飲酒
気付けば柔らかなオレンジ色の光で染まる倉庫はその日の終わりを知らせているようで寂しさが残る。4人は手分けして器具を元の位置に戻し、片付けが終わるとリングに上がり正座で円陣を組んだ。
「本日も皆さん怪我なくサボりなく頑張りました、お疲れ様でした!」
ナツカワの締めの言葉をクドウとタグチが復唱しつつ頭を下げ、ワンテンポ遅れてリージュも頭を下げる。
「はい解散!明日は江戸川病院とこの野球場で5時から試合だから遅れないようにね!リージュは明日も手伝い頼むよ、さっきのは大丈夫?」
リージュは胸に手を当て具合を確かめる。多少の赤味は残っているが、痛みはすでにない。
「問題ない」
「すごいじゃんリージュ。アタシなんか初めてクドウさんの本気チョップ食らった時何日か跡残ってしばらくシャワー痛かったのに」
タグチが正座のままリージュに近寄ってくる。
「さっきもクドウとやっていたが、もう慣れたのか?」
「い~や?そもそも私ヒール側だからクドウさんと組むこと多いから直接攻撃されること少ないしね。リージュはどっち志望?」
「どっちって?」
「どっちって、ベビーとヒールだよ」
「ベビー……?」
「あ、もしかしてその辺知らずにプロレスきた感じ?」
「そう、だな。ナツカワの勧めで。タダ飯を食うという訳にもいかん」
「かっこいいー!あの動きってコマンドサンボ?システマ?メイアルーアジコンパッソできる!?」
「タグチ」
盛り上がりすぎるタグチを諫めるようにナツカワが2人の間に手を入れ会話を中断させる。
「人には色々あるんだから興味本位で深堀りしないの」
答えようとしていたリージュは思わず口を閉じる。リージュは物心ついてから軍人になるまで、プライベートなことについて誰かと積極的に話すということをしなかった。それも出会って間もない素性の知れぬ人物ならなおさら……そう思いながらも大切な何かがズレているこの世界はウインダム王国にいた頃よりも孤独で、あの頃思いもしなかった『誰かと会話する』という行為を自然に求めていたことにリージュは我のことながら驚いた。話していいのだろうか。もしかしたらこの一連の流れは自分を騙すための大掛かりな仕掛けなのでは。プライドを忘れたのか。頭の中で自問自答を繰り返し、リージュは改めて口を開く。
「私はかまわない、けど」
「ほらぁ、リージュもこう言ってる!ここじゃなんだからさ飲み行こうよ、飲める?」
「嗜むくらいなら」
「リージュがいいならいいけど……というかタグチだけに任せるの怖いし、私も行くよ。明日またちゃんと歓迎会兼ねた打ち上げもするけど」
「よっしゃ!クドウさんはどうする?」
「あ、じゃあ、自分も行こうかな……」
ノリノリのタグチと対照的に、クドウは嫌がる素振りはないがその顔にはどこか影がある。リング上ではあれだけ暴れられる才能を持ちながら、降りればおどおどと引っ込み思案で我が弱い様子を注意できぬ自分をリージュは呪った。
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「それじゃあ江戸川ハイスターズの、ニューカマーリージュちゃんに!」
掲げたジョッキになみなみ注がれたビールをタグチは一気に喉へ流し込み、数秒で空になったジョッキを改めて掲げる。
「乾杯!」
「だから乾杯前に飲み干すなっての」
4人のジョッキがぶつかり合いガラスのゴングが響き渡る。
(飲む前の流れはほぼ同じなんだな)
周囲の騒がしさと濃い味付けの飯の匂いがアルコールと混じった夜の香りはウインダム王国の酒場と大差なく、リージュにとって決していいものではないが少し心を落ち着かせることができた。
