プロローグ 憂鬱な日々と叔父の婚約者(SIDEイザーク)
※注意事項(本編を読む前にご確認願います)※
本作第1巻が3/7に発売されます。
書籍1巻は第1部の内容に大幅加筆(分量倍の20万字超え)しておりまして、そのためかなりのエピソードが追加されております。
これから更新する第2部の中で「あれ、こんなエピソードあったっけ?」というようなことが発生するかもしれませんのでご注意下さい。書籍を読まないと内容が理解できないということはないとは思いますが、小さい部分の齟齬などあるかもしれません。気になる方はぜひ書籍の方もチェックいただけると、とっても嬉しいです!
それでは、長々と失礼しました。第2部スタートします!
風が、ふわりとマグノリアの甘い香りを運んでくる。
公務で学園に遅刻してきたアルムガルド国の王太子イザークは、授業に途中参加するのはほかの生徒の邪魔になるだろうと、ふらりと中庭に足を運んだ。
中庭にはそこかしこにマグノリアが植えられていて、華やかな赤に近いピンク色の花を咲かせている。
(エレンとの結婚の日取りが決まるのもそろそろだな)
春になり、イザークは貴族学園の最終学年になった。
貴族学園は十二歳を過ぎればいつでも入学可能な学園で、ストレートで卒業すれば三年で卒業できる。
かつては男子のみ受け入れていた学園だが、十年ほど前から令嬢たちにも門戸を開いた。
今では、貴族令嬢の多くが学園で学ぶようになったけれど、十五歳から十八歳が結婚適齢期と言われる彼女たちの入学は貴族令息たちよりも早い。
男子が入学する平均年齢が十五から十六に対して、令嬢たちは平均十三から十四という早い時期から入学する。
学園の卒業が結婚に差し障らないようにするためだ。
だが、婚約者であるエレンは、イザークと同じ年だったこともあって、イザークの入学年齢に合わせて入学した。つまり十六歳になる年に入学したので、イザークと同じく、今年が最終学年である。
エレンの年齢のこともあるので、恐らく卒業後間もなく結婚となるだろう。
イザークには、それが憂鬱でならない。
エレンは、クラルティ公爵家の令嬢だ。
イザークの次期国王としての地盤固めのために選ばれた婚約者である。
イザークとて、エレンと結婚するのが自分の立場にとって一番正しい道だということも理解していた。
理解している――のだけれど。
「はあ……」
つい、ため息がこぼれるのを止められない。
エレンは、なるほど、優秀だろう。
身分も能力も申し分ない。
次期王妃として考えるなら、国内の令嬢の中で彼女より優れたものはいないとも思う。
だけど……合わない。
エレンは何事にも自分の意見をはっきりというタイプの女性で、気が強い。それはイザークに対しても例外ではなかった。
だからだろうか。エレンと一緒にいると、イザークはいつも息苦しさを覚えるのだ。
王になる以上、自分の感情を優先してはならないとわかっているけれど、こればっかりはなかなか割り切れない問題だった。
「はあ……」
「もぐもぐもぐもぐもぐ……」
イザークがため息をついたとき、マグノリアの香りに混ざって、花とは違う甘い香りが漂って来た。加えて、物音もする。
何だろうとマグノリアの間を縫って進んでいけば、中庭の木製の円卓に、一人の可憐な少女が座っていた。
マグノリアの花よりも赤い、艶やかな長い髪。
小さな顔に、ぷっくりと膨らんでいる白い頬。
二つの大きな目は神秘的な金色をしていて、学園の制服を身につけていることから、ここの生徒だとわかるけれど――イザークの知らない女の子だった。
年のころは同じくらいだろうか、少し下だろうか。
今年に入って入学してきたと考えると、年齢的におかしい気がする。女の子は入学が早いからだ。
気になって近づいたけれど、彼女はイザークが近づいたことに気が付いていないようだった。
円卓の上には大量のお菓子が並べられていて、よほどお腹がすいているのか、彼女は一心不乱にお菓子を口に入れている。頬がぷっくりしているのはそのためだ。
その姿はさながらリスがドングリを頬袋に詰め込んでいるようだった。
とにかく、目の前にあるお菓子が口の中に消えていく速度が、速い。
「もぐもぐもぐもぐもぐ……」
金色の目が、きらきらしている。
にこにこと幸せそうな笑顔で、つぎつぎとお菓子を口に入れていく女の子から目が離せない。
どのくらい見つめていただろうか。
しばらくして、目の前のお菓子をすべて平らげた女の子が、お腹をさすりながらしょんぼりした声で言った。
「……もうない」
聞き間違いだろうか。
(もうない? え? あれだけ食べて、まだ足りないのか?)
