エレン様のプライド 4
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ちょっと長めです。
「エレン様⁉」
わたしは、階段の踊り場でうずくまっているエレン様を見つけて駆け寄った。
それは、ランチタイムの休憩時間のことだった。
音楽の授業が終わって、わたしは聖女科に戻って三時限目の授業に参加した後で、エレン様の到着を待っていた。
今日はお昼ご飯をエレン様と理事長室で取る約束をしていて、エレン様が迎えに来てくれることになっていたのだ。
けれども、いつもすぐに迎えに来てくれるエレン様が来なかった。
しばらく待ってみたけど来ないから、わたしはシャルティーナ様と一緒にエレン様の教室に向かうことにしたのだ。もしかしたらトラブルに巻き込まれているかもしれないとシャルティーナ様が言ったから。
シャルティーナ様の言う「トラブル」が何かわからなかったけど、エレン様がこちらに来られない何かが起こったに違いない。
シャルティーナ様は「本当は大人が介入しない方がいいのだけど」と困った顔をしていたけれど、わたしをエレン様の教室まで案内することには異論はないと言って、わたしたちはエレン様の教室を目指して階段を上っていた。
その途中で、エレン様を見つけたのだ。
踊り場の隅でうずくまっているエレン様に駆け寄ると、エレン様は額に脂汗を浮かべて足首を抑えていた。顔も青ざめている。
シャルティーナ様も顔色を変えて、エレン様の側に膝をついた。
「エレン、どうしたの?」
エレン様は小さく顔を上げて、軽く頭を横に振る。
何も言いたくないということだろうか。
だけど、事情を聞くより先に、足首だ。たぶん痛めている。
……リヒャルト様、エレン様は身内ですよね? だから、いいですよね?
身内以外に聖女の力は使ってはだめだと言われた。でも、エレン様はわたしの中でリヒャルト様やベティーナさんたちと同じくらい大切だ。だから「身内」でいいと思う。
「エレン様、足首を見せてください」
「だ、大丈夫ですわ」
「大丈夫じゃないです」
足首を抑えているエレン様の手に手を重ねると、エレン様が諦めたように手を離した。
「……これは」
シャルティーナ様がぐっと眉を寄せる。
……うん、折れてる気がする。
エレン様の足首は赤紫色になって大きく腫れていた。わたしの見立てでは折れている。ひねった程度の腫れ方じゃない。
わたしはエレン様の足首に触れるギリギリのところに手をかざした。
「待ってスカーレット、わたくしが……」
シャルティーナ様が止めるけれど、そのときにはすでにわたしは癒しの力を使ったあとだった。
手のひらが金色に輝いて、エレン様の足の腫れがすーっと引いていく。
エレン様が目をぱちくりとさせて、腫れの引いた足首を見た。
「……これが、聖女の癒し? 信じられないわ」
エレン様は聖女の癒しを受けるのははじめてなのだろう。茫然としたように、腫れの引いた足首を撫でている。
「エレン様、何があったんですか? どうしてこんな怪我を?」
「スカーレット、ここではやめましょう。目立っているわ」
シャルティーナ様がわたしを制して、エレン様に手を差し出す。
エレン様に夢中で気が付かなかったけど、顔を上げるとたくさんの生徒たちに囲まれていた。
公爵令嬢がうずくまっているところに加えて、聖女が癒しをかけたから注目を集めたのかもしれない。
「エレン、立てるかしら? 理事長室に行きましょう」
エレン様は足首を確かめた後で、こくりと頷く。
「大丈夫です。問題ありません。むしろ、怪我をする前より調子がいいくらいです」
……あ、もしかして、癒しの力が多かったかな? でも、たぶんちょっと多かったくらいだよね。セーフだよね。セーフ。
力のコントロールがいまいち苦手なわたしである。エレン様が怪我をして慌てていたから、怪我を治すのに必要な力より、少し……ほんのすこーし、多かったかもしれないけど、たぶん問題ないだろう。プラスでニキビとか(エレン様にニキビがあるのかは知らないけど)擦り傷とか頭痛とか、まあ何かが治っただろうけど、治って困ることはないもんね?
