魔法の練習
親の心子知らずで、両親が悲観に暮れているなど知らず、サリエルはワクワクした気持ちでクリスに向き合っていた。
サリエルの部屋、ポケットから出した(ポケット?)ラグを床に広げたクリスはそこに靴を脱いで寛いで座っていた。
サリエルもガブもクリスの真似をして同じように靴を脱いで座った。
「ねえ、サリエル。《闇のローブ》をやって見せてよ。」
クリスが気楽な口調で言った。
「はい、クリス先生。」
返事をすると、サリエルは魔法を詠唱し始め、手を広げた。
次の瞬間、目の前からサリエルの姿が消えた。
「へえー、本当に消えてら。正解じゃないけど。」
クリスがそれを見て、一人言ちた。
「え?これ正解じゃない?」
ガブがそれを聞いて、問い返した。
「うん、それじゃあいくら魔力があってもすぐ尽きちゃうよ。もう良いよ、サリエル。」
「はい。」
魔法を解いたようで、次の瞬間サリエルの姿がパっと現れた。
「いいかい、サリエル。この魔法はね、こういう風に物に付与するんだ。」
そう言うと、クリスは自分が着ているローブを手に持って魔法を詠唱した。
そして、そのローブを頭から被ると、全身の姿が、見えなくなった。
「え?」
「きゃ!」
二人は短い驚きの声を上げた。
次の瞬間、クリスが元に戻り、ローブの魔法を解除した。
「こういう風に物に付与しないで、何もない空間に魔力でローブを作り出したらそれは自分の魔力を空へ放出し続けているようなものだもの魔力切れも起こすよ。ザルで水を掬うみたいなもんさ。それじゃ効率が悪いだろ?だから実際にある物にその効果を付与するのが正しい魔法だよ。やりたいことを自分の魔力で魔方陣に書いて物に貼り付けるんだ、そうしたら少ない魔力で同じ効果が得られるだろ。」
「なるほど。そういうことなんですね、じゃあそのローブのポケットには何か魔法が付与されているんですか?だから大きな水晶やこのラグみたいな荷物が入るのですか?」
ガブがそう尋ねた。
「ああそうだよ、ガブ、君は利口だね。良く見ていた、これはマジックバッグという魔法さ。」
クリスはガブの質問が嬉しいのか、ガブの頭をガシガシと撫でて答えた。
「こういう過去の魔術師たちが編み出してきた魔法を覚えて更に独自に進化させていく、これが魔法の勉強だよ。これから二人、よく学ぶこと、わかったかな?」
「「はい」」
二人は良い声で返事をした。
「それはそうと、ねえサリエル。どうして家出をしたの?《闇のローブ》を覚えて使ってみたくなっちゃった?それならそうで、それは魔術師の性だからしょうがないんだけど。」
クリスがサリエルに尋ねた。
「使ってみたくなっちゃったというのは、まあそうなんですけれど。魔術書で《闇のローブ》を見つけて練習したのは家出がしたかったから、なので、違うと思いますわ。家出したかったのは、お父様が大嫌いだからです。」
サリエルがプンッと横を向いて怒った。
「え?なんで?サリエルはお父上が大嫌いなの?」
クリスが面白そうな顔をしてまた尋ねた。
「ええ、嫌いですわ。だって、わたくし生まれてからずっと言われるままに公爵家の令嬢として必要なことを学んできましたのに、弟が生まれた途端に、あんな何も出来ない赤子を大事な長男だ、跡継ぎだと言って歩いて。それを耳にする度に嫌な気持ちが胸に広がっていったのですが、ある日セスリー女史の伝記でも同じような記載があったのをふと思い出しましたの。だからもう一度伝記を読み返したらわたくしの気持ちと同じ気持ちがやっぱり書いてあって。
《伯爵家を継ぐ者として努力してきたのに、ある日生まれたばかりのなんの努力もしてない者に自分の努力の結果を奪われる理不尽》
《もう2度と私の何物も奪われないようにしよう》
《私は唯、私のために、私の求める物のために、ただ真っ直ぐに進むのだ 私の選んだ道を》
それを見てなるほどと思いまして、わたくしは家を出て、道を真っ直ぐ進んだのですわ。」
サリエルはそう言うと、エッヘンと胸を張った。
「ぶぶぶー、そう、それで真っ直ぐ進んだんだね、道を。」
真面目な顔でドやるサリエルを前に、クリスは堪らず吹き出した。
「それはちょっと間違っているよ、お嬢さん。」
黙って聞いていたガブがサリエルに目線を合わせて話し出した。
「あのね、お嬢さん。まず、進むっていうのは真っ直ぐ歩いてどこかの道を進むことじゃなくて、例え話だよ。」
「え??例え話?」
「そう。もう次は誰かに自分の時間を奪われないぞ!っていう気持ちの表現ってこと。
でもね、お嬢さん。本当に間違っているのはね、お嬢さんは弟に奪われた訳じゃないってことだよ。」
ガブがサリエルに言って聞かせるように嗜めるが、サリエルには伝わらないのか小首を傾げている。
「あのね、俺は娼婦の息子でさ、娼館で生まれて育ったのは俺が決めたことじゃない。
