同日、10時19分
「その話をする前に、まずは、何故この研究所が作られたのかを話すべきじゃな」
長い話になる。
雅はカップに口を付け、中身が冷めてしまったことに気づいたのか、魔導文字を書いて温め直した。再び湯気が立ち始める。
「始まりの研究者と言われる魔導発見の主、西沢健一。彼の死からこの話は始まる」
魔導を発見したが受け入れられず、失意のままこの世を去った始まりの研究者。魔導師ならば知らぬ者はいない、歴史に名を残す偉人である。
「彼は病死したとされているが、実際は異なる。魔導技術を独占しようとした者どもに殺害されたのじゃ」
「ま、待ってください!」
突然された話についていけない。
さらにわからないのが、何故雅はそのことを知っているのか、ということだ。
「どういうことですか? どうして、なんで……」
話が大きすぎる。わからないことだらけで言葉すら上手く纏められない。
「何故わらわが知っておるか? 答えは簡単じゃ、残された西沢の子こそがこの研究所の所長であり夏希の夫、清水零だからじゃ」
なんてことのないように雅は言う。
反対に、あまりの衝撃に天音は言葉を発することさえできない。
「生まれつき不思議な力を持っていた息子を、父なりに気にしていたのじゃろう。西沢は独自に魔導研究を進め、ついに遺跡を発見して世間に公表したのじゃ」
魔導は世間に受け入れられなかったのではない。
その期間、他の考古学者たちは西沢の研究を手助けするふりをして盗み出し、全て吸収すると殺害した。
その後、考古学者たちは彼の子どもに目をつける。
「西沢の子は母の旧姓である清水を名乗って隠れていた。しかし見つかり、母親は人質として監禁され、息子は魔導研究に強制的に参加させられた」
「そんな惨いことが……」
「まだ序の口じゃ。心して聞け」
話続けて喉が渇いたのか、雅がカップに口を付けた。飲み物があることすら忘れていた天音も珈琲を飲む。雅は天音の分も温め直してくれたらしい。淹れたてと変わらぬ温度の液体が舌を焼いた。
「その息子は魔導適性値が計測不可能となるほどの強大な力を持っていた。ゆえに神のように崇められ、そしてその力を利用された……じゃが」
雅の小さな拳がきつく握られる。歯を食いしばり、辛そうな表情を浮かべていた。その目には涙すら浮かんでいるようにも見える。
「零は強すぎた。魔導師たちが束になっても敵わぬ。そこで国は、最悪の場合零を殺すための手段として、同等の力を持つ者を探した。それが……夏希じゃ」
「そんな……」
「そこからの夏希の人生は先ほど話したとおりじゃ。過酷な人生を、それでも夏希は懸命に生き抜いた。相打ちになるやもしれぬが、零を倒せるほどの力をつけた。ただ一つ、研究所の者どもの唯一の誤算は、零と夏希が惹かれあい、愛し合ったことじゃろうな」
初めは、同じような運命を哀れんだだけかもしれない。しかし、その感情は愛に代わり、2人は結ばれた。そうなったときに、復讐を恐れたのが現第1研究所及び魔導考古学省である。2人が手を組めば、世界すら滅ぼすことができてしまうからだ。
「零の母もその頃には亡くなっておったゆえ、最早あやつを縛るものは何もなくなった。そこで、第1の者どもは魔導研究から2人を遠ざけることにした。しかし、2人無しでは、この国は魔導研究の先進国として君臨することは不可能。ゆえに、首都から少し離れるがまだ監視の目が行くこの地に研究所を設立し、今度は夏希を人質代わりに副所長として魔導考古学省の許可なく動けぬ身にした、というわけじゃ」
第1研究所という、2人にとっては地獄のような場所から抜け出すことは成功した。しかし、自由の身と言うにはほど遠い。
「ここは研究所ではあるけれど、所長と副所長を閉じ込める檻のようなもの、ということですか……?」
「まあそうじゃな。初めこそ大量に研究員を送り込んだが、ただの魔導師があの2人についていけるわけもなくすぐに辞めていった。それを2人の指導が悪かったということで予算や人員を削り、今以上の力を付けぬようにしているというわけじゃ。とは言え、他の研究所では解読できなかったものや解決できなかった難題はたまに資料として送られて、2人の力を都合よく使おうとしておるがな」
配属初日を思い出す。
前日に来たという資料、あれはそういうことだったのか。
「さらに、やれ学会だ、セミナーだ、講演会だと、2人を引き離してあまり接触できぬようにもしておる。どこまでも腐った連中じゃ」
「じゃあ、今所長がいらっしゃらないのも、そのせいなんですね……」
「……ま、まあ、そうじゃな……」
雅は急に明後日の方向を向き出した。何かを誤魔化しているのはわかるが、聞いてよいのかわからないのでそっとしておくことにした。
「……わらわは、夏希を都合よく使おうとする者が嫌いじゃ。夏希の敵は全て嫌いじゃ」
「……はい」
「そなたは、夏希の過去も知らずに踏みにじった。確かに夏希の言い方も悪かったであろう。しかし、あれはわらわを悪役にせぬようしたことであって、本心ではない」
「はい、それは……わかりました」
「『選ばれた人間』、『特別な人間』などと自身を持ち上げるのは選民思想と変わらぬ。もっと周囲を見渡せ。他人の努力を認めよ。そなたは魔導師、第5研究所の魔導考古学研究員。それが嫌ならば即刻立ち去れ。わらわの言いたいことはこれで全てじゃ」
ピンク色の魔力が天音を包む。研修のときと同じように、気づけば天音は医務室の外にいた。
「副所長のところに行かないと!」
天音の心はもう、決まっていた。




