仲間達の人生
グラスをテーブルに戻した将大は、ふう、とひとつ息をついた。その表情は、どこか吹っ切れたようでもあり、少しだけ影を落としているようにも見えた。
「……まぁ、こうしてみんなと飲んでる時だけは、昔に戻った気がするけどよ」
そう言って笑う声は、少しだけ疲れていた。
「みんな知っての通り、俺さ、今は親父の会社で現場やってんだ。建設系の、いわゆる“町の土建屋”だよ。今はまだ平社員って扱いだけど」
将大はそこで一拍置き、氷をカラリと鳴らした。
「次期社長って、もう皆そう思ってる。現場の職人も、取引先も、親父の友達も、みんなさ、お前が継ぐんだろって顔してくんだよな」
彼の視線は、テーブルの上の水滴に落ちていた。
「別に嫌だとは言ってねぇ。むしろ、俺は自分から継ぐって決めたんだ。でもよ、思ってたのと全然違った。昔みたいにバカやってりゃ笑って済んだ頃とは違う。今は一つのミスが、何百万、何千万の損失に繋がる。人の命がかかってる現場もある。『次期社長』って肩書きがつくだけで、誰も本音を言わなくなるんだ」
その言葉に、俺たちは自然と黙って耳を傾けていた。
「現場のオッサンたちは、口では“若いのに頑張ってるな”って言うけど、目は全然違う。『あいつに任せて大丈夫か』って顔で見てる。親父も、表面上は何も言わねぇけど、たぶん内心じゃ不安で仕方ねぇんだと思う。だからこそ、俺は一度も気を抜けねぇ」
かつて教室の中心で笑い、俺たちを引っ張っていた“ガキ大将”の姿は、そこにはなかった。
代わりにいたのは、背中に大きな看板を背負わされ、転ぶことすら許されない日々に立ち向かう、一人の大人の男だった。
「笑えるよな。昔は一番自由だった俺が、今は一番好き勝手できねぇ。飲みに行くのも減ったし、遊びの誘いも断ることが増えた。『次期社長がそんなことしていいのか』って、周りの目があるんだよ」
将大はそう言って笑ったが、その笑いはどこか力の抜けたものだった。
「でも」と、グラスを持ち上げる。
「それでも、逃げる気はねぇんだ。俺はあの会社を潰すわけにはいかねぇ。親父が汗まみれで築いてきた場所だし、そこで働く人間たちの生活がかかってる。だからこそ、俺がやらなきゃいけねぇんだよ」
真剣な眼差しが、グラスの奥から覗く。
彼の言葉を聞いて、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
学生の頃の将大は、何にも縛られない存在だった。けれど今の彼は、責任という重圧の中で、それでも前を向いている。
大人になるということは、こういうことなのかもしれない。
「……すげぇよ、将大」
俺がそう言うと、彼は肩をすくめて笑った。
「すげぇとかじゃねぇよ。こっちだって毎日、腹ん中は不安でいっぱいだ。逃げ出したい夜なんて山ほどある。でもよ」
将大は、グラスを軽く掲げた。
「それでも、逃げねぇって決めたんだ。ガキの頃の好き放題より、今の方が、ずっとワクワクするんだよ」
その言葉は、苦悩の中に確かな決意を宿していた。
将大が軽くグラスを傾けながら、少し笑みを含ませて言った。
「……で、お前はどうなんだよ、打保」
僕は肩をすくめる。
「僕か……まあ、僕も色々あったよ」と、少し照れくさそうに笑った。
かつてはIT企業でバリバリ働き、デスクに向かう日々に燃えていた。けれど、激務と競争の連続は、いつしか心の余裕を奪っていた。
「正直言うと、会社の数字と上司の期待に押しつぶされそうになったこともあったんだ。毎日が数字との戦いでさ……気づいたら、自分が何のために働いてるのか分からなくなってた」
それでも、打保の目は輝きを取り戻していた。
「でもね、こうやってみんなと再会して、色々話すと、やっぱり僕にもまだやりたいことがあるんだなって気づくんだ」
将大と健太、そして快晴の視線を受けて、僕は少し誇らしげにグラスを掲げた。
「だから、僕もここからが本番だよ」
静かに笑いながらも、決意の色を帯びた目。
仲間たちの前で語る僕の姿は、かつての迷いを脱ぎ捨て、新しい挑戦への一歩を踏み出した証だった。
「……お前ら、熱いな。なんか、羨ましいよ」
健太がグラスを回しながら、どこか本音を漏らすように言った。
「いやいやいや、唯一結婚して子どもまでいるお前が一番羨ましいわ!」
俺も、将大も、打保も、口をそろえてツッコミを入れる。ましてや俺が好きだった咲衣と!
「はは、まあ……そう思うだろ?」
健太は少しだけ視線を落とし、笑みを浮かべた。
「でもなぁ――」
その言葉の先に、彼の胸の内が隠れていることを、俺たちは直感的に感じ取っていた。




