第5話 鈴音の危機(前編)
※この回は残酷描写が最後の方に入りますのでご注意下さい。
【登場人物】
鈴音→主人公の背の高い女の子。
楓→鈴音の同僚。スタイル抜群。
霜月→影屋敷の影武者候補の少年。橙次と仲が良い。中性的な美少年。
橙次→影屋敷の影武者候補の少年。霜月と仲が良い。背の高いがっしりしたイケメン。
香風→鈴音の大先輩。おっとりしている。
長月豪→香風の夫
霜月が治療・治癒室に顔を出した。
鈴音は部屋の外に霜月の姿を見つけ、声をかける。
「霜月」
「鈴音」
霜月は小さな木箱を持っていた。
鈴音がその木箱を見ていることに気づくと、霜月はそれを見せてくる。
「これ、おいしいって評判のお茶みたいなんだ。……って、橙次の受け売りだけど」
「わぁ、ありがとう」
「今、飲んでみる?」
鈴音は嬉しくなって、大きく頷いた。
いつもの隣の部屋へ、お茶を入れに行く。
湯呑みにお茶を注ぎ、それを盆に乗せた。
すると霜月が盆を持ってくれる。
鈴音はそれを見て、いつもの部屋へ向かった。
部屋の端の机につくと、二人は座って湯呑みを手に取った。
鈴音は一口飲むと、顔を上げて言った。
「おいしい! すごく香りが立つのね」
「たしかに、いつもよりおいしい気がする」
それから二人は、最近あったことを話し始めた。
「へぇ、鈴音は縫合の見学をしてるんだ?」
「そうなの。傷口を見るのは少し苦手だけど、もっと自分にできることを増やしたいの」
「もっと聞かせて」
鈴音は、処置の前には傷口に雑菌が入らないように手を洗うこと、今着ている服の上から清潔な服を着ること、頭や口元を布で覆うことなどを話した。
すると霜月は、さらに細かいことを聞いてきた。
鈴音は縫合に使う器材や縫合の仕方など、自分の分かる範囲で説明する。
霜月は真剣な顔で、時折、頷きながら聞いていた。
自分の仕事の話を聞いてもらえるのは嬉しい。少しでもうまく伝えたくて、鈴音は身振り手振りを交えながら話した。
すると後ろから香風が声をかけた。
「鈴音ちゃん、この前の縫合の話かしら? ちょうど良かった。これから私が縫合するけど、記録を取る?」
その提案に真っ先に反応したのは、霜月だった。
「あの、僕も見学してもよろしいでしょうか?」
「あら、熱心なのね。でも見学だけじゃもったいないわ。処置室でやることがたくさんあるから、手伝ってくれるかしら?」
「もちろんです」
自分のことを知ろうとしてくれる霜月を、鈴音は優しい目で見つめていた。
■
それから月日はゆっくりと過ぎ、鈴音は十六歳になった。
橙次は相変わらず頻繁に治療・治癒室へ来ていた。
最近では、治療・治癒室の中で通り名までついている。
「よお、鈴音」
「あっ、恋の守護神」
「なんだそりゃ?」
橙次についたあだ名は、“恋の守護神”だ。
なんでも橙次に相談したあと、恋が叶った子が立て続けに出たので、験を担いでそう呼ばれるようになったらしい。
「女の子たち、恋が叶うってみんな言ってるわよ」
「ああ、みんな俺に相談してくるんだよな。俺、何にも知らねーのに」
「それだけ橙次さんが人気ってことじゃない」
「そんな人気いらねーよ!」
「そうだ、橙次さん聞いて。私、この前初めて一人で縫合したの!」
「やるじゃねーか。今度、甘味を持ってきてやるよ」
テンポよく話していた鈴音だったが、そこで大きくため息をついた。
「はぁ……そういうのは好きな子にやって。私を甘やかさないで」
それを聞いた楓が、笑いながら近づいてきた。
