Act3:神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える
「ターゲットはこの街に住む、富豪の男……名はカミーロ・サレス。表の顔は運送会社の社長だが、その実態は麻薬密売の元締め。……ところが、奴はあろうことかエスカランテ・ファミリーの縄張りで商売をやっちまった。頭領さんはお怒りよ。そんで、俺に依頼が来た」
月夜の下、アルヴァーロは隣で歩いているルチアーノにそう流暢に説明をした。ルチアーノには半分くらい理解出来なかった。
「……エスカランテ・ファミリーって?」
「ここらの裏社会を取り仕切るマフィアだよ。俺のお得意さんでね。よくゴミ掃除をさせられ……いや、頼まれる。払いが良いから俺も喜んで受けるけど、まぁ、何と言うかつまらん相手が多い」
つまらないって何だ、とルチアーノは思うが口には出さなかった。アルヴァーロは目を細めて口を尖らせている。
閑静な住宅街。夜も遅く、真っ暗でひと気は全くない。街灯の灯りが不気味に見える。相変わらず自分の足音しか聞こえなかった。
「……アルヴァーロさん、足音ってどうやったら消せるんですか?」
「え? ……させようとして歩く方が難しくないか?」
「…………」
ダメだ。訊くのは諦めた。この人の足音は無いものと思おう。ルチアーノはその考えに違和感を覚えながらも、無理やり胸の内に押し込めた。
「まぁ、ともかく今回の相手はつまら……危険じゃないってことだ。お前は俺にくっついてるといい。俺の近くが一番安全だからな」
本当だろうか。彼の動きを阻害してしまうのではないか、と少し不安に思う。銃撃戦になったら怖いし、端で隠れている方が安全なような気がした。だが、彼が言うなら従った方が良いのだろう。
「さて、着いたな」
アルヴァーロが足を止める。暗がりの中に、高い塀と門の奥に屋敷が見える。門の両端に灯りがあるだけで、屋敷に灯りは灯っていない。
「……どこから侵入するんですか?」
「ここしかないだろ」
「え」
キュッ、とアルヴァーロは平原でやっていた様に布で片目を隠した。……暗闇で見るとなかなか様になっている。
「セキュリティは勿論厳重だが、問題ない」
解除出来るんですか、と驚いて訊く前にアルヴァーロが門扉に手を掛ける。ちょいちょいと手招きされて近付くと、あっという間に肩に担がれる。
「ちょっ……」
ガシャ。片手と両足だけでアルヴァーロは高い門扉を登り────敷地内に着地したその瞬間、けたたましく警報が鳴り響いた。
「アルヴァーロさん⁈ 大丈夫なんですかこれ⁈」
「問題ない」
どう見てもある。構わずアルヴァーロはルチアーノを担いだまま走る。速い。自分の重さを感じさせない速度でアルヴァーロは庭を駆けた。
「止まれ! 止まらないと撃」
声が聞こえ、ルチアーノがその姿を認識する前にアルヴァーロが動いて、銃声がした。声は途切れた。アルヴァーロの背中越しに地面に倒れる人影を見る。
「……えぇ…」
「警告発する暇があったら撃てってんだよ」
アルヴァーロはルチアーノを降ろす。振り向くともう屋敷の扉の前だった。
「さ、行くぞ。側を離れるな」
銃で扉の錠を破壊し、アルヴァーロは堂々とそれを開けて中へ入る。中へ入ると、黒服の男たちが銃を構えていた。正面の階段上と両サイドに伸びた廊下から十数人、吹き抜けになった二階から囲まれて狙われている形だ。
「止まれ侵入者! 直ちに退去せよ! さもないと撃つ!」
「うわ、わ」
「どうも皆様ご機嫌よう。夜分遅くに失礼するよ」
警告を発する相手に対し恭しく礼をし、挨拶して見せるアルヴァーロ。呑気な、と思っているとルチアーノは突然手を引かれて横に転ける。
「イテッ」
チュン、とさっきまでいた床を弾丸が穿つ。座り込んでいると手を引かれて立たされる。アルヴァーロの背中に隠され、銃声がすると共に彼が撃つ。空中で火花が散る。
「……何っ⁈ ぐわっ」