いったいどれだけお腹がすいているのだろう。
イザークは驚愕したが、悲しそうな顔を見ていると無性に何とかしてやりたい気持ちになった。
「君……」
気づけば、イザークは自分から声をかけていた。
イザークの存在に気がついていなかったのか、女の子がびっくりした様子で顔を上げ、きょとんと大きな目を瞬かせる。
その仕草が、ものすごく可愛い。
「あー……、突然ごめん。その、お腹がすいているの? この時間なら昼も近いし、カフェテリアに行けば何か食べるものがあると思うけど……」
「ごはんですか!」
「え、あ、うん。時間的にもう購入可能だと思うけど……」
大きな目をきらきらとさせて、女の子がテーブルの上に両手をついて中腰になった。
「かふぇてりあ、ってどこですか⁉ って、あ……、わたし、ここから動いちゃダメなんでした」
今にもカフェテリアに向かって突進していきそうだった女の子は、何かに気が付いたように肩を落とす。動いたらダメと言うことは、誰かにここで待っているように言われていたのだろう。
しょんぼりしている彼女が可哀想になって、イザークは制服のポケットを漁った。昨日から喉を痛めていたから、飴を持って来ていたはずだ。
「あった。……君、飴ならあるけど、食べる?」
「飴ちゃん! 食べます‼」
即答だった。
イザークと彼女は初対面のはずなのに、初対面の人間から食べ物をもらうことに抵抗がないらしい。自分から提案しておいてなんだけど、なんて警戒心のない子だろうか。
イザークがテーブルまで歩いて行くと、女の子はきょとんとした顔でイザークを見上げて、それから軽く首をひねった。
「……誰かに似てる?」
「似ているのではなくて、もしかしたら、どこかで会ったことがあるのかもしれないね」
イザークは王太子としてあちこちにパーティーに顔を出している。新年や何かの折で国民に顔を見せているし、彼の顔を知っている人間は多いだろう。特に貴族であれば、ほとんどの人間がイザークの顔を知っているはずだ。
(学園に入学しているということは貴族令嬢だと思うけど、僕の顔がわからないってことは、よほどの深窓で育てられた令嬢なんだろうな)
ポケットから飴を出して手渡せば、女の子が嬉しそうに口に入れて、そしてじっとイザークを見つめてきた。
「風邪ですか?」
「どうして?」
「喉、痛そうだから」
よく気づいたな、とイザークは驚いた。
普段より多少声はかすれているだろうが、初対面ではまず気づかないだろう。
女の子はころころと口の中で飴を転がしながら、イザークに向かって白く小さな手のひらを向けた。
「飴ちゃんくれたから、お礼します」
「うん?」
お礼ってなんだ、と首をひねった直後のことだった。
彼女の手のひらが淡い金色に輝いて、イザークはひゅっと息を呑む。
その光は一瞬だったけれど、その一瞬後に喉の不調も治っていて、イザークは重ねて驚いた。
「聖女……」
「はい、聖女です!」
にこにこと、女の子が笑う。
なるほど、聖女か。
それならばイザークを知らないのも納得だろう。
聖女認定された貴族令嬢は、聖女の力の使い方を学ぶために一時的に神殿に通う。そのため社交界に顔を出さないのだ。
(どこの令嬢だろうか……)
聖女は数が少ない。貴族令嬢の中でと限定すれば数えるほどしかいないだろう。調べれば彼女がどこの誰かはすぐにわかる気がした。
(しかし、聖女か……。聖女なら、すぐに婚約がまとまるからな)
目の前の彼女は、もう誰かのものなのだろう。
自分でもびっくりするほど、イザークはがっかりした。
大きな飴を、右に左にと口の中で転がしては、頬をぷくぷくさせている女の子。
もし彼女が誰かのものでなかったとしても、イザークには関係ないはずなのに、どうしてこんなに残念に思うのか。
せめてどこの誰かは知りたいと、イザークが彼女に名を訊ねようとしたときだった。
「すまないスカーレット、待たせ……イザーク?」
小走りでこちらに駆けて来る足音がして顔を上げると、父の末弟である、リヒャルト叔父の姿があった。
「叔父上? どうして叔父上がここに?」
「それを言うなら、どうしてイザークがスカーレットの側にいる?」
(スカーレット? ……え? 彼女が聖女スカーレットか‼)
その名前を、イザークは知っていた。
誰とも結婚せずに独り身を貫いていた叔父がつい二か月ほど前に聖女との婚約を発表したのだ。
その名前が、スカーレットだった。
(……彼女が、聖女スカーレット)
一時期は、イザークの婚約者になるかもしれないと囁かれていた、叔父が拾った聖女。
「リヒャルト様、お菓子なくなりました。かふぇてりあってところに行ったらごはんが食べられるらしいですよ!」
叔父と互いに驚いた顔で見つめあっていると、スカーレットがにこにこしながらリヒャルトに話しかける。
「スカーレット、今日はもう帰るから、食事はカフェテリアじゃなくてレストランだ。予約しておいたよ」
「レストラン!」
「さあ、行こう」
「はい!」
リヒャルトが手を差し出せば、スカーレットがぴょんと飛ぶように立ち上がって手を繋いだ。
「ええっと……飴ちゃん、ありがとうございました!」
いまだにイザークが誰なのか気づいていないのか、スカーレットが無邪気な顔で言う。
「じゃあな、イザーク」
リヒャルトに連れられてスキップするような足取りで遠ざかっていくスカーレットの後姿を、イザークは見えなくなるまで見つめていた。