エレン様はシャルティーナ様の手を借りて立ち上がって、制服のスカートを軽くはたく。
注目を集めていることにわずかに眉を寄せ、けれども毅然と顔を上げて歩き出した。
エレン様が歩き出すと、自然と集まっていた人が道を開ける。
わたしとシャルティーナ様もエレン様のあとをついて階段を上ると、別棟にある理事長室へ向かった。
理事長室に向かうと、そこには豪華なお昼ご飯が用意されていたけれど、シャルティーナ様まで一緒に来るとは思っていなかったのだろう、ベルンハルト様がきょとんとした顔をしている。
「おや、シャルティーナもここで食べるのかい? ダイエット中だからランチは不要だと聞いていたと思うんだが……」
「ベルンハルト様、一言余計ですわ!」
シャルティーナ様が頬を赤く染めてベルンハルト様を睨んだ。
……なるほど、シャルティーナ様、ダイエット中なのか。充分細いのに。貴族女性って大変!
そして、わたしの視線は用意されているお昼ご飯に早くも釘付けだ。
わたしの食べる量をわかっているベルンハルト様は、カフェテリアで提供されているメニューを全種類、そして大量に用意してくれているのである。
……今日の日替わりランチは……あ、あれかな? あれははじめて見るもんね!
「エレン様エレン様、あれは何て料理ですか?」
「あれはブランダートですわ。あのパテをバゲッドに乗せて食べるのですけど、日替わりランチのメニューに入れられたのははじめてではないかしら。もしかしたらカフェテリアのアンケートにあったのかもしれませんわね」
「アンケート?」
「カフェテリアでは定期的にアンケートを取っていますの。それを元に提供するメニューを考えるんですわ」
なんと、そんな素敵なシステムが‼
もし今度アンケートをやるときがあったら、わたしもぜひ参加したい。何を書くかは決めてないけど、それで新しいご飯が提供されるなら何か書きたい!
わたしがエレン様と喋っている間に、シャルティーナ様から事情を聞いたベルンハルト様が難しい顔をした。
「エレン、何があったのか説明してくれ」
「それは構いませんけど、食べながらの方がよろしいのではないでしょうか。だって……」
ぐうぅぅぅぅぅぅ~!
タイミングよく(?)わたしのお腹の虫が主張する。
エレン様は「ほらね」という顔をして、シャルティーナ様とベルンハルト様はくすりと笑った。
「その通りだ。スカーレットがしょんぼりした顔になる前にご飯にしよう。……スカーレットに食事のお預けなんてしたら、リヒャルトに殺される」
リヒャルト様は優しいので、ベルンハルト様を殺したりなんてしないと思いますよ?
変なことを言うなあと思いつつも、お昼ご飯を食べることに異論はないのでわたしはうきうきと席に座る。
「それでは食べよう」
ベルンハルト様が代表してお祈りの言葉を口にして、祈りをささげた後でわたしはさっそくスプーンを手に取った。ここはやっぱり、はじめて見るブランダートからでしょう!
薄くスライスされたバゲットを手に取って、白くてふわふわのブランダートを乗せる。
エレン様があきれ顔で「そんなに山盛り乗せるものではないのだけど」と言っているけど、もう乗せちゃったから遅い。もちろん戻すなんてもったいないことはしないよ。
「もぐもぐもぐ……ん、ジャガイモと、あと、お魚の味がしますっ。クリーミーで美味しいっ」
「鱈だと思うわ。ブランダートはよく鱈を使うから」
「エレン様物知り!」
「普通よ」
エレン様が苦笑しながら、バゲットにブランダートを少し載せて口に入れる。
ベルンハルト様はお肉料理を選んで、シャルティーナ様は悩んだ末にサラダに手を伸ばしていた。
「それで、エレン、何故怪我を?」
「いつものやつですわ。今日はちょっと、悪質だっただけで。最近大人しかったからわたくしも油断していました」
……いつものやつ?