驚いた男が額を貫かれて倒れる。階段を転がり落ちてくるその間にもう一人、二人とアルヴァーロは撃った。
「…………突破だ。行くぞ」
「えっ、はい」
ドサ、ドサと上から人が降って来る。心が少し竦む。だがアルヴァーロに手を引かれて進むしかない。
「待て‼︎ 行かせるな!」
階段を登る途中で、男たちが発砲して来る。また抱えられ、階段を数段飛ばしであっという間に登るとアルヴァーロはその先の廊下にルチアーノを降ろすと振り向いて、残る男たちを撃つ。人数分の銃声。一発必中。全員が斃れるのを確認することもなく、アルヴァーロは白いコートを翻して廊下の先へ走り出す。ルチアーノはそれについて行く。
すごい。あっという間だ。大人数に囲まれてもものともしない。おまけに彼は今日、片目を隠した状態だ。“感覚は掴んだ”と言っていたがそんなレベルじゃない。
廊下の先から、新たに男たちが二人顔を出す。銃を構えている。と、その時アルヴァーロの姿が消える。ルチアーノが気付いた時には彼は一人にタックルをかまし、もう一人の腹を撃ってからタックルした相手の頭を銃を持った手の肘で殴る。ゴキリと音がして、糸の切れた人形のように男が倒れる。
「うぅ……」
先に撃たれた男が呻きながら、取り落とした拳銃に手を伸ばす。だがそれをアルヴァーロは蹴飛ばし────頭を踏み潰した。骨が割れる音がして、アルヴァーロに返り血が掛かる。
「……ひっ……」
「…………あ、ゴメン」
小さく悲鳴を上げたルチアーノに、アルヴァーロは謝る。いたずらっ子の様な笑みを浮かべて、手で死体を隠した。
「……見ないで?」
「…………笑ってもダメです……」
優しい顔をしているが、この人は殺し屋だ。忘れてはいけない。そして自分もその道に入ったものだ。ここは修羅の道、この程度のことは、慣れないと────。
「いたぞ!」
「!」
また二人、廊下の向こうから走って来る。アルヴァーロはルチアーノを壁際に寄せると、彼らに走って向かって行く。パン、という銃声。アルヴァーロには当たらない、というか確実に避けていた。彼は跳ぶと廊下の壁を走る様に蹴り、男たちの背後に回ると二人の頭を手でカチ合わせる。昏倒してバタバタと倒れた二人の向こうからルチアーノを手招きで呼んだ。倒れた男たちを飛び越える。彼らが死んでいるのか、いないのか、ルチアーノには分からなかった。
「…………」
「ターゲットはこの先だ。さっさと行って帰ろう」
アルヴァーロは歩き出す。もう警備の男達は来なかった。ルチアーノはそのあとをついて行く。
彼は助手が欲しいと言っていたが────この様子を見ると、全く必要がないように見えた。戦えないルチアーノ、正直言って荷物でしかない彼がいてこの仕事である。ルチアーノには勿論、自分自身にも傷一つつけていない。彼は少し先の未来が見えているような動きをする。あらかじめルチアーノを安全なところに置いたり、相手の動きとほぼ同時に動いたり。単に判断が早い、という次元ではないように見えた。
「────」
白いコートが、彼の動きに合わせて翻る。そこに、音もなく歩いているのは“死”だ。逃れ得ぬ、死の運命。それが、ヒトの形をしている。
キィ、と、ある一室の扉をアルヴァーロは開ける。寝室だ。ベッドの横の灯りは灯されているが、既に人はいなかった。警報と共に逃げたのだろう。そっと閉じ、他の部屋へ向かう。無意識に、ルチアーノは息を潜めていた。足音も控えている。自分の心臓の音がうるさい。自分が狙われている訳ではなく、むしろ狙う側なのに、バクバクと心臓が跳ねた。
アルヴァーロは少し距離を開けて先を歩いている。また、扉の前で彼は足を止めた。振り向いて、ルチアーノに壁に寄る様に手で指示した。銃を構え、扉を開ける。その瞬間、バババババと激しい銃声がしてアルヴァーロは壁の陰に隠れた。廊下の壁が穿たれる。ルチアーノはそれを見てヒヤリとした。
「……アサルトライフルか……当たりだな」
