同日、所長と魔導医師と
走って行った先に零がいたので、資料室に行きたいと声をかける。彼は「ちょうど暇だったんです」と言って、地下へ由紀奈を案内しつつ資料室へ向かった。
「あと数日で阿部さんも1人で入れるようになりますからね」
「は、はい……すごい……」
由紀奈は開いていく床を見て驚き、地下の広さに驚き、そして資料室がスカスカなことに驚き声を上げた。天音とほとんど同じ反応だ。
「一体何が見たいんですか? 夏希も案内したとおり、ここには大した資料はありませんよ」
「皆さんが以前書かれた論文と、『現代魔導』のバックナンバーを見たいんです」
「なるほど、そうでしたか」
零もまた、夏希と同じようにネックレスのようにして鍵を下げていた。開けるだけかと思えば、棚から何冊か雑誌や本を取り出し始める。
「僕や夏希ですと、依頼されたものを書くばかりであまり参考にならないと思います」
「……第1研究所の人の所為ですか?」
思わず顔をしかめる天音だが、零はそれを見て楽しそうに笑った。
「それはそうなんですけど……以前とは違って、随分人間臭い表情を浮かべるようになりましたね、天音さん」
「え」
言われてみればそうかもしれない。以前なら、第1研究所が正しいと思っていたし、第5研究所に対してよい感情を持っていなかった。浮かべる表情は新人として相応しく、緊張したものか、全てを諦めきったかのような乾いたものばかり。やる気もなかったし当然と言える。由紀奈に言わせればクールな表情は、ここでは「人間らしくない」表情だったということか。確かに、喜怒哀楽が薄かった。
それに比べて今は、やる気もあるうえ、第5研究所が好きになった。尊敬する人たちが苦しめられた場所を悪く思っても仕方がないだろう。
「よいことだと思いますよ、僕は」
「ならいいんですけど……」
ふふ、と小さな笑い声がした。振り返ると、由紀奈が笑っている。ここに来て以来、彼女が何にも怯えずに笑みを浮かべたのは初めてかもしれない。零もそれに気づいたのか、にっこりと笑い返した。由紀奈はそれに気づくと、耳まで赤くして恥ずかしそうに俯いた。
「さて、肝心の論文ですが」
「あ、はい!」
「葵は抜きましょう、工学の専門知識が必要ですし。同様に雅も抜きましょう。医療魔導は、現段階では難しいかと」
「あの……」
「はい?」
控えめに挙手をした由紀奈に、零は穏やかに返した。元々、口調だけは穏やかな人だが、由紀奈の前では特に気を付けているようだ。
「先生の……読みたいです」
「先生? ああ、雅ですね。ですが……」
「私、看護師の専門学校に通っていたので……卒業もしましたし……医療魔導、興味あります……」
「なんですって?」
信じられない、というように聞き返す零を見て、由紀奈は棚の影に隠れてしまった。小さく、そして恐ろしく早口の反省の言葉が聞こえる。
「何新人が出しゃばってるんだって思われたんだ医者でもないくせにって……理解できるわけもないのに頑張っちゃって馬鹿みたい……すみません……」
初めて会った時の和馬より酷い。ネガティブ極まれり、といった様子で棚の影に隠れたまましゃがみこんでいる。
「ここで待っていてくださいね」
しかし、零はその状態の由紀奈を放置して、どこかへ術を使って消えてしまった。まさかこのまま落ち込んだ状態で放っておくわけじゃないだろうな、と天音が由紀奈を慰めながら空中を睨んでいると、彼はすぐに雅を連れて戻って来た。黒い魔力が部屋中に漂う。
「雅! 弟子ができましたよ!」
「話が見えん」
荷物のように小脇に抱えられた雅は、ふてくされた表情を浮かべている。碌に説明もされずに連れてこられたようだ。
「あ、ええと、由紀奈ちゃんが看護師の専門学校に通ってったって話です」
「なんと!?」
雅も零とまったく同じ反応をした。零の腕から飛び降りて、棚の影の由紀奈のもとへ小走りで向かう。
「ならばわらわが直々に教育してやろうぞ!」
「え、何事?」
話のテンションについていけない。天音は1人静かに呟いた。あんなんに熱のこもった眼差しを向ける雅を、天音は知らない。
「医療班は、班の名を冠しつつも雅1人しかいなかったでしょう? だから我々は常に医療班に配属できる人材を探していました」
「あ、確かにそうですね」
頷くも、まだ理解できない点がある。あのテンションの高さは一体なんだ。
「恭平や僕、夏希のように、医療魔導を使える人材は一定数います。けれど、僕たちは法律上、人を治すことは出来ない」
「あ……だから医療班は魔導医師免許を持つ武村さんしかいない……」
「はい。そして、雅だけに負担を強いることを、僕たちは申し訳なく思っていました。雅も雅で、1人は寂しかったようですね。配属できそうな人材が現れて嬉しそうです」
雅は由紀奈の腕を掴んで棚の影から引きずり出すと、彼女の腕を高々と上げて宣言した。
「こやつはわらわが見る! 一人前の魔導看護師にしてやろうぞ!」
「え、あの、ちょ……」
「ええ、頼みましたよ、雅」
ピンク色が光り、雅と由紀奈は姿を消した。戸惑った表情の由紀奈だが、役に立てることに気づいたのか、最終的には笑顔だった。
「……ん?」
ここで、天音はとあることに気づいた。
「看護師の専門学校卒業したってことは、由紀奈ちゃん年上?」
「……じゃ、ないですか。多分」
「嘘でしょ……」
養成学校は多種多様な人間が集まるとは言え、由紀奈は同い年だと思っていた。
私、年上の人の憧れの人物だったのか。驚きつつも、少し誇らしく思うのだった。




