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37 【帰らずの森】4

 森の切れ目の向こうは崖に囲まれた広い空間になっていた。邪竜はその最奥にいたが、崖の影の中にいるせいでその姿ははっきりと分からない。


 けれど、僕の目は邪竜ではなくその手前にある()()に釘付けになった。


 そこには白と銀の鎧を着た白骨死体がうつ伏せに倒れていた。


 茶色い髪がわずかに残る頭蓋骨の横には兜が転がっている。

 投げ出された右腕から少し離れたところに、二メートル近い細身の長剣パラーシュが落ちていたが、その水晶のように半透明の刀身は半ばから折れており、周囲に破片が散らばっていた。


 聖騎士ウルグラフ(ぼく)の死体だ。


 あのときは、どうやって死んだか全然分からなかった――というか、死んだことにすら気付かなかったが、こうして見ると、鎧の背部が袈裟懸けに断ち割られているのが分かった。


 あの鎧は、神銀の鎧という名前で、生半可な攻撃では傷つけることもできない。

 その鎧が無残に斬り裂かれている。


 死体の斃れ方や鎧の傷から、剣で背後から斬りつけられたのは明らかだった。

 あの鎧をあそこまで深く斬り裂ける剣なんて聖剣以外にない。


(邪竜に気を取られてる隙にクラインに後ろから斬られたのか……)


 クラインに殺された自分の死体を目の当たりにしても、さして心が動かなかった。

 それどころか、あれが自分の死体だという実感も湧かないし、反りは合わなかったけれど大切な仲間だったクラインに裏切られたことへの怒りも覚えなかった。

 

 なんか、他人事だった。

 

 どこか遠い国の見知らぬ騎士が仲間に裏切られて倒れた。そういう物語の結末だけを見せられたような現実感のなさだ。

 

 僕はちらりと邪竜との距離を測ってから、慎重に幹の陰から進み出た。

 

 一歩……、二歩……、三歩。

 ダッシュ。

 

 この四日ですっかり体に馴染んだ鎧型擬魔機の力を使い、全力で自分の死体へ駆け寄った。

 素早くパラーシュを拾い上げ、また邪竜との距離を測る。大丈夫、動いていない。

 そして、踵を返して一目散に逃げようとしたけれど――


 ――気付けば僕は足を止めてその場に立ち尽くし、崖の陰に潜む邪竜を呆然として見つめていた。


「お前……」


 邪竜が崖の陰からゆっくりと進み出る。

 体長は七メートルほどだろうか。元々竜にしては小柄な個体だったが、最後に見たときよりも一回り小さくなったように思えた。


 闇のような黒い鱗に全身を覆われ、四つの目と六枚の翼を持つ竜であったが、右の三翼は全て斬り落とされ、左目の二つは潰れている。胴や首、額に大きな傷があった。右前脚は失われ右後ろ脚を引き摺っている。


 何て痛々しい姿なんだ……。

 でも、それをしたのは僕だ。僕とクライン。


 邪竜の体中の古傷からは、血のように赤黒い木が生えていた。

 幹の表面には血管のように管が張り巡らされており、まるで邪竜から何かを吸い上げるようにどくどくと脈打っていた。右前脚の断面から生えた木は義足みたいだ。三枚の翼の断面から伸びた木の翼では、もうどこにも飛び立てないだろう。


 邪竜が僕の目の前で立ち止まる。

 何たる威圧感。何と言う高密度の魔力。


 ぼろぼろになってなお威厳のあるその姿を前に、少しでも気を抜けば恐怖にその場にへたり込んでしまいそうだった。


「皆上さん、何をしているのです!」「日都也、逃げて!」


 背後からレトゥグスとティナの声が聞こえた。

 でも、僕はその場から動かなかった。


 邪竜は傍らの聖騎士の死体を一瞥してからじっと僕を見た。

 その瞳には深い知性と僕への懐古の光が宿っている。

 

 その目を見て確信した。

 こいつ、僕を覚えてる。転生したにも関わらず僕を僕だと認識している。

 

 多分、ウルグラフ(ぼく)と僕の魔力の波長が同じだと気付いたのだろう。そんなことに気付けるのは知性の高い一部の魔物と、高位の司教や魔法使いやエルフなど魔力に敏感な者だけだ。


 邪竜の目には三十数年前のような敵意は宿っていない。むしろ、懐かしい友達に再会したような穏やかさがあった。


「久し振り……」


 呼びかけると、邪竜は黒い瘴気混じりの息を吐きながら、ぐるる……、と返事をするように唸った。

 襲ってくる気配はない。

 というよりも、きっともうそんな力は残されていないのだろう。


 体中から生えたあの木は寄生トネリコだ。

 胞子のように細かい種子を風に乗せて飛ばし傷口から生物の体内に入り込むと、その生物の生命力を糧に育ち最後には宿主の命を奪ってしまう。


 しかも質の悪いことに、成長とともに宿主の血管や骨、内臓に根を張り巡らせ、宿主に激痛を与えるのだ。


 邪竜の体から生える寄生トネリコの育ち具合を見る限り、昨日今日寄生されたわけではない。

 恐らく、僕との戦いで負った傷から寄生されたのだ。


 邪竜の命が消えかかっていることは明らかだった。

 あんなに強かったのに、まさかこんな理不尽な最期を迎えようとしているなんて……。

 そのことが、不思議と自分のことのように悔しかった。


 でも、同情はしない。

 それが世界の摂理だから。

 僕はむしろ、竜に敬意を覚えた。


 あれだけの寄生トリネコに支配されているのだ、全身を蝕む苦痛は計り知れないだろう。

 それなのに、激痛に耐え、周囲に魔力を放出して森の魔物を威圧し続けるその強さ。

 そして、死期を悟り寄生トネリコではなく仇敵の手による死を選ぶその矜持。

 

 ――そう。

 

 邪竜の目は僕に殺してくれと訴えていた。死ぬなら貴様のような強敵の手に掛かって死にたい、と。

 

 僕が頷くと、邪竜は前足を折り首を差し出すように頭を低くした。

 

 この邪竜は堅牢な鱗に覆われている上、スキル《全攻撃耐性》を有しているので生半可な攻撃は通用しない。ティナの《水銀剣(メリクリウス)》も国重の《竜撃刀(ドラグスレイヤー)》も、この邪竜の首を一撃で刎ねることは絶対にできない。


 でも、僕のパラーシュは別だ。この剣に付与されたスキル《防御スキル貫通》の前ではどんな防御系スキルも意味はなさない。


 僕は竜の首の側面に回り込む。

 竜が僕を一瞥した後、そっと目を閉じた。


「名もなき邪竜よ、僕は君に敬意を表す。……どうか安らかに」


 高く掲げたパラーシュを振り下ろす。

 折れていてもなお長い刀身が細く風を切る。


 ありがとう。


 そう聞こえた気がしたのは、僕の気のせいだろうか?


 刃は竜の首を落とし、地面に食い込んだ。

 竜は二度と目を開けなかった。


 僕は神に祈ろうとして、やっぱりやめた。

 どっちの世界の神に祈っていいか分からなかったわけじゃない。


 神なんていう部外者にこの邪竜の死を汚してほしくないと思ったからだ。


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