ」

 「……ああ」


 照明が落ちた。

 観客のざわめきが静まり、ゆっくりとスポットが当たる。


 「こんばんは、Re:windです」


 翔の声がマイクに乗った瞬間、拍手が湧いた。

 十年分の空白を埋めるような音だった。


 「今日は、十年前に未完成のまま終わった曲を——ようやく完成させました」


 クリック音がカウントを刻む。

 ベース、美鈴の低音が始まり、ギターがそれに重なる。

 そして、悠真のリズムデータが流れた。


 “トン、タッ、トン——”


 デジタルなのに、確かに“生きた”音だった。

 翔はマイクを握り、息を吸う。


 “春の残響 まだ消えない 胸の奥で鳴る あの日のリズム”


 歌うたびに、十年前の記憶が蘇る。

 文化祭のステージ、緊張で声が裏返った自分を笑ってくれた悠真。

 その笑顔が、今も鮮やかに浮かんでいた。


 間奏。

 海斗のギターが、これまでになく伸びやかに鳴る。

 彼の目は、譜面の映像データに合わせるように、どこか遠くを見つめていた。


 “君がいなくても 終わりじゃない 僕らはまた ここで出会える——”


 最後のサビ。

 翔は目を閉じて叫んだ。


 “——ラストスプリング‼︎”


 音が止む。

 静寂のあと、会場全体が爆発するような拍手に包まれた。

 翔は肩で息をしながら、マイクを離す。

 涙が頬を伝っても、もう隠す気はなかった。

 客席の一番前。悠真の母親が、静かに手を叩いていた。


 その瞳が、「ありがとう」と言っていた。

 ライブが終わり控室に戻ると、三人はしばらく何も言えなかった。

 やがて、美鈴が口を開く。


 「……終わっちゃったね」

 「“終わった”っていうより、“始まった”だろ」


 海斗が笑った。


 「悠真も、たぶん、うるさいくらいドラム叩いてるね」


 翔が言うと、美鈴が小さく笑う。

 窓の外、春の夜風がカーテンを揺らした。

 街の灯りの向こうに、十年前の青い空がぼんやり重なって見えた気がした。

 ステージの後片付けをしていると、オーナーが声をかけてきた。


 「お前ら、いいステージだったぞ。客の反応、かなり良かった。……もし続ける気があるなら、次のイベント枠、空けとくけど?」


 翔は海斗と美鈴を見る。

 二人とも、ためらいのない表情で頷いた。


 「——お願いします」


 そう言った瞬間、翔の胸の中で、また“音”が鳴り出した。

 それは、懐かしくて、新しい“始まりの音”。


 ***


 帰り道。

 夜風が少し冷たい。

 歩きながら翔は、イヤホンでさっきのライブ音源を再生した。

 少し走ってしまったテンポも、荒れた息も、全部が“生きている音”だった。

 そして、最後のサビの直前で、小さくドラムのスティック音が入っていた。


 ——リズムにない、一拍のカウント。


 「……悠真?」


 思わず呟く。

 空を見上げると、春の星が瞬いていた。

 風の中で、微かに聞こえる。


 “トン、タッ、トン——”


 それは、確かにあの頃と同じテンポだった。

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