「鈴音は今、ダイエット中みたいなんです。なんでもこの前、霜月さんが来たとき女の子たちに人気だったみたいで、自分の体型を気にしてるんです」
「……橙次さん、私にもご利益ほしい」
鈴音の身体はすっかり女の子らしくなり、柔らかな曲線と豊かな胸元を持つようになっていた。
橙次は冷めた目で見て、こう返す。
「……霜月には目的があるから、そういうの眼中にないと思うぞ」
「……分かってる」
霜月に恋愛をしている暇がないことくらい、鈴音にも分かっていた。
それに、忍でなくとも、いつ死ぬか分からない。
恋愛をするなら、軽い遊びにするか、心に決意を固めるかのどちらかだ。
やがて休憩時間が終わり、鈴音は病室の患者の様子を見に行く役目を任されていた。
「今日は……初めて会うな。鄧骨殿」
鄧骨は八傑の一人で、五百蔵派と呼ばれる天壌殿の影武者だった。
この前、阿道殿の影武者である恭一郎殿を見かけたときは大丈夫だった。
男性恐怖症も改善してきているのかもしれない。
病室の戸を叩く。
「入れ」
中から返事があった。
その声を聞いて、鈴音の身体が少しこわばる。
深呼吸をして気持ちを整え、戸を開けた。
「失礼します。治療・治癒室の鈴音です。怪我の様子を確認しに来ました」
「ほう」
鄧骨は大きな男だった。
横たわった身体は布団からはみ出しそうで、身体には傷跡がいくつも見える。
白みがかった灰色の髪は、首の付け根まで伸びていた。
鄧骨は鈴音をじろじろと見た。
怪我は腕らしく、近くで診なければならない。
身体が少し震えている気がした。
(身体が震えるなんて、相手に失礼よ。鈴音)
そう自分に言い聞かせ、鄧骨に近づく。
相手の腕に手を伸ばした。
「腕を失礼します」
そう断ってから腕を取り、縫った箇所を注意深く診る。
それから顔を上げた。
「この様子なら、明日には抜糸できそうですね。調子はいかがですか?」
「うーん、調子ねえ」
鄧骨はにやりと口角を上げ、こう言った。
「綺麗な柔肌してんなぁ。俺に触れてる手まで柔らけえ。なあ、俺とちょっと遊んでいかねーか? そしたら調子ももっと良くなると思うんだが」
それを聞いた鈴音は、目を丸くした。
その瞬間、父親のことを思い出す。
(怖い!)
「……ごめんなさい……」
(誰か……)
鈴音が周囲を見ようとした、そのときだった。
鄧骨がぐいっと鈴音の腕を引く。
「そんなつれねぇこと言うなよ」
「……ッ!!」
鈴音の身体が震える。
それでも鄧骨を見て、きっぱりと言った。
「すみませんが、お断りします」
鈴音は鄧骨の腕を押し下げ、離れようとした。
だが、掴まれた腕はびくともしない。
直感だった。
全身の毛が逆立つように、鳥肌が立つ。
鄧骨からあふれてくるのが怒りなのか殺気なのか、鈴音には分からない。
ただ、とてつもない威圧感が部屋全体を満たしていく。
鈴音は、空腹の狼の前に差し出された兎のように動けなくなった。
「俺はよぉ、拒絶されるのが嫌いでね。……ふう、この気分をどうやって落ち着かせようか」
「……離して……」
鈴音は全身をがたがたと震わせ始めた。
「橙次さん……霜月……」
「ほかのやつの名前を呼んでんじゃねーぞ」
牙をむくような鋭い言葉が、鄧骨から飛ぶ。
鈴音は鄧骨に背を向け、逃げようとした。
頭の中は、部屋を出ることだけでいっぱいだった。
たとえ鄧骨が短剣を鞘から抜いていたとしても——。
次の瞬間、鈴音の背中に衝撃が走った。
背中の上の方に、熱いような、痛いような、全身の神経が一点に集まるような感覚が生まれ、それが背中全体へ広がっていく。
「きゃあぁぁ!!」
鈴音の叫び声が、部屋中に響いた。




