「ホーイ」
昔、祖父から聞いた話。
祖父が子供の頃住んでいたのは山の中の集落だったという。
集落の周りは深い森と険峻な山に囲まれており、たまに行商に来る人以外は人の行き来も無かった。
そんな寂しい地区で生まれ育った祖父や他の子供達にとって、山は遊び場だった。
秘密基地を作ったり、戦争ごっこをしたりと毎日泥だらけになるまで遊んでいたという。
そんな祖父達に、大人達はあることを注意していた。
それは夕方…黄昏どきには絶対に「かくれんぼ」をするな…という内容だった。
何でも、夕暮れ時にかくれんぼを遊んでいると、奇怪な事が起こり「お呼ばれさん」という怪物にどこかへ連れ去られてしまうという。
「お呼ばれさん」の正体はよく分からないが、子供を連れ去る妖怪“ことりぞ”に似た存在らしく、かくれんぼをしている子供をさらってしまうと言われていた。
昔は言うことを聞かない子供達を戒めるため、大人達がそうした「怖い存在」を語ることは珍しい事ではなかった。
しかし、そうした迷信の効果は抜群で、実際に夕方にかくれんぼをする子供はおらず、誰もが夕暮れ時には一目散に家路を辿ったという。
そうしたある夏のこと。
祖父の友人である男の子が一人、行方不明になった。
集落では大騒ぎになり、青年団や消防団が山を探し回る騒ぎとなった。
しかし、大掛かりな捜索にもかかわらず、行方不明の子供は見つからず、その子の両親も途方に暮れ、悲しむだけだったという。
当時、わんぱくだった祖父は、両親には止められていたが、仲間達と共にこっそり捜索をしていた。
いつも遊んでいる秘密基地や沢、山道などを捜索するもいずれも空振りに終わり、全員が諦めた時である。
仲間の一人が不意に口を割った。
その子によると、行方不明の子は「お呼ばれさん」に連れて行かれたというのだ。
驚く一同の前で、その子はおずおずと語り始めた。
行方不明の子…仮にTとする…がいなくなった朝、Tはこっぴどく親に叱られたらしい。
Tは仲間内でも負けん気が強く、腕っぷしも強かった。
そんな性格だからTは、親に反発し、夕暮れ時になっても家に帰ろうとしなかったという。
折りしも、夕立があり、誰もが家に帰っていく中、Tだけは遊ぼうとしていた。
やがて、Tとこの話をしている子供の二人だけになった時だった。
帰ろうとするその子を、Tが「もっと遊ぼうと」としつこく誘ったという。
しかし、その子は「『お呼ばれさん』が出るかもしれないから帰る」と断ったらしい。
するとそれを聞いたTは、その子を「弱虫」と嘲笑った。
それに腹を立てたその子は、逆にTに向かって言ってしまった。
「なら、今からかくれんぼをしてみろ」と。
そうして、二人は禁じられた遊びをしてしまった。
話し手の子が鬼の役を務め、Tが隠れるということになり、早速始まったかくれんぼ。
鬼である話し手の子が30数え、お馴染みの「もういいかーい?」という台詞で尋ねる。
それに隠れる側であるTが「ホーイ」と回答したら、鬼が探し始める。
そんなごく当たり前のかくれんぼだった。
そうして、話し手の子が30を数え終わった後である。
「もういいかーい?」
しかし、応えが無い。
「もういいかーい?」
それでも反応が無い。
少し怖くなり始めたが、Tの悪戯好き性格を知っている語り手の子は、再度呼び掛けた。
「もういいかーい?」
「ホーイ」
と、ようやく返事が返ってきた。
おおかた、隠れ場所に凝って返事が遅くなったんだろう。
語り手の子はそう考え、辺りを探し始めた。
山の中だから、隠れ場所は豊富だ。
その代わりに、隠れるための範囲は制限してある。
その範囲を越えれば、問答無用で負けとなるのがルールだった。
それをわきまえての探索だったが、Tはなかなか見つからない。
そうこうしているうちに日はどんどんと落ちていく。
夕立後のむわっとした空気の中、夕焼けは気味が悪いくらいに真っ赤になっていたという。
今度こそ恐怖を感じ始めた語り手の子は、大声でTの名前を呼び始めた。
しかし、応えは無い。
まだTがふざけて入れるのか。
それとも…
遂に恐怖に耐えかねた語り手の子は、叫んだ。
「もういいよ!出て来いよ、T!」
と絶叫した。
その瞬間、
「ホーイ」
と背後で声がする。
驚いて振り向く語り手の子。
その目に、信じられないものが映った。
そこは沢から流れる小川が流れていた。
木立の合間からは赤い夕陽が差し込み、まるで血の天幕のようだった。
その中、小川の対岸にTは佇んでいた。
青白い顔で、うつろな表情をしているT。
そして、その目は眼球が無く、黒い空洞になっており、語り手の子をじぃっと見詰めていた。
そして。
その手を引いている人影があった。
しかし、全身は見えない。
丁度木々の影に重なっていて、Tと繋いでいる真っ白い手だけが見えたという。
瞬間、語り手の子は「お呼ばれさんだ」と確信したという。
その後、Tは白い手に引かれ、姿を消した。
後には恐怖で失禁した語り手の子だけが残された。
ここまでの話を聞いた祖父達は、語り手の子に「何故、それを早く大人達に言わなかったのか」と詰め寄った。
すると、その子は「怒られるのが怖かった」と自白したという。
考えてみれば、夕暮れ時のかくれんぼは大人達から戒められていた。
だが…
怖がりつつも、心のどこかで「お呼ばれさんなんていない」とたかをくくっていた祖父達は、本当に「お呼ばれさん」がいることにゾッとなったという。
この話はこれでおしまい。
これ以降「お呼ばれさん」については、祖父は語らなかった。
ただ、私には真面目な顔でこう告げた。
「夕暮れ時は『逢魔が時』だから、化け物が出やすい時間だ。山や海なんかには絶対に一人で行くな。でないとお前も呼ばれちまうぞ」