小さな光
会場の空気は、張り詰めていた。
大手広告代理店の名が並ぶロビー、受付を済ませた俺は、深く息を吐いて自分の鼓動を落ち着かせる。伊川、明石、そして俺たち「株式会社Luceo」のメンバーも、緊張した面持ちで会場を見渡していた。
「……いよいよだね」
明石が小さく声をかける。
「うん。でも、やることは全部やった。あとはぶつけるだけだよ」
その言葉に、誰もが小さく頷いた。
コンペ会場は、まるで未来の見本市のようだった。
大型スクリーンには各社のプロモーション映像が次々と映し出され、AIによるリアルタイム生成、演算デザイン、視聴者感情解析まで、最新技術が惜しみなく投入されている。
ある企業のプレゼンでは、AIが瞬時にデザインの傾向を分析し、わずか数秒で数百パターンの案を自動生成してみせた。その完成度は人間が数週間かけて練り上げるものと遜色なく、審査員たちの目も自然と輝きを増す。
「すごいな……」
思わず呟くと、隣で伊川が腕を組んだ。
「AIがやれること、ここまで来てるんだね」
やがて、俺たちの番がやってきた。
ステージに立つと、スポットライトがまっすぐに照らす。深呼吸をひとつしてから、マイクを握った。
「私たちは、速さでも、効率でも、AIには勝てません」
ざわめく会場の中、俺は続けた。
「けれど、人の手で生まれる“物語”の力は、まだAIには真似できないと信じています」
スクリーンには、デザイナーひとりひとりの手作業の過程が映し出された。悩み、迷い、ひらめき、そして込めた想い。完成したビジュアルはAIのような完璧さはない。だが、どこか温度があり、観る者の感情を揺さぶる何かがそこにあった。
審査員席の一角で、年配の審査員が小さく頷いたのを、俺は見逃さなかった。
全プレゼンが終わり、結果発表の時間が来る。
スクリーンに映し出されたファイナリストの中に、「株式会社Luceo」の名があった。
「よし……!」
歓声が上がり、俺たちは手を取り合った。
しかし――最終審査で読み上げられたのは、AIをフル活用した巨大企業の名だった。
「……負けた、か」
俺の声は、不思議と静かだった。
拍手の中、チームはしばらく立ち尽くしていた。
AIの生成する圧倒的なスピードと完成度、そしてビジネスとしての実用性。その差は、あまりにも大きかった。
「惜しかったよ。ここまで来られたのは、誇っていい」
伊川の言葉に、誰もがうなずいた。明石も、少しだけ柔らかい表情で俺の肩を叩く。
「……次は、勝とうな」
「ああ。次は、絶対に」
それは、敗北ではなく、始まりの誓いだった。
コンペから数日が経っていた。
敗北の悔しさはまだ胸に残っていたが、不思議と沈んだ空気ではなかった。あの大舞台で、自分たちの“手で描く”信念は確かに届いた。結果は及ばなかったが、誰もがそれを誇りに思っていた。
そんなある晩、俺たちは真央の営むスナック「Lien」に顔を出していた。
気心の知れた仲間たちが集まる、どこか懐かしい居場所。派手なネオンの明かりの下、グラスを傾けながら、今日も常連客たちが賑やかに語り合っている。
「はい。あなたにドリンクを渡すのはキャバクラいらいね」
笑いながら真央がグラスを差し出すと、俺は少し照れたように頭を掻いた。
「……あの時は、本当に悔しかったな」
「でも、よくやったよ」
明石がぽつりと呟く。
「正直、ここまで戦えるとは思わなかった」
「AIの連中、やっぱすげぇなぁ。全部“計算された美”って感じだった」
亮がカウンター越しに声をかけてきた。彼は最近、この店の厨房で働き始め、料理も覚え始めているらしい。
「でも、あのプレゼン……見てて、ちょっとグッときたよ。機械には作れねぇ“熱”があった」
その言葉に、俺は少しだけ笑みをこぼした。
やがて、真央が一枚の紙をカウンターに置いた。
それは、彼女の店「Lien」の古いロゴとホームページのプリントアウトだった。
「ねぇ、お願いがあるの」
「お願い?」
「うちの看板と、ホームページ。全部、作り直してほしいの」
思わず顔を上げた。
「……いいんですか?知り合いのよしみとか、そういうのじゃなくて?」
「違うよ」
真央は少し照れたように笑った。
「最初は“友達だから”って気持ちもあった。でも、資料をちゃんと見て思ったの。あれを作った人たちに、本気でお願いしたいって」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
誰かに“選ばれる”ということが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
「じゃあさ、俺からも頼みがある」
亮がカウンター越しに声をあげた。
「通ってるボクシングジムのロゴ、作ってくれねぇか?今のやつ、みんなから“ダサい”って不評でさ」
「え、いいんすか?」
「もちろん。一番イケてるやつに頼むなら、お前らしかいないって思ってた」
冗談めかして笑う亮に、俺たちは笑顔を返した。
それは大きな仕事ではなかった。
企業案件でも、派手な広告でもない。けれどそれは確かに、Luceoが誰かの選択肢に入った“最初の瞬間”だった。
スナックの小さなテーブルで交わされたその約束を皮切りに、Luceoには少しずつ、地域の店舗や小規模事業者からの依頼が舞い込み始めた。
小さな光は、やがて道を照らす炎へと変わっていく。その始まりを、俺たちはこの夜、確かに感じていた。




