4月4日、9時0分
「おはよー。良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
始業時間になった瞬間にこんなことを言われたら、大抵の人間は驚くのではないのだろうか。天音はしばし悩んだのち、
「い、良いニュースからで……」
と返答した。朝一番に悪い話を聞いたら、その日一日引きずる気がしたのだ。
「はぁい、レポートは85点ね」
「あ、ありがとうございます!」
これで雅からの説教は免れた。少しほっとする。
さて、これからが最早本題と言っても過言ではない悪いニュースだ。
「んじゃ、悪い方ね。キミの魔導適性値が下がってます」
「え……」
「研究員は毎日適性値の計測してるの。してる場所はごめんね、セキュリティシステムも兼ねてるから教えられないんだ。でもまあ、70未満になったら資格剥奪だからさ、そうならないよう計ってるワケ」
「は、はあ」
「んでー、今キミの魔導生成値は51。3日で11も下がってんのよ。このままだと退職か、魔導調査師に下がるかの二択なのね。どうする?」
どうするか。
問われたのに、すぐに言葉を返すことができなかった。
研究員でなくなれば、出世からは遠ざかるが魔導そのものを研究しなくて済む。魔導調査師は遺跡発掘の際に現場に赴くが、ほとんどが罠の探知や出土品の管理程度で、天音の嫌う現代の魔導に触れなくていい仕事だ。ここと違って、同期もいるだろう。天音にとってはなかなかに良い条件と言える。
「すみません、急なことで、すぐ答えが出なくて……」
「あはは、嘘吐くの苦手なんだね」
もうここにいる気はないって、顔に書いてあるよ。
にっこりと、雑談でもするかのように夏希はそう言った。薄紅の唇が弧を描いているが、天音に向ける瞳は、信じられないほど冷たく鋭い。
「ホントは魔導嫌いなんでしょ?」
「いえ、そんな……っ!」
「『憧れは、憧れのままにすべき』」
「なんでそれを!?」
夏希が口にしたのは、天音の座右の銘だ。何故、彼女がそれを知っているのだろうか。
「魔導適性が認められた人間は、その時点で身辺調査が入るよ。研究所配属の人間は養成学校の担任から情報も来る」
「だとしても、どうやって……」
「聞きに行ったんだよ、首都第3校に。キミの担任はいい教師だね。ちゃんと生徒のコトみてる」
養成学校時代、独り言のように漏らしてしまったその言葉を、担任はしっかりと聞いていたのだ。そして、夏希にそれを報告した。
「ペーパーテストの成績は優秀、ただ実技に苦手意識あり。1位とは実技試験の結果で大きく離され、2位卒業」
「……それも聞いたんですか」
「これはそうだね。ただ、これにあたしなりの解釈をつけると……」
夏希は天音と目を合わせるように背伸びをする。その様子だけ見れば可愛らしいが、紡がれる言葉は恐ろしく残酷だった。
「魔法使いを夢見た哀れな魔導師。実技は苦手なんじゃなくてやる気がない、だから魔導生成値も上がらない。自己評価は高いけど実力が追い付かなかった、クソ真面目なガリ勉ちゃん」
パシッ!
乾いた音が響いた。
その音が何の音だかわからなかった。夏希の頬を叩いた音だと、天音はどこか他人事のように数秒遅れて気づいた。
「だったら、どうすればよかったんですか!? 適性があれば拒否はできない、だから私は大学受験を諦めてやりたくないことを頑張ってやってたんです! 本当だったら今頃、志望校に合格して、普通の大学生になってたはずなんです! なのにそんな言い方、酷くないですか!?」
とんでもないことをしたと、言っているとわかっていた。けれど、止められなかった。
天音の渾身の力で叩いた夏希の頬は赤くなっている。
「貴女みたいになりたくて魔導師になったわけでもない、天才でもない私は、これが限界なんですよ!」
「……あ?」
瞬間、夏希の纏う雰囲気が変化した。ピリピリと刺すような気配。殺気とはこういうものをいうのだと、天音は初めて体感した。
「だったら、なんで成績上げたんだよ。適当にサボって、適性値50未満まで下げて、お望み通り普通の学生生活とやらを過ごしゃあよかったじゃねぇか」
「え、副所長……?」
突然変わった口調に混乱が隠せない。そんな天音などお構いなしに、夏希は続ける。
「適性判明したとき、こう思ったんじゃねぇか? 『自分は特別な、選ばれた人間なんだ』って。謙虚で真面目なフリして、実は他人を見下してるお前はそう思ったんだ。『コイツらと私は違うんだ』って」
「そんな、違います!」
「どうだかな。少なくとも、入学するまではやる気があったんだろ。で、理想と現実の違いに打ちのめされた。お前が夢見た魔法はどこにもない。あるのは地味な発掘作業と科学的要素まみれの魔導だけ。おまけに周りは才能のあるヤツばかり。知ってるか? 実技だけならお前の卒業順位下から数えた方が早いぞ」
言い方は最低だが、夏希の言うことは合っていた。まるで、天音をずっと傍で見ていたようだ。
適性判明の知らせが届いたとき、確かに天音は思ったのだ。「自分は、他とは違う特別なのだ」と。だからこそ必死に勉強した。けれど、知れば知るほど興味を失い、実技の成績はまったく伸びなくなっていった。周囲には魔導師になるのが夢だと語る者もいたし、どんなに難しい術でもすぐに使えるようになる才能のある者もいた。結局、1位で卒業していったのは、ペーパーテストでは常に天音の下の成績だが楽しそうに魔導を使う生徒だった。
「辞めたきゃ辞めろ、新人。お前が望むようにしてやるよ。時間はやるからしっかり考えるんだな」
そう言い残すと、夏希はヒールの音を響かせて部屋へ戻っていく。
「ああ、そうそう」
歩みは止めず、こちらを振り返ることもせずに夏希は言う。
「なんか勘違いしてるみたいだから言っとくがな、あたしは好きで魔導師になったワケでもなければ天才でもねぇよ。そこんトコ、ちゃんと理解しとけ。あたし程度で天才だなんだ言ってるようじゃ、お前魔導師として一生出世できねぇよ」
「それって、どういう……」
思わず聞き返そうとした天音だが、瞬きをしたほんの僅かな時間で夏希の姿は消えてしまった。
スーツを着ていることも忘れ、天音はその場にずるずるとしゃがみこんだ。
本当は全部、夏希の言うとおりなのだ。心の奥底では誰かを見下していて、そうしてなけなしのプライドを保っていた。自分の弱さに気づきたくなかったから。自分はただの人間なのだと、思いたくなかったから。
「……副所長のこと、叩いちゃった」
きめ細やかな白い肌は、天音のせいで赤くなってしまっていた。
「これから、どうしよう……」
人がいなくなった廊下に、天音の声がいやに響いた。




