クリスの隠し子騒動 その1
クリスはサリエルの魔法の教師として一室を与えられ公爵邸で生活するようになった。
「学園卒業後は寮を出なければならないのに『魔術師団に入らないならば屋敷の門は跨げないと思え』なんて父上に言われてちょうどどうしょうかと思っていたところだったんだ。あの時小公爵から声をかけられなければ、どこか行くあての無い旅へと出ようかと思っていた矢先だったのでね、ちょうど良かったよ。」
朝食の席で朝から朗らかにクリスが話すと、小公爵の眉間に深い皺が寄った。
クリスとガブがやって来てからサリエルの一日は劇的に変わった。
朝は日が昇る前に起き出して、ガブとクリスと共に公爵邸の私設騎士団の鍛錬場へ向かい広い外周を走り、クリスが独自に編み出したという準備体操をした後模造刀を使って剣術指南をクリスから受けた。
クリスは本人が何でも教えられると豪語するだけあって、大魔法使いであるだけでなく、剣術も確かな腕前であった。
初めて剣を持つサリエルとガブに、先ずは剣の重さを軽減する魔法を教える。
それが出来るようになると、次にクリスの動きを模倣する魔法も教えてそれをサリエルとガブはお互いかけっこをさせた。
そうして、やっと、剣術を教え出すのである。
教える、というのもまた違って、クリスの身体動作をコピーする魔法をかけた二人にクリスが切りかかる。
かわす、切りかかる、かわす・・・サリエル・ガブチームとクリスの2対1で延々とそれを繰り返すのだった。
とにかくクリスの教え方は何であれ同じ様子で、乗馬であれ体術であれ、語学であれ、クリスの身体動作のコピー魔法をかけてすぐに実践を行うのだ、魔法の授業以外は。
今まで座学の授業のように、教師が教え生徒が覚えるというやり方しか知らないサリエルはこのクリス式授業に感動した。
「クリス先生、このやり方ってとても効率がいいわ。覚える時はまず真似から入るのですもの、特に体を使うものは動きを体に覚え込ませることが重要ですものね。みな同じように学べばいいのに。」
「いや、このやり方はまずコピー魔法を使いこなせる素要がなければ無理だよ。この魔法は闇属性がなければ出来ないからね、僕と君たち二人だから出来る方法だよ。」
そうして、朝の鍛錬を終えると、着替えて身支度を整えてクリスと家族と一緒に食事を取る。
そこは身分が違うので、ガブは使用人用の食堂で取るのだが。
そして、午前中いっぱい魔法の授業を受ける。
クリスは授業をサリエルの部屋だけでなく、公爵邸の庭や時には魔法で姿を変えて町中へと繰り出したり、王都の外れにある森へ乗馬で出掛けたりと気の向くまま自由に好きな場所で行った。
自由奔放なクリスの教え方に小公爵夫妻は頭を抱えていたのだが、一方でその授業中はサリエルが生き生きとして楽しそうに笑って過ごしている姿を見るにつけ、これが情緒教育ではないかとお互い慰めあって黙認していた。
側仕えのガブはサリエルの言うことを聞くだけでなく、間違いをやんわり嗜めたり、なんなら暴走しそうなクリスの手綱も巧く操って行くようになって行ったので、公爵邸のみなも温かい目で独創的なクリスの授業を見守っていた。
しかし、問題というのは慣れた頃に起こるもの。
その日の昼過ぎ、使用人の食堂で食事を終えたガブに侍従の一人が話しかけた。
「やあ、ガブ。いつも朝から晩まで大変だね、身体は大丈夫かい?」
使用人はみな、朝日が昇る前に起きて鍛錬し、夜サリエルをメイドに引き渡して寝る準備に入ると執事のセバスチャンにマナーや侍従の仕事を教わっているガブの姿を見ていたので、まだ幼い子供なのに大丈夫かと心配していた。
「はい、特に問題は無いです。」
しかし、ガブは特に気にする素振りも無い。
「そうかい、ねえ、これからは何をするか決まっている?」
「午後はサリー様はピアノと刺繍のお稽古だそうなので、僕は特に用はありません。セバスさんに侍従についてのマナーを教えてもらおうかと思っていたくらいです。」
サリエルに名前で呼ぶように言われてから、セバスチャンに確認を取ると、お嬢様がそう命じたのであれば従うのが侍従であると教えられたので、あれ以来そう呼ぶことになった。
それは屋敷の者ならみな知っている。
家庭教師として多くのことをクリスが教えているのだが、令嬢に必要なお稽古事と領地経営についてはそれ専用の別の家庭教師が通いで来ていた。
その時間ガブは休息していてもいいし、他に学びたいことがあればしても良いと言われていた。
「なら良かった。そろそろ暑くなってきただろう?最近、みなで各部屋の模様替えを行っているのだが少し手伝ってくれないかい?」
その侍従に頼まれると、
「ええ、良いですよ。お手伝いします。」
二つ返事で答えた。
その日、ピアノのお稽古が終わった後、来る筈だった刺繍の家庭教師が体調不良で急に来れなくなり時間が空いてしまったサリエルは、ガブとお茶でもしようかと公爵邸の中を探し歩いていた。
