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キャンバスはここにある  作者: 黒瀬雷牙
最終章

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22/23

告白

 打ち上げの翌週。

 街はすっかりいつもの顔に戻っていた。けれど、俺の胸の奥にはまだ、あの夜の余熱が残っていた。

 人で溢れた通り、揺れる提灯、歓声、笑い声。あの灯りの中で見た仲間たちの笑顔は、今でもまぶたに焼きついている。


 二人での二次会から一夜明けて以来、伊川の様子が少し変わった。

 あの夜、珍しく酔った彼女は、俺の肩に寄りかかりながら「ねぇ、あなたはどうしてそんなにまっすぐなの?」と笑っていた。

 翌朝にはすっかりいつもの社長に戻っていたが、それ以来、言葉の端々がどこか柔らかい。


「では、お先に失礼します」


「また明日〜」


 三浦と佐伯が帰った後、残業で静まり返ったオフィス。二人きりになったとき、俺は自然と目を閉じ、あの出会いの日を思い出していた。


…………


数年前、まだ自分が何もかも手探りだったころ。

 半グレの越後が運営していた合同会社「ドリームフューチャー」に騙され、俺はその会社に足を踏み入れた。社内は怪しい空気に包まれ、社員たちは疑心暗鬼の表情で動いている。


 そのとき、伊川が声をかけてきた。

 淡々と、しかしどこか鋭く。


「ここに来たら終わりだよ」


 その言葉に、快晴は一瞬、足が止まった。

 だが、同時に心の奥で、小さな希望の火が揺れたのも覚えている。


 仲間達と協力して越後たちの会社の闇を暴いた。その後、伊川は自ら会社を立ち上げ、俺を誘ってくれた。あのとき初めて、「夢は現実になる」と実感した瞬間だった。


 恩人である伊川は、いつしか自分にとって特別な存在になっていた。尊敬、感謝、そして…それ以上の感情が、少しずつ芽生え始めていた。


…………


 昼下がり、イベント報告書をまとめていると、隣のデスクで伊川が声をかけてきた。


「ここの数字、再確認お願いできる?」


「はい」


「ありがとう、あなたがいると助かるわ」


 何気ないやり取り。けれど、そのありがとうの響きが、なぜか心に残る。いつも完璧な彼女が、ほんの一瞬だけ見せる人間味。

 それが快晴にとって、何よりのご褒美だった。


 その日の夜、残業を終えたオフィスに二人きり。

 コーヒーメーカーの音だけが、静かな室内に響いていた。伊川が紙コップを二つ持ってきて、ひとつを快晴に差し出す。


「ブラックでいい?」


「ありがとうございます」


「ねえ、あなた。最初にこの街の話をしたとき、正直どう思った?」


「どう、というと?」


「……この街に“灯りを”なんて、少しキレイごとすぎると思わなかった?」


 俺は少しだけ考えてから、笑った。


「思いましたよ。でも、やってみたら本当でした」


「本当?」


「ええ。自分の街が少しでも笑顔になったら、それだけで報われる。その灯りが、誰かの明日になるなら、それでいいって」


 伊川は目を細め、紙コップを唇に寄せた。

 窓の外では、遠くに街のネオンが揺れている。


「あなたとだと、不思議と無理しなくていいの」


 そう呟いた彼女の横顔に、快晴は言葉を失った。

 社長としてでも、上司としてでもなく、一人の女性としての伊川が、そこにいた。


 沈黙。

 けれど、その沈黙が嫌じゃない。窓の外の灯りが、二人の間に柔らかく差し込む。それはまるで、夜の街にともる、ひとつの新しい光のようだった。


 夜のオフィスは、淡い蛍光灯に照らされて静まり返っていた。

 報告書や企画書が整然と並ぶデスクの間を、俺はゆっくり歩く。胸の奥に熱いものが渦巻いていた。

 あの夜、伊川がこぼした言葉…


「不思議と無理しなくていいの」


 それが、頭から離れない。


 コーヒーメーカーの音だけが静かに響く。

 俺は深呼吸をして、意を決した。

 今日は、どうしても伝えなければならない。

 俺は、伊川のデスクの前で立ち止まる。


「どうかした?」


 いつも通りの落ち着いた声。けれど、俺はその背中にドキリとした感覚を覚える。


「社長に、伝えたいことがあります」


 伊川は少し目を細め、資料から顔を上げる。

 真剣な表情の快晴を見て、なぜか胸がざわついた。


「言ってみなさい」


 机の間に少しの距離を残し、快晴は言葉を選ぶ。


「俺は…社長と一緒に、この街を照らしていきたい。社長が作ったLuceoで、社長と一緒に未来を描きたい。だから、付き合ってほしい」


 空気が止まった。伊川の手が資料から離れ、机の角に指をかける。その瞳が揺れた。


「そんなこと……急に……」


 戸惑い、心の奥が少し熱くなるのを感じながら、彼女は視線を逸らす。


 俺は一歩近づき、静かに言葉を重ねる。


「無理に答えなくていい。でも、俺は本気です。社長のことが、好きです」


 その瞬間、伊川の胸の奥がきゅっと痛む。戸惑いの中に、確かに温かい感情があった。

 自覚していた。自分も、快晴に特別な感情を抱いていることを。


「……快晴……」


 小さな声が漏れる。震えと戸惑い、そしてほんの少しの期待が混じっていた。

 伊川はゆっくりと立ち上がり、距離を詰める。目を合わせ、わずかに微笑む。


「……私も……」


 声が少し震える。そして、そのまま俺の目を見つめたまま、そっと唇を重ねる。


 短く、しかし確かに交わるキス。

 互いの鼓動が、静かなオフィスに伝わるようだった。柔らかく、あたたかく、そして少しだけ甘い。


 離れたあと、伊川が笑みを浮かべる。


 「あなたとなら、やっていける」


 俺は胸の中で、やっとほっと息をつく。

 二人の間に、言葉にできた感情が静かに灯った。


 窓の外、深夜の街は静かで、オレンジ色の街灯が揺れている。

 それは、俺達の新しい関係を祝福するかのように、柔らかく輝いていた。

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