(この酒も、だいぶ薄いがほんのりとした苦みと喉を通る時のパチパチした感じがいいな。こんな飲みやすくて美味い酒は初めてだ)
タグチを真似してジョッキの角度をどんどん上げていくリージュ。速度に比例して炭酸の刺激が増し、飲むことそのものが快感となっていく。最後の一滴を喉に落とした頃にはジョッキの底が天井を睨んでいた。
「リージュめっちゃイケる口じゃん!すいませんビールおかわり2つ!」
「何頼むか聞いてからにしなさいよ」
「飲み放題だしいーじゃん。いらないならアタシが飲むし」
「いや、払ってもらっている立場だし断る理由もない」
「お待たせしました大ジョッキ2つですー」
店員から渡されたジョッキをテーブルに置くことなく、タグチとリージュは競うように飲み干した。
「おかわりー!2で!」
「明日試合だし、タグチはともかくリージュも無理しないでね?」
「私に無理はない!」
急な大声に一瞬固まるナツカワとタグチとクドウ。その声の主であるリージュの顔は頬と耳が赤く染まり、目はとろんと座っている。
「私は、父も母もいなくてもここまでやれたんだ!男も女もぶっ潰してきて、無理なんかあるかぁ!」
「あー……リージュ?」
「なんだナツカワ!褒めるなら褒めてもいいんだぞ!魔法もマトモに使えない落ちこぼれでもここまでやれたんだ!すごいよな!クドウはどう思う!」
「え、はい、リージュさん強いと思いますよ……」
「なんだその心無い返事は!ちょっと腕出せ腕!力比べするぞ!」
「え、えぇー……」
リージュは強引にクドウの右手を掴むと腕相撲の体勢を整えた。
「1、2、3、で行くからな!ハイ123!」
「ちょっと待ってリージュさん!」
不意を突いたつもりのリージュだったがクドウの腕は岩壁のように微動だにせず、一歩遅れて反応が追い付いたクドウが軽く返す。
「ヌギャー!」
リージュの右手の甲が顔に負けじと赤くなる。
「いったぁ……」
「リージュ飛ばしすぎ~」
「なんだタグチ、お前もやるか!」
「いいよぉ~」
タグチもジョッキ一気飲みを2つキメた影響ですでにほろ酔い状態であり、あらゆる関係や距離を無視したリージュの狼藉にけらけら笑うばかり。
「じゃあさっきと同じ123!」
またも卑怯な手段で下品に勝ちを狙いにいったリージュだが、またも右腕は一切動かせず、むしろクドウの時以上の堅牢なイメージが浮かんだ。
「ほい」
「グギャー!」
軽々と右手を叩き伏せられ、勢いで天井を仰ぎ見る。リージュは笑った。
「ちょっとリージュ、こんなところで怪我したら大変だし周りに迷惑かけちゃダメだよ」
「楽しいんだナツカワ。私、こういうことみんなとしたかったのかなぁ。他のみんなはこんなとこでこんなことしてたのに、したくてもできなかった」
笑いながらも目じりにうっすら涙を溜めるリージュの様子を見て、ナツカワはリージュの半生を勝手に想像し目頭を熱くした。当然異世界で戦争を経験している孤高の女戦士だとは思ってもみないが、過酷な環境故にバカな遊び一つもできず心の奥底に溜めこんでいたんだろうという予想はあながち間違いではなかった。訓練帰り、時折酒場で食事を済ますことのあったリージュだが、そこでバカ騒ぎする連中を馬鹿馬鹿しいと思いつつも常に目で追いかけていた。
「そうだナツカワもやるぞ!」
「はいはい、とりあえず声のボリューム下げな」
ナツカワの手と組んだところでリージュの記憶は途切れた。
続く
■簡易キャラ紹介
リージュ:酒そのものは嫌いじゃないが、尋常じゃないくらい弱い上に絡み上戸。しかもあんまり記憶が残らないため反省の機会が少ない。
ラール・タグチ:実は江戸川ハイスターズの中で一番腕相撲が強い。