周りの娼婦の姉さんたちも自分で選んで娼館に来たわけじゃないってみんな言ってたよ。
俺は小さい時は母親が夜仕事の時は管理人の夫婦の部屋で寝てたんだけど、たまに暇な姉さんが一緒に寝てあげるっていって自分の部屋に呼んでくれて、姉さんたちと寝る日もあってね。
そんな時は、子守唄代わりに姉さんちの身の上話をよく聞いた。
親の仕事が失敗して娼館に売られた人も、農家だったけど不作が続いて売られてきた人もいた。
その人たちはそんな状況を選んでない。でもみんな『しょうがない』って言ってたよ。『世の中儘ならないこともあるんだ、しょうがない』ってね。『でもここはお客もいい人が多いし、意地悪な人は居ないからここの店で良かった』って。『この店に来れて運が良かった』って。
俺は母さんが死んじまったのは悲しいし嫌だったけど、しょうがないって思ったよ。でも母さんが死んじまって教会の司祭に闇ギルドに売られて暗殺者にさせられるのは、嫌だと思ったから逃げてでも見つかってしまった時、暗殺者に成るくらいなら死んじまってもしょうがないって思ったよ。
そしたら、騎士団に助けてもらえて、こうして公爵家で雇ってもらえて、お嬢さんと一緒に勉強までさせてもらえてありがたいって思っているけど、それは俺が選んだことじゃない。
たまたま運が良かっただけだ。
お嬢さんもその伝記の人も兄弟ができたことはしょうがない。でもお貴族様に生まれたことは『運が良かった』って思うけどね。
ご主人様も奥様もお嬢さんのことを大事にしていのがわかるよ。
俺も母さんにも娼館の管理人にも娼婦の姉さんにも大事にしてもらった。
それは『運が良かった』って思わない?
お嬢さんは何も奪われてないんだよ。
公爵家を継がないでいいんだから、何にでもなれるんだよ。
お嬢さんは奪われたんじゃない、自由を手に入れたんだよ。」
ガブはゆっくりとした口調で、優しく幼い妹に言って聞かせるようにサリエルに話した。
「うーん、ガブ、君は確か7才だったね。その割りに随分人生経験があるような良いことを言うね。」
クリスがなんとも形容しがたい難しい顔付きでそう言った。
「そうね、ガブ。あなた、とっても経験が豊かなのね。わたくしの世間は狭くて考えは浅かったわ。これからもいっぱいわたくしに教えてね。そして、わたくしのことはお嬢さんでなくてサリーと呼んでちょうだい。」
サリエルはガブの話に何やら深い感銘を受けた様子で、そう言った。
「サリエル、君はまだ5才だよ。世間が狭くても考えが浅くても何も問題ない。これから私とガブと一緒に色々学んでいこう!そして私にもサリーと呼ばせておくれ。」
そうクリスが言ったが、
「いいえ、クリス先生。わたくしは魔法の弟子ですもの、先生に教えて頂くのは魔法だけで結構ですわ。そして今まで通りサリエルとお呼びください。わたくしはガブに世間というものを教えて欲しいのです。」
そう断られた。
「ええー!ガブだけ!ガブだけ特別扱い?仲間はずれは良くないよ!僕もサリーって呼ぶし、魔法以外も教えるからね!」
5才児に本気になってイヤだイヤだと言い返す、クリス18才児である。
しばらく一緒に仲間に入れて、イヤだ、イヤだじゃない、サリーと呼ぶ、イヤだ、イヤだじゃないとしょうもないやり取りを繰り返していたが、
「わかりましたわ、では先生もサリーとお呼びくださいませ。」
嫌だ嫌だとしつこくごねるクリスを目の前にして、サリエルは(これは恥ずかしい)と思い、折れることを覚えた。
こうして、サリエルの第一次反抗期、通称イヤイヤ期が終わったのである。
「旦那様、どうやらお嬢様は反抗期が終わったご様子です。クリス様を反面教師に、ガブを手本にしたようで、聞き分けの良いお嬢様にお戻りになりました。」
魔法の授業を壁際で黙って見ていた執事のセバスチャンから小公爵はそう報告を受け、そっと胸を撫で下ろすのであった。
「セバス、子供の反抗期とは驚くべきものだな。」
「ええ、ですがご主人様。第二次反抗期というのもまたそのうち来ますので、お心構えはお忘れなく。」
セバスチャンは顔色を変えず、そう小公爵に告げた。
セバスチャンは小公爵が生まれた時から側使えをしている。
小公爵本人は忘れているのかもしれないが、サリエルほどでは無いにしても小公爵も同じような時期があったのだ、それを思い出して少しおセンチになるセバスチャンであった。
「な、なに?また来るのか!それについては、それまでに反抗期について学んでおかねばな。今回のような大騒ぎにならないようにな。」
そういう小公爵の決意とは裏腹に、第二次反抗期のフラグが今まさに立ったのであるが、それはまた別のお話。
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