それを部屋から出てきたクリスが気がつき、サリエルに声をかけた。
「ねえ、サリーどうしたの?」
「あら、クリス先生。刺繍の先生がご病気で授業がお休みになってしまったので、ガブとお茶でもしようかと探しているのですけれど、姿が見えないようで。」
「ああ、今は夏の屋敷に模様替えをしている最中だから、その手伝いにガブも呼ばれたのかもしれないね。」
「まあ、そうですのね。先生はお出掛けですの?」
しょんぼりとした様子のサリエルがクリスに尋ねた。
「やあ僕も時間が空いたのでね、久しぶりに王立図書館へでも出掛けようかと。どうだい、暇ならサリー君も一緒に行くかい?」
クリスの楽しそうなお誘いに、サリエルは二つ返事で答えた。
「ええ、お願いしますわ。」
サリエルはクリスが一緒なら、屋敷の外に出ても咎められることはない。
王国一の魔法使いが護衛でついているのだから。
しかし、その護衛の魔法使いが厄介者なのだが本人は頓着がない。
サリエルを小脇に抱えると、転移魔法を詠唱してあっという間に王立図書館の前に着いてしまった。
「まあ、これが転移魔法!素晴らしいですわ。わたくしにも出来るかしら?」
目をキラキラさせてサリエルがクリスに尋ねる。
「そうだね、これもは闇と風属性が必要な魔法だから、練習次第でサリーもいずれ出来るようになるよ。まだ魔力量が足りないから、すぐには無理だけれどね。」
そうクリスがサリエルを地面に下ろしながら答えた。
王宮の近くにある王立図書館はいつも人の往来が多い場所である。
そこに、《《滅多にお目にかかることが出来ない大魔法》》で現れた二人にそこにいる人々はギョッとして目を見張った。
(あれは今代の大魔法使いじゃないか!)
(あの連れの少女は誰だ?)
(同じ髪と目の色合いに、なんとなく面影が似ているような?)
(大魔法使いの隠し子じゃないか?)
(いや、それじゃ、あの少女の年頃からみて学園の時の子供か?)
(相手は誰だ?大魔法使いの恋人がいたのか!)
・・・
ヒソヒソと人々が囁く。
完全な誤解なのだが、魔術師団長の息子で王国一の魔法使いなのだが魔術師団に入らずしばらく行方知れずだったクリスが似た面立ちの少女を連れてやって来たのだ、本人を無視して噂が加速していく。
クリスとサリエルが髪と目の色が一緒なのは、サリエルが小公爵の色を受け継いだからであり、公爵家には良く出る色合いだ。クリスの母も黒髪黒目である。
どちらかと言えば母親似な顔立ちのサリエルだが、クリスは所謂女顔なのでそう見えただけなのだが。
二人連れだって図書館へと入っていく姿を見た人々は、サリエルをクリスの隠し子だと思い込んだのだった。
図書館の魔術書のコーナー仲良く魔術書を探しながら歩く姿を、そこにいた多くが目撃した。
小耳に挟む言葉の端々に、
「サリーなら・・魔法・・使える」
「僕と・・・同じだ・・大丈夫・・・」
「お父様・・・お願・・・」
「そうでは・・・出てしまおうか」
そんな単語が聞こえてきた。
そこにいた王宮の関係者がそっとその場を離れ、王宮へと急ぐ。
そして自身の主、王太子に今まさに囁かれている噂話を話した。
「なに?あの大魔法使いに隠し子がいた!と。そしてその娘が幼くして魔法が使えて、大魔法使いと同じだと、それを儚んでこの国を捨てて父娘で出国しようと考えて、図書館で新たに住まう国を探していると!なんということだ!
急ぎ、魔術師団長を呼べ!いやこうしては居れまい。私が足止めしておくので、そこに来るように伝えろ。
大魔法使いが向かう国は大きな戦力を手にするのだ、我が国にとっては驚異。しかも同じ素要の子供まで連れて。
一刻の猶予もない。」
そう言うと王太子は側近を引き連れて王立図書館へと急ぎ向かった。
そんなことが起きているなど、全く気がつかない二人は、他国の魔術書を見ながら歓談室で楽しく話していた。
「クリス先生、言語が異なっていても魔法は同じなのですか?」
「ああ、サリー良いところに気がついたね。詠唱する言葉が違えども、発現する魔法は一緒だ。なぜなら呪文の基本部分は古代文字で決まっているのだから。犬というかドッグというか、そういった物の名前が異なるだけなんだ。そして詠唱する時に脳裏に浮かぶ映像は、どこの国でも一緒だろ?犬とドッグ、同じ映像が頭に浮かぶ。そういう違いだけだ。」
ものすごく、真摯に魔法に向かい合っている二人であったが、残念ながら周囲はそう見ていなかった。
クリスが相手をしてるのはどう見ても4、5才児で、古代文字だの他国の言語だの、理解できると普通は思わない。
しかし大魔法使いの娘なら、それも可能なのかもしれない、英才教育かはたまた出国の相談か・・・
談話室に居る者はみな息を潜めて話を聞いていた。
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