同日、副所長の研究室
「なんで、どういうこと……」
静寂の中、天音の声だけが響いていた。誰も何も言わない。いや、言えなかった。
「阿部さん……?」
仮面の下から現れたのは、天音の同期である阿部由紀奈だったのだ。はるかの術によって眠っているが、その素顔は確かに由紀奈のものである。
「副所長、さっき止めてましたよね……知ってたんですか……?」
親しかったわけではない。むしろ最近は面倒にも感じていた。けれど、同期が反魔導主義団体に所属しているなんて、知りたくなかった。
夏希は始めから知っていて何も言わなかったのだろうか。それとも、つい最近知ったのか。天音の為に黙っていたのか。いや、同期である天音のことも疑っていた?
思考がよくない方へとぐるぐる回る。それを止めたのは、零の声だった。
「発掘調査は中止! 今すぐ研究所へ避難してください! 僕はこの人たちを魔導考古学省へ連れて行きます。夏希は研究員を連れて一度戻っていてください。何かあれば呼びます」
「……ああ」
珍しく零が指示を出した。白が光り、一瞬で見慣れた「家」に着く。呆然としたままの天音の手を、夏希が優しく握った。
「……あたしの部屋に来てくれ。そこで話す」
「……行きたくないって言ったら、どうしますか」
「それでもいい」
「へ?」
さらりとそう言われたので、思わず変な声が出た。夏希はこちらが思わず目を逸らしたくなるほどにまっすぐ天音を見つめている。
「知りたくない、あたしの話は聞きたくないってのも天音の意見だ。あたしはそれを尊重する。でも、何も知らないでこの後のことに巻き込まれるよりは、知ってた方がマシだ。あたしはそう思って言った。けど、今のあたしはお前にとって信用に足る人物かはわからねぇ。だから強制はしねぇしできねぇ」
どこまでも、天音のことを思って言った言葉だった。彼女は嘘を吐くのが得意だし、考えは読めないし、裏表が激しいけれど、ずっと自分のために動いてくれていたことを、天音は知っている。
この人を、信じたい。
天音は夏希の手を握り返し、
「行きます」
震える声で、返事をした。
いつ見ても殺風景な夏希の部屋。彼女はそこへ入ると、引き出しから手紙を取り出した。先日、天音が運んだ手紙だ。
「真子からの手紙だ。読め」
他人の手紙を読むことに抵抗はあったが、差し出されたので受け取る。毛筆で書かれた手紙は、よく見ると特殊な墨を使っているようで、真子と夏希、そして彼女たちが許可した人物しか読めないようになっていた。一瞬何も書いていないように見えた手紙だが、夏希から手渡された瞬間、美しい真子の文字が現れた。
手紙は全部で2枚あった。1枚目は発掘調査について。恐らく失敗するであろうこと、尋問は避けられないであろうということ。そして2枚目は、由紀奈のこと。
由紀奈が「白の十一天」のメンバーであることに、真子も夏希もとっくに気づいていたらしい。
「え、じゃあ、養成学校のころから、ずっとあの人は潜入してたってことですか!?」
もしそうだとしたら、恐ろしい精神力と演技力だ。だって、天音を含む同期も、教員たちも気づかなかったのだから。
「アイツは『阿部由紀奈』じゃねぇよ」
「どういうことですか?」
「アイツ……仮にニセ子とでも呼ぶか? アイツは『相手の視覚を操る』固有魔導の持ち主なんだよ」
夏希のネーミングセンスのせいで危うく話が入ってこなくなるところだった。脳内で夏希の発言を反復する。
「お前、最初誰だコイツって思っただろ」
「はい……でも、私が覚えてないだけかと……実際、ほとんど同期の顔は覚えてないですし」
「そこを突かれたんだろうな」
あの時、急に阿部由紀奈のことを思い出したのはそのためだったのか。術が発動し、本当に見たことのなかった顔が「阿部由紀奈」のものになったわけだ。
「上層部のオッサンどもは大してデータ見てねぇから誤魔化せたんだろうな。下っ端のことなんざ興味ねぇし。でも真子は違った。アイツは適性が高いうえに、魔導探知も得意だ。すぐに気づいて、部下を紹介するフリしてあたしに伝えたんだよ」
「あの時、阿部さ……ニセ子さんを外に出したのは……」
「邪魔だったから。敵だってわかってたから『家』しか案内してねぇし。どうせニセ子は捨て駒だから、情報与えたトコでなんにもねぇだろうけど」
「捨て駒って……」
流石に言い方が悪いのではないか。眉をひそめる天音に、夏希は当たり前のように言い放った。
「だってそうだろ。何時だって上の連中は動かない。動くのは下っ端だけだ」
「それは……そうですけど……」
「化けたのが成績低めのヤツだったってことは、アイツ自身も大した適性値じゃねぇってコトだろ」
「そういう風に見せていただけなんじゃ……」
「だったら手榴弾なんか使わねぇだろ、魔導で一撃だ」
「……あ!」
確かに、彼女は天音たちに向けて手榴弾という武器を使ってきた。もしかしたら、養成学校を下から2番目で卒業したという本当の「阿部由紀奈」より魔導適性が低いのかもしれない。
「でも、魔導を否定する『白の十一天』の構成員がどうして魔導適性があるんでしょう」
「現代の魔導を受け入れられない、魔法すらなければ魔導もなかったのに、って考えなんだろ。戦わなきゃいけない相手は魔導師だし、多少は魔導使えるヤツいねぇとなんにもできねぇよ」
「それもそうですね」
「だからこそあたしは最初、お前のコト心配してたんだし」
「うっ……」
耳が痛い。
思わず呻き声が漏れた。
「ま、ひとまず説明は以上。明日か明後日か……とにかく、近いうちに魔導考古学省へ召集されるだろうから、それだけ覚悟しといてくれ」
「私もですか?」
「化けてた姿がお前の同期だからな。なんで気づかなかったとか……最悪、仲間じゃないのかとか疑われるかもしれねぇな」
「……わかりました。ありがとうございます」
「おう。戻っていいぞ。今頃葵たちが出土品見てるだろうから一緒に見てこい」
「はい。失礼します」
天音が部屋を出ると、タイミングを見計らっていたかのように黒い魔力が部屋を包んだ。魔導考古学省から戻ってきた零が姿を現したのだ。
「もう1つの理由は、言わなかったんですね」
「言えねぇよ……」
魔導考古学省は、天音を狙っている。
そのことが書かれた残りの真子の手紙と、美織からの手紙は見せられなかった。




