4月7日、自己学習
約38時間。天音の魔力が完全に回復するまでにかかった時間である。
昨日は1日中ひたすら休んで体力と魔力を回復させた。そのおかげで、今日は「家」まで1人で歩いてくることができたし、魔力も戻っている。だが、筋肉痛だけは治らなかった。痛みに耐えながら歩いていたら、哀れなものを見る目をした雅が、医療魔導がかけられた湿布を貼ってくれたので、今はかなり楽になってきている。
ようやく休日らしい休日になったが、天音は途方に暮れていた。というのも、無趣味であり、休日は大抵予習と復習しかしてこなかったので、何をすればいいかよくわからないのだ。養成学校でも勉強しかしてこなかったせいで友人も特にいないし、そもそも外出をするという発想が天音にはなかった。
何もしないで過ごすのも嫌なので、書斎で本を読むことにした。魔導以外のジャンルではあるが、今まであまり読んだことのない本ばかりである。
「こうして見てみると、色々な本があるな……」
「まあ、ここの研究員たちの私物がほとんどですからね」
独り言のつもりだったのに返答がきたので飛び上がるほど驚いた。振り返ると、きっちりと魔導衣を着込んだ零が立っている。
「驚かせてしまいましたか。申し訳ありません」
「あ、いえ……」
人間の姿をした彼とはほとんど話したことがないせいか、どう接したらよいかよくわからない。夏希曰く変人らしいが、彼女も彼女で変わっていることがこの数日でよくわかったのでどこまで信頼できる情報なのか不明だ。
「どのような本をお探しですか?」
まるで司書のように問われる。正直、何も考えずに来てしまったので答えづらい。
「まだ何があるかよくわからなくて……」
「失礼いたしました。それもそうですね」
素直に答えると、謝罪と共に一礼された。研究所の所長という立場からは考えられないほど腰が低い。容姿と服装も相まって、ますます執事のように見える。
「ここにあるのは、魔導研究にも役立つ書物が6割、あとはカモフラージュのためと言いつつ個人の趣味で研究員たちが置いているものが4割ですね。小説やレシピ本、あとはよく見ると漫画もあります」
「……6割の方をうかがっても?」
「ふふ、ですよね。でしたらこちらです」
零が指し示すのは、植物や鉱物の図鑑、そして世界各国の言語の辞書や語学書が並ぶ棚だった。
植物や鉱物は魔導と非常に密接な関係にあると言える。かつて、魔法使いたちは様々な植物の効能を利用して薬を作っていた。現代ではまだその配合まで明らかにすることはできていないが、一部の植物の利用方法が発見されている。和馬が淹れてくれたハーブティーなどがその例だ。
そして、鉱物。言わずもがな、水晶である。魔導師によって、その魔力と相性のよい水晶が存在するため、それがわからぬ新人のうちは図鑑をめくって鉱物の知識をつける。しかし、水晶の市場価値が高騰している現在、高位の魔導師でもない限り実物を手に入れることは難しい。
「相性のいい水晶って、見ればわかるものなんですか?」
「そうですね……確か、貴女は魔力を目で感じるタイプの魔導師でしたよね?」
「は、はい」
「でしたら、耳や鼻で感じるタイプよりわかりやすいかと。その色に似た水晶が相性のいいものであることが多いので」
「なるほど」
有益な情報を手に入れた。後で自身の魔力の色に近い色の水晶を探しておこう。
「図鑑は理解しました。けれど、何故語学の本があるんですか?」
そこらの書店よりも多くの語学書が置かれているように思う。しかも、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などのポピュラーな言語から、タミル語、ヘブライ語、タガログ語、クメール語、シンハラ語など、どこで話されているかすらわからない言語の本まである。
「意外かもしれませんが、魔導師の中には言語学の研究こそが魔法の復活につながると考えている方も多いんですよ。さて、どうしてだかわかりますか?」
「……魔導は、文字の研究だから、ですか?」
「そうですね、部分点は差し上げましょう」
零の白手袋に包まれた手が本を1冊抜き取った。アラビア語の本だ。ペラペラと紙をめくる音が響く。
「魔導が魔法になるために、欠かせないものがありますよね」
「……あ、呪文!」
「はい、そのとおりです。現在、我々は魔導文字の発音方法がわかっていません。様々な言語を学ぶことで、魔導文字と似た文字を探し、そこから発音方法を考えようとしているわけです」
そういうことだったのか。天音はちょうど目の前にあったラテン語の本を手に取った。
「ここにある本の言葉は、もう誰かが研究しているものですか?」
「全てではないですよ。そうですね……英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、中国語あたりは研究し終わっていると思っていいかと。それ以外は面白がって買ってきたものも多いので」
マイナーな言語の本を面白がって買ってくる葵の姿が浮かんだ。恭平や双子あたりも買ってきそうだ。やらないのは夏希と雅、透くらいだろうか。和馬は誰かに言われたら買ってきてしまいそうである。
「言語の勉強、やってみます!」
「構いませんが……一応、今日は休日ですよ? 休んだほうがいいのでは?」
「いえ、正直休みの日って何したらいいかわからないので……」
「……休日の勉強は1時間までとしましょうか」
「え、そんな……」
「わかりました、この件は夏希とも話し合っておきます」
若干引きながら零が言った。
勉強しようとしているだけなのに怖がられることもあるのか。天音は初めて知った。




