発汗
さすがに続行不可能と判断したナツカワはリージュをリングから降ろし、倉庫の隅に連れていく。クドウとタグチに練習を続けるように言い、自分は氷と水が詰まった袋を持ってリージュの介抱する。
「格闘技経験者でもこれは耐えられないって子多いんだし、そんな泣くことないって」
「泣いてない!」
うずくまるリージュの胸に浮かぶ、鮮血が噴出さんばかりの内出血が痛々しい。リージュの受けた攻撃……逆水平チョップは戦場での生傷が絶えないリージュが受けてきたどんなものよりも強烈な痛みだった。決して死に至るようなものではないが身体が自然と拒絶する痛み。
「昨日のもだったけどあの蹴り、リージュも何かやってたんだろ?何も今日からプロレスデビューするんじゃないししっかり練習すれば大丈夫さ」
リングの上では練習に戻ったクドウとタグチが模擬戦を繰り広げている。クドウが振るう逆水平チョップをタグチは頬を歪めながらも笑顔で受け止め、ひるむことなく逆水平チョップをやりかえす。
(タグチ、私より小さいのに)
クドウの腕の振り方はさすがにリージュに放った時よりも手加減しているが、それでも小柄なタグチが真っ向から痛みに立ち向かう姿に、リージュは先ほどまでの自信を完全に折られていた。
「さっきのキックは凄かったから攻撃の方は満点。さすがにもうちょい急所を外すようにはしてほしいけど……受け身もすぐ覚えれると思うよ」
「なんで急所を外すんだ?」
「そりゃ週に何回も試合するのにそんなことしちゃみんな身体が持たないし」
「何回も?」
リージュの知る闘技場は金こそ軍人の数倍もらえるが、怪我は当然四肢の欠損もありうる。力だけですぐ金持ちになれると勘違いした哀れな連中とそれを肴に喜ぶ金持ちが集まる下品極まりない環境で、そもそも身体を労るという発想が存在しない。
改めて2人の動きをよく見てみれば、打撃はどれも急所を外れている。時折見せる投げ技もやられる側の受け身がしっかり取られており、ダメージが分散されている。その動きは破壊を目的としながら破壊をしないという矛盾を抱えながらも美の領域に踏み込んでいた。
「それがプロレスが変な勘違いされる理由でもあるし、プロレスラーがすごいって言われる理由でもあるんだけどね」
「……ナツカワ、プロレスってなんなんだ?」
「え、そうだね……勝った負けた、そんなものを超越したとこにあるものかな」
勝ち負けを超越ーーーその言葉は殺すか殺されるかの世界で生きていたリージュにすれば信じられないほど甘えたものだが、同時に感情を強烈に突き動かす何かが宿っているようにも感じた。
檄を飛ばすナツカワも、リング上で肉体をぶつけ合うクドウとタグチも、死地に向かう戦士や富と名誉に取り憑かれ底に堕ちた連中とも違う、星のような輝きをその目にたたえている。
「こんな真剣で楽しそうに殴り合う奴らなんて初めてだ」
「楽しんでるというか、バカなんだよ、あの子たちも私も。今でこそブームが来てるから地下アイドルならぬ地下レスラーも増えてるけど、根っからレスラー志望の奴はみんなそうだよ」
「これで金が稼げるのか」
「楽ではないよ?宣伝も設営もチケットも試合も片付けもぜーんぶ自分らでやらなきゃダメだし、今日本中で男子女子問わず団体ができてるからシェアの取り合い。そういうのも含めて教えていくからしっかり覚えなよ?」
胸の痛みが引いてきたリージュは軽く頷き立ち上がると、ナツカワの指示に従い簡単な雑用をこなしていく。時に本気でぶつかり合い、時に談笑を交えつつ筋肉を苛め抜く3人の姿を、横目に見ていたリージュは少し羨ましく思った。リージュはウインダム王国でも孤独だったが、好き好んでそうなった訳ではない。「魔法をろくに使えない落ちこぼれ」「剣に疎い野蛮な女」かつて投げかけられた心無い言葉は今もリージュの心に巣くい、気を抜くとすぐ顔を出す。
(魔法……3人とも使ってないよな。私と同じ不全なのかな)
まさかこれは自分の夢の世界で、だからろくに魔法が使えない3人がああも元気でいれるのだろうか。リージュは胸を軽く叩くが、刺すような痛みと息が止まる感覚はロマンの欠片もない現実であることを如実に表す。
「プロレス……」
3人の共通点はプロレス。自分と同じくらいの女たちが痛みに耐え、勝ち負けを越えた先に何を掴んでいるのか、リージュは嫉妬の奥に湧く興味に気づき始めていた。
「もう一回!」
「はい!」
威勢のいい声が響くリングの上では、腕に大きなミットをつけたナツカワがクドウのドロップキックを全身を使って受け止めていた。霧吹きのように散るナツカワの汗がその衝撃の凄まじさを表す。立ち上がるクドウも全身が水を浴びたように汗で濡れており、顔を振り上げるだけで汗が弧を描いて宙に舞う。リージュは初めて、人の汗を美しいと感じた。
続く
■簡易キャラ紹介
リージュ:差別の影響で傲慢な部分があるものの、根は寂しがり屋なので人と人との繋がりを心のどこかで求めている。
クドウ・カズミ:その長身から繰り出されるドロップキックはとても人気が高く、一部の熱狂的ファンはそれが出るだけでおひねりをリングに投げ入れるほど。