息を吐きながら、アルヴァーロは言う。中に二人、銃を持った人間がいることは分かった。恐らくターゲットを守っている。顔を出せば、あっという間に蜂の巣にされてしまう。
「……大丈夫なんですか」
「問題ない」
フッ、とアルヴァーロが扉側へ体を傾けたと思うと、姿を消す。ライフルの銃声より先に、重い銃声が一発した。再び、バババと音がしたが途中で途切れて「ギャッ」という声が聞こえた。
「入って来ていいぞ」
アルヴァーロの声がする。ルチアーノは恐る恐る顔を出した。部屋の両サイドで男が二人斃れている。白いコートの向こうで、男が一人立ち竦んでいた。彼は後ずさって、壁にぶつかった。壁に掛かっていた絵がガタンと音を立てる。
「な、ま、ま、待て、どこの手のモンだっ」
寝巻き姿の中年の男は、片手で制しながら裏返った声で言う。アルヴァーロは自分の銃を左手で弄びながら笑う。
「自分で考えれば? 誰の怒りを買ったのかさ」
「いくらで雇われた! 金っ、金なら……!」
「うるさいな。うるさいのは嫌いなんだ」
シルバーの銃が宙を舞う。チャッ、とそれをキャッチしてアルヴァーロは銃口を向ける。
「カミーロ・サレス。次は上手くやるといい。まぁ、来世は悪いことに手は染めないで、真っ当に生きた方がいいと思うけどな?」
「…………!」
「じゃ。夜も遅いんで。おやすみ」
「待───!」
ドン、という銃声。男の額に穴が開く。後ろの額縁が割れ、血に汚れて、崩れ落ちた男を追う様に落ちて鈍い音を立てた。
血と硝煙の匂いが部屋に満ちる。アルヴァーロはコートを翻して振り向く。いつもの笑みを浮かべて、彼はルチアーノに言った。
「さ、終わりだ。帰ろう」
*
「……すみません、ほんとついて行っただけで……」
「え? 俺がそうしろって言ったんだから良いんだよ」
星空の下、街の外の平原で野営をしている。必要なものはアルヴァーロが全て持っている。コートの裏には様々なツールが仕込まれていた。便利そうだな、とルチアーノは思う。
「いつもこんな生活を?」
「うん? 家を空ける事は多いね。野営も好きなんだよ。いいだろ、星空が綺麗だし。自然を感じると感覚も研ぎ澄まされるし、俺たち人間は小さな存在だと、そう感じる」
「…………」
近くを流れる川の音がする。アルヴァーロはさっき服を洗いに行った時に捕まえたらしい魚をナイフで捌いている。パチパチと焚き火の弾ける音がする。命を失った魚の目に、炎が映る。
「……小さな存在だから……命を奪っても良いって事ですか」
「そうは言わない。奪う方の俺たちも、同じ小さな存在だからね。でも、何故人を殺してはいけないのか……と聞かれたら、『命は尊いから』とは答えない。……そりゃ、生命の誕生は感動的だけどね」
そう言いながら、彼は魚の内臓を掘ってあった穴に捨てる。木の枝を削った串を刺して、塩をかけて魚を火にかける。
「人が人を殺さないのは、自分が殺されないためだ。そうやって社会の秩序は回ってる。俺たちみたいなのはそれを乱すし────秩序の中で生きる人間に、自らの意志で手を出しちゃいけない。自分が殺すからには殺される覚悟もしなきゃいけない。……俺たちを使おうとする者達も然りだ」
「…………」
アルヴァーロはルチアーノを見る。ルチアーノは隻眼で、彼の紫色の瞳を見返した。
「……俺は先に乱しました」
「そうかな。彼らは君の心を殺した。そうだろう?」
「…………」
「その報いだ。だから俺は君を責めない」
もう一匹の魚を、アルヴァーロは手に取る。ナイフが魚の白い腹を裂く。赤黒い血が溢れて、指が赤黒い内臓を掻き出した。
「……変なこと、聞いて良いですか」
「うん、何」
「もし……誰かの依頼で、家族を殺せって言われたら……どうしますか」
ぴた、とアルヴァーロの手が止まる。顔を上げて、彼は星空を見上げ────視線を下ろすと、口を開く。
「……依頼人の方を殺すかな。だって、俺の家族を狙う敵だ」
