カナブン
木曜日。
中途半端な週の間。
金曜日が待ちどうしい現代人を焦らすかのように木曜日はやけに長く感じる。
そのせいか木曜日は何もうまくいかないように思う。
そんな憂鬱な1日をやり過ごしてやっと家に帰り着く。
靴を脱いで、手を洗って、。繰り返されてきた儀式は今日も変わらない。
リビングに入る。照明は白いLEDの光をばら撒いて部屋はなんだか殺風景だ。
ガサ、ガサ。
キッチンで料理を作り始めようとした時、あたかも邪魔をするかのように聞こえてきた。
ガサ、ガサ。
小さな不気味な音が、疲れ切った私の心に暗い不安の細波を立てていく。
ガサ、ガサ。
部屋を見渡しても音の原因は見つからない。いよいよ不安の細波は大きくなって恐怖に変わりつつある。
そして天井にへばりつく黒い塊に気づく。
短い悲鳴を飲み込んで、そろりそろりと識別できる範囲まで近づく。
カナブンだ。
なぜかわからないが、天井にへばりついたまま身動きが取れないのだろう。
棘が生えたような足で天井の凹凸を確認してこちらもそろりそろりと進んでいく。
その摩擦でできた音が、部屋を満たす。
すると突然、目の前に落ちてきた。
この悲鳴はさすがに漏れてしまった。
悪びれる様子もなくカナブンは歩みを止めない。
急いでガラス瓶をそっとかぶせた。
見たことのないぐらい大きなカナブンは拘束に抗おうもがく。
だが、透明で無機質な檻はびくともしない。
5分経ったぐらいだろうか。
ふとカナブンを見れば、ガラス瓶にもたれかかって動きを止めていた。
近づいて、少し瓶を動かしてみる。
その反動で支えられていたビンの側面から滑り落ち、ぺたんと床に張り付いた。
力の抜けて動かないカナブンは、なんとも小さく、電灯に照らされてプラスチックのようにやけに安っぽく見える。
死んでしまったのか。
動かないカナブンに被せられた瓶は今は忌々しく思えて、せめての償いにそっと外した。
木曜日はなんとうまくいかないことだろう。
外から入ってきた音が静かな部屋を乱す。
その間、動かないカナブンをじっと見つめた。
それでも時間は止まってくれない。
急激な疲労感と空腹感に襲われて、料理を再開する。
名残惜しくて、カナブンをもう一度みる。
するとそろーり、そろーりと周りに何もないことを確認するかのように小さな頭が現れる。
安堵という感情はこういうものなのか。
何事もなかったかようにカナブンは行進を始める。
今度はこんな狭っ苦しい部屋に閉じ込められてしまったカナブンが可哀想に思えて、試行錯誤を繰り返してやっと瓶の蓋に乗せる。
窓の外は真っ暗で、遠くの電車の音と、風の音だけが聞こえる。
じゃあ、これで。
窓から漏れた光に照らされて、カナブンはピカッと光った。