どういう意味だろうかともぐもぐしながら首をひねる。
「何をされた?」
ベルンハルト様が重ねて訊ねると、エレン様が肩をすくめた。
「階段から突き落とされました。今日ははじめて見る顔でしたわね」
「え⁉」
わたしはごくんと口の中のものを飲み込んで、つい大きな声を上げてしまった。
「……スカーレット、口から何か飛び出してきましたわよ」
エレン様があきれ顔でハンカチを渡してくれる。飲み込んだつもりだったけど、口の中に少し残っていたみたい。
わたしはハンカチで口を押えてから、エレン様を見た。
「突き落とされたってどういうことですか?」
「そのままの意味よ。階段の上から突き落とされて、無様に転がり落ちただけ。それで足首を怪我してしまった、それだけのことなの」
それだけって、「それだけ」って言いきれるような些細な問題じゃないよね⁉
「エレン様、どうして平然としているんですか⁉」
「この程度のことで騒ぐ必要はありませんもの。……まあ、今日は立てなかったのでさすがに焦ったけれど。あなたが来てくれて助かりましたわ。そうそう、癒しを使っていただいたんだもの、何かお礼を……」
……お礼なんていいですから! というか、今はそう言う話じゃないですよ!
わたしが口をパクパクさせていると、ベルンハルト様がそっと息を吐く。
「……エレン、今日ほど悪質だと、さすがに対処が必要になってくるぞ」
「必要ありません。クラルティ公爵令嬢たるわたくしが、年も身分も下の、それも集団でないと誰かを攻撃できないような小物にやられて泣き言を言うわけには参りませんもの。わたくし自身で何とか致します」
「何とかなっていないだろう。それどころか年々……日に日に増えている。そろそろ大人を頼ってもいいころだ」
「ですから、必要ありませんわ。……それに、あまり大事にすると、困る方がいらっしゃいますもの」
「その言い方だと、主犯に心当たりがあるのか」
「……ええ、まあ」
「誰だ」
エレン様がニンジンのポタージュスープをスプーンですくいながら、そっと息を吐く。
「言えませんわ。言えば、ベルンハルト様のことですもの、裏で動かれるでしょう?」
「表ざたにならなければいいだろう」
「そう言うわけにも参りません。……少なくとも、傷つくと思いますもの」
「なるほど、イザークの取り巻きか」
がしがしとベルンハルト様が頭をかいた。
「イザークは知っているのか」
「ご存じないはずです。さすがに知っていて見逃す方ではありませんもの」
「この場合、知らない方が問題かもしれないがな」
「あの方は、綺麗なものばかり見たい方ですの。だから仕方ありませんわ」
エレン様が困ったような、それでいて悲しそうに笑う。
話が見えてこないけど、エレン様をいじめている誰か(しかも複数)がいて、その中の誰かがイザーク殿下と仲がいいってことでいいのかな。
「イザーク殿下には言わないんですか?」
イザーク殿下の周りにいるのなら、イザーク殿下から注意してもらえばいいのに。
そう思ったんだけど、エレン様は硬い表情で首を横に振った。
「絶対に言いません。あなたも言わないでちょうだい」
……なんで?
エレン様とイザーク殿下は婚約者同士でしょう? 助けてって言うのは悪いこと?
わからなくてシャルティーナ様を見たら、シャルティーナ様も困った顔をしている。
「エレン、あなたの気持ちもわかるけれど、これ以上悪化するようなら放置はできないと思うわ。今日だって、打ち所が悪かったら命に関わっていたかもしれないのよ」
「……わたくしが、自分で対処します」
「エレン」
「わたくしが将来王妃になるかどうかはイザーク殿下のお心次第でしょうけど、王妃なるのであればこの程度の嫌がらせは自分で対処できなくては務まりません。気高く、強くあれ。自分を律し、何事にも平等であれ。他者を裁くときは公正に。決して、己の感情で他者を糾弾してはならない。……王妃教育の最初に教わることですわ。わたくしは、まだイザーク殿下の婚約者ですもの。その教えには背けません。……ただでさえ、わたくしはまだまだ未熟なんですもの」
エレン様がちらりとわたしを見る。
もしかして、イザーク殿下の新しい婚約者にわたしがおさまるのではないかと勘違いして、ヴァイアーライヒ公爵領に突撃してきたときのことを思い出しているのかな?
あれには驚いたけど、でも、エレン様はついつい突撃しちゃうくらいイザーク殿下のことが大好きだったんだよね?
エレン様はキッと顔を上げて、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「わたくしが、自分で対処いたします」
固い声で告げたエレン様を見ながら、わたしは、これはきっと、わたしには理解が及ばない貴族の問題なんだと、漠然と思った。
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