同日、9時49分
洋館―研究員たちは単に「家」と呼ぶそこは、ごく普通の鍵で開けて入ることができた。研修期間を終え、正式に配属が決定すれば天音にも渡されるらしい。
「何故ここは魔導認証ではないんですか?」
「外部の人間に、出来るだけ研究所って知られたくないから。外の門が開かなくてもセキュリティシステムって勘違いしてくれるかもしんないけど、ここまで魔導認証にしちゃったら、確実に『ここに魔導研究施設があります』って言ってるようなもんでしょ」
「なるほど……」
「ま、学校じゃこんなこと教えないだろうからねぇ」
愉快そうに夏希が笑った。
新人らしい反応が面白かったのだろうか。
「さーて、んじゃ、案内してくよ」
「はい。お願いします」
「いいお返事ぃ」
中は西洋式で、靴を脱がずに上がるスタイルのようだ。天音の靴音がやけに響く。
「静かですね」
「んー、もしかしたら誰もいないかもしんないなぁ」
すたすたと歩くと、夏希は玄関からすぐ近くの部屋の前へ立った。そこには、子ども部屋によくあるようなネームプレートがかけられている。
「みやび……?」
「ウチの医療班の班長。ここ医務室なんだけど、バレないように子ども部屋っぽくしてんの」
その部屋を、夏希はノックもせずに開いた。
後ろに立っている天音には全ては見えないが、部屋の中はまるで医務室らしくなかった。ベッドと机、そして本棚。机の上には読みかけらしい本と、開かれたままのノートとペンが置かれており、勉強の最中に席を立ったように見える。
「あー、やっぱり」
「え?」
「いやさぁ、あたしめっちゃ遅れたじゃん? 実は理由があってさー、昨日久しぶりに魔導資料がウチに来たから皆テンション上がっちゃって。読んでたら朝だったわけよ。気づいたのがあたしだけだったから……皆まだ読んでんじゃないかな」
「待ってください、どういうことですか? 久しぶり? ここは国立魔導研究所ですよ?第5とは言え、月に1度は新しい資料が届くはずでは? 5つの研究所はそれぞれ平等に資料取得及び研究の機会が保障されているはずです」
魔導研究は凄まじいスピードで進んでいる。それこそ、今この瞬間にも新たな遺跡から魔導文字が発見されていてもおかしくない。ここは魔導再発見の地、いわばこの国は魔導研究の聖地、先進国なのだから。
擦り切れるほど読み込んだ教本を思い出す。例え首都の研究所でなくとも、研究の機会は与えられる。それを知って、この配属が決まったときも頑張ろうと思えたのに。
その気持ちも込めて訴えるように言う。すると、夏希は何度か目を瞬かせた後、頷いた。
「あー……」
低く呻く声が誰のものか、一瞬わからなかった。
顔を上げると、先ほどと同じように愉快そうに笑う夏希と目が合う。
友好的な表情のはずなのに、何故か恐怖を感じた。
「なるほど、そーいうカンジね」
「はい?」
「んーん、気にしないで」
再び笑う彼女からは、もう恐怖は感じない。
先ほどの、ぞっとするほどの冷たい雰囲気は何だったのだろうか。目の前の人物には、あまりにも謎が多すぎる。
「んじゃ、詳しい案内の前に説明といこう」
「あ、はい、お願いします」
鞄からメモとペンを取り出す。
すると、夏希はその手をやんわりと押さえた。
「今から言うことはメモしないでねー。バレるとあたし、上の人に怒られちゃうからさ」
「それは、どういう……」
質問を遮るように、夏希は顔立ちに似合わぬ意地の悪い笑みを浮かべた。そのまま、ビシリと人差し指を突き付けてくる。
「まず確認。この第5研究所は、5つある国立研究所の中で1番新しい、ここはいいね?」
「はい」
「設立は何年前?」
「4年前の12月12日です」
養成学校では設立年月日、場所はよく試験に出されていた。それ故か、もはや反射のように答えることができる。
「じゃあ、研究員数は?」
「設立当時、50人を超えていた、という風に教本には記載されていました」
魔導考古学研究員は全国に300人ほどと言われる。規模の最も大きい第1研究所が100人近い研究員を抱えているため、50を超えたという数値に驚いたものだ。
「教本には、ね……」
「え、あの?」
「はっきり言おう。それは過去の数字であって、今じゃない。じゃあなんで今の数字を教本は載せないか? そんなの簡単……」
やや芝居めいた口調と動作で夏希は言う。
天音にとって、最も残酷な言葉を。
「今、ウチにいる研究員はキミ含めてようやく10人! 国にも見放された、弱小研究所ってわけだ! そりゃ書けないよねぇ! 最初の一月で半分以上転属しちゃったなんてさぁ!」
なんで、どうして。
天音の脳内は、その2つの言葉でいっぱいだった。
「でもまあ、安心しなよ。少数精鋭、質は高いからさ♪ なんてったって……魔導復元師のあたしがいるんだから」
何一つ、安心などできなかった。
これなら、他の同期と一緒に、魔導考古学省―国内の魔導に関するあらゆる分野を監督する省―で事務仕事をしていたほうがマシだ。
「て、転属したい……」
夏希には聞こえないようにひっそりと呟く。
ああ、お父さん、お母さん。石の上にも三年と言いますが、無理そうです。せっかくお祝いしてくれたのにごめんなさい。
その場で頭を抱えてしゃがみこんだ。
察したのか、はたまたそのリアクションに慣れているのか。
夏希は、何も言わなかった。




