6月18日、固有魔導の特訓開始
固有魔導を使いこなす訓練の初日。始業5分前に、天音はトレーニングルームに入った。技術班の2人から、ここで待つようにと朝食の際に言われたのだ。具体的にどのようなことをするのかわからないので、念のためジャージを着ている。
ややして、透に引きずられるように葵がやってきた。彼女の手には、雅から借りてきたのであろうパズルがある。
「お待たせしましたー」
「すみません、班長が遅くって」
いつもどおりマイペースな葵と、それをたしなめる透。第5研究所の普段の様子だ。天音は笑って、今来たばかりだと答えた。
「夏希から話は聞いてるッスよ。今日は自分たちの固有魔導を見せて、色々話したり、あまねんが自分の固有魔導をコントロールできるように特訓したりしたいと思ってるッス」
「何があってもいいようにトレーニングルームにしたので、安心してやってみてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
透は紙に魔導文字を書くと、机と椅子を二揃い出した。その片方の机に、葵がドバっとパズルのピースを広げる。
「もう知ってると思うんスけど、見た方がわかりやすいッスよね。自分の固有魔導は、行動速度を速くするモノッス。今からやるんで見ててください」
ゆっくりと、緑の魔力が広がりだした。夏希たちに比べれば、かなりゆったりとした発動だ。かと思えば、葵の手は凄まじいスピードで動き出した。残像が見えるほどの速度で手が動き、気づけばパズルは完成していた。
「これが自分の固有魔導ッス。急がなきゃ、って気持ちが発動の鍵なんスよ。他の魔導と違って、固有魔導は魔導文字が必要ないのは知ってると思うんスけど、そこは大丈夫ッスか?」
「はい、それは知っています」
「うんうん、いい子ッスね」
葵は再びピースを広げ、よく混ぜながら話し続ける。
「固有魔導は、その魔導師の体内に魔導文字が刻まれている、なんていう研究員もいるんスよ」
「ああ、その論文、僕も読みました。納得できる部分もありましたが、なんというか、随分過激な内容だった気がします。固有魔導は魔法と呼ぶのが正しいとか、我々は既に魔法を復活させ始めているとか……結局、魔導師は非魔導師より優れた人間で、さらに固有魔導が使える者は神にも等しい存在だとか言う魔導至上主義者じゃないですか」
「ま、そこは自分も飛ばしたんスけど。大事なのは、『魔導師の体内に魔導文字が刻まれてる』ってトコッス。魔導文字ナシで魔導が使える状況を上手く説明してるような気がするんスよね」
真偽のほどはさておき、と話を締めくくると、葵はバラバラになったパズルのピースを見て頷き、透に何か合図をした。
「さて、お次はカラシのターンッスよ」
「はい。僕の固有魔導は、他人の能力の底上げです。じゃあ、見ててくださいね」
緑と淡い黄色の魔力が光った。すると、先ほどよりも葵の手は速く動き、目で追えないほどになっていた。魔力の光の量からして、葵が強く発動したわけではないことがわかる。透の固有魔導が葵の力を底上げし、スピードを上げているのだ。
「僕の場合、物凄く悔しくはありますが、締め切りが近いのに書類仕事が終わっていなかった班長を見て、どうにかしないと思ったのが発動のきっかけです。強い思いが固有魔導の発現を促す、いい例ではあるかと思います」
「なるほど……」
葵が使っていない方の机を利用して、天音はメモをとった。この研究所に来てから、筆記用具の消耗が激しい。
「なら、私も強く願えば、また発動できるかもしれないということですね」
「慣れるまではそうですね。頻繁に使うようになると、歩くのとそう変わらないくらい自然に、深く考えずにできるようになるはずです」
「……わかりました。やってみます。でも、その……私がいいって合図するまで、耳を塞いでてもらえませんか?」
「え、いいッスけど……なんで?」
「すみません、聞かないで欲しいです!」
「あ、はい。わかりました」
まずはあの時と同じように、小説に出てきた呪文を唱えてみようと思った天音は、2人に聞かれないようにそう言った。葵は不思議に思ったようだが、トレーニングルーム中に響き渡るほど大きな声を出したせいか、気圧されたように頷いた。透は耳を塞いだうえに天音の周りに防音の術をかけ、さらに葵にも耳を塞ぐよう注意した。気遣いのできる男である。
誰にも聞かれていないことを確認すると、天音は氷の呪文を唱え始めた。時間にして1分ほどの長い呪文を唱え終えたが、何も起こらない。もう1度、さらに強く「使いたい、魔法を復活させたい」と意識しながら詠唱を繰り返したが、何もできなかった。
諦めて大きく丸印を作り、もう耳を塞がなくていいと伝える。
「上手くいかなかったカンジッスね」
「でも焦らなくていいですからね。僕たちの固有魔導より、天音さんの方がずっと複雑で難易度も範囲も広い術ですから」
「そうそう、気にしない気にしない。まずはイメージをしっかりできればいいッス。何もナシにやるのは難しいなら、あまねんがよくやってる、ノートをまとめるみたいにやってみりゃいいんスよ。それならやりやすいッスよね?」
「あ、そうかも……」
敬語を使うことも忘れ、天音は思わず口にした。そうだ、いつだってそうしてきたじゃないか。感覚より理論。それが自分の学習方法だ。
「ありがとうございます! やってみます!」
居ても立っても居られず、天音はトレーニングルームを飛び出して自室へと走った。その背中を、技術班の2人は優しく見守るのだった。