「でもそれは、自分の意志、ですよね」
「いや。向こうが先に銃口を向けて来たんだ。だから俺はそれに応えるだけ。殺すからには殺される覚悟をするんだよ。殺し屋を使うからには、殺し屋に銃口を向ければ殺される」
アルヴァーロはルチアーノに目を向けた。それはいつもの優しい目ではなく────冷たい、血の通わない“何か”のような目だった。
「いいか、ルチアーノ。自分の大事なものは、命をかけて大事にしろ。それだけは忘れちゃならない。忘れたら、俺たちは人ではいられなくなる」
「────」
「命を喰らうだけのバケモノに成っちゃいけない。……俺たちはそりゃ……たくさんの命を奪うけれど。人であることは出来る」
ふ、と紫の瞳に光が戻る。ボトボトと魚の内臓が穴に落ちていく。そしてアルヴァーロは足で穴を埋めた。
「刺してみるか。やった事ないだろ」
「えっ……と……はい」
魚と、木の串を受け取った。見様見真似で魚の口から串を刺す。空っぽの胴体を抜けて、尾から突き抜けようとするが、固い。ぐっと力を入れると、ずぐりと少しイヤな感触がして貫通した。
「出来ました」
「ほい」
アルヴァーロはルチアーノから魚の刺さった串を受け取ると、同じように塩を振って、さっき立てた魚の横に立てた。
「意外と力がいるだろ?」
「……はい、そうですね」
みずみずしかった魚が、焼かれて行く。生き物が食べ物に変わって行く様を、ルチアーノは見つめた。
「アルヴァーロさんは、どうして殺し屋になったんですか」
「……さぁ。たまたま生まれた家が、そういうものだったってだけさ。当主しか知らない秘密だけどね。昔は義賊だったって話だ。それがいつの間にか……何でもこなすようになって、殺し屋に」
「じゃあ、あの子たちもいずれ……」
写真に写っていた少年たちを思い出す。アルヴァーロは首を横に振った。
「…………それはヤだな。あの子達は可愛いし……」
アルヴァーロは炎を見つめる。彼の目はどこか悲しそうだった。
「俺自身はさ、小さい頃から仕込まれて、こういう風に育ったけど。人を殺すことに抵抗なんてないし────何も感じない。楽しくもないし辛くもない。だけど、血も涙もない人間にはなりたくなくて。妻と子供だけは守ろうって、そう決めた。歪だろ。歪んでる。可愛い息子を、こんな人間にしたくない」
「…………」
はたと、アルヴァーロはルチアーノの視線に気付いて顔を上げた。そして慌てて手を振る。
「代わりにお前をそうしたいってわけじゃないよ!」
「……分かってますよ」
ルチアーノは笑う。
「アルヴァーロさんにどうこうされて変わるほど、幼い人間でもないので」
「はは、それはそうか……」
「それに、この道に来たのは俺の意志です」
「……そうだね」
彼は笑う。穏やかな声、穏やかな笑み。彼は優しい人だと、ルチアーノは思っている。自分をずっと虐げて来た実の家族に比べれば、彼の方がずっと────。
アルヴァーロは、魚の串を手に取った。焦げ目のついた魚をくるくると回して見て、ルチアーノに渡す。
「腹減っただろ。こんなけしかないけど、食べな。美味いから」
「いただきます」
魚を背中からかじる。丸焼きで食べるのは初めてだった。パリパリとした皮。塩味が、淡白な白身の味を引き立てる。ホクホクとした熱い身を噛み締めると、味が出る。
「……美味しいです」
「だろ! 川魚は丸っと塩焼きに限る」
嬉しそうにして、アルヴァーロはもう一本を手に取るとかじった。
「小骨に気をつけろよ、結構刺さるからな」
「う、はい」
風が吹く。焚き火の炎が揺れる。今日は疲れた。自分は何もしていないけれど、刺激的な一日だった。
彼ほどになれるとは思わない。でも、片目を覆ったまま敵を撃ち抜く彼を見て、自分が強くなるのは不可能じゃない、と思った。脇に差してある銃に手を当てる。自分をここへ連れて来たコイツと。いつか、守りたいものを見つけた時に守れるように、強くなろうと心に決めた。
#3 END