強力すぎるライバル
あの夜から、数ヶ月が経った。
秋の風が冷たさを帯びはじめた十月の朝。
デザイン事務所《Luceo》の一角で、黒髪をひとつにまとめた伊川美咲は、無表情のままモニターを見つめていた。
「……やはり、数が伸びませんね」
表計算ソフトに並んだ案件一覧。新規の依頼数は減少し、継続案件も頭打ち。数字が物語る現実に、伊川は眉ひとつ動かさず、それでも深く息を吐いた。
「クオリティは落としていないはずです。提案の質も、以前より洗練されている。それでも……」
言葉を途中で切った美咲の横から、明るい声が飛んでくる。
「それ、たぶん原因わかってるよ〜」
金髪に派手なネイル、今日もカジュアルすぎる格好の明石みなみが、スマホ片手に笑いながら歩み寄ってきた。
「ウェブデザインもアートも、今はAIが全部やるってさ。最近どこ行ってもその話ばっか」
「……聞きますね。その手の話題」
美咲は静かにうなずいた。
「この前もさ〜、クライアントさんにAIで試してみますってドタキャン食らったんだよ。こっちがどれだけ夜なべして企画書まとめたと思ってんのって話!」
ソファに腰かけていた快晴も、苦笑を漏らす。
「まあ実際、AIは速いし安い。それっぽくはなるから、わざわざ人間に頼まなくてもって思う人は増えるよな」
「でもさ、“それっぽい”と“本物”って違うでしょ?」
明石は真剣な顔つきで言った。
「“好き”とか“ワクワク”とか、そういう“感情”まで読み取って表現できるのは、やっぱ人間だけじゃん?」
「……同感です」
美咲は姿勢を正し、静かに言葉を添える。
「論理ではなく感性。数値ではなく記憶。人の手が作るものには、“その人だけの形”があります。それはAIには決して真似できません」
「結局、勝負は“個性”だな」
俺は小さくつぶやいた。
時計の針が、カチリと一つ進む。
時代は確かに変わった。
それでも、この三人は信じている。
人の手で生み出す価値は、まだ終わっていないと。
その日の帰り道、俺はまっすぐ家に帰る気になれなかった。
現状を打開する手がかりがどこかにあるのなら…それは、敵を知ることからだ。
深夜、デスクの前。湯気の立たないコーヒーを横に、俺は検索窓に指を走らせた。
「……AI デザイン」
最初に出てきたのは、数十秒でロゴやWebサイトのレイアウトを自動生成するサービスだった。
驚くべきはスピードだけじゃない。提示される案はどれも完成度が高く、しかも数十パターンが一瞬で並ぶ。
「は、速ぇ……しかも、悪くない」
軽い衝撃を受けつつ、俺は次のワードを打ち込む。
「AI イラスト」
出てきたのは、プロ顔負けのタッチで描かれた数々のアート作品。
構図も色彩も緻密で、指示しただけで複数案を自動生成してくれるらしい。人間なら数日かかる作業が、数十秒だ。
「マジかよ……」
胸の奥がざわついた。
さらに調べていくと、動画編集、キャッチコピー、記事執筆、商品企画、あらゆる分野でAIが台頭している現実が次々と目の前に広がっていく。
「文章生成……これもAIで?」
半信半疑で試しに入力してみると、数秒後には驚くほど自然な文章が画面に並んでいた。
構成、語彙、言い回し。どれも人間が書いたとしか思えない。
気づけば時刻は午前二時を回っていた。
興奮と不安が入り交じったまま、俺は無数のタブを開き、片っ端からAIの事例を読み漁っていた。
「……こいつら、本当になんでもできるじゃないか」
思わず声が漏れる。
AIは、ただの道具なんかじゃなかった。
速度、効率、正確性、どれをとっても人間を圧倒している。しかも、進化は今もなお止まっていない。
ふと、昼間のみなみの言葉が頭をよぎる。
――“それっぽい”と“本物”って違うでしょ?
果たして、それは本当に“違う”のだろうか。
この数時間で目にした膨大な成果物は、どれも“それっぽい”どころか、すでに“本物”の域に達しているように見えた。
「……俺たち、人間は、勝てるのか?」
静まり返った部屋に、自分の声だけが落ちていく。
その夜、初めて俺は恐怖を覚えた。
自分たちの価値が、音もなく置き換えられていく未来の姿を、はっきりと想像してしまったからだ。




