4話 ウェルテクシアの姫君
本日2話目です。
楽しんでいただけたら幸いです。
次の日、エイジは再び森を訪れると、アゾットを取り出し魔人化した。
「――焼結」
エイジは軽く準備運動した後、注意深く森を探索し始めた。昨夜の瘴気について探るためだ。
「さて、痕跡を辿りますか」
解析により、狼たちの痕跡を辿ったエイジは、荘園とは反対方向の森の中で、檻を見つけた。
「これは……。狼たちは、これに入れられて、ここまで運ばれたのか」
明らかに人為的な痕跡だった。加えて、エイジが檻を見つけた方角をずっと進んでいくと街に行き当たる。エイジは確信した。
「やっぱりあの狼たちをこの森に連れてきた誰かがいる」
それが誰で、どんな目的のための行動なのかは、エイジにはわからなかった。だが、瘴気が関わっている以上、犯人はアークを所持している、或いはその保管場所を知っている可能性が高い。
「つまり、犯人を捕まえて話を聞けば、アークの場所もおのずとわかるってことだな」
エイジが更に詳しく痕跡を探ろうとした時、どこからか喧騒が聞こえてきた。
「――――! ――――!」
「……なんだ?」
不思議に思ったエイジは、念のため気配を殺して、声のする方に近づいて行った。魔人の強化された視力は、状況を正確にエイジに伝えた。
倒れ伏した男たち、尻もちをついた少女、そして翡翠色に輝く細剣を少女に突きつける異形の男。エイジは男が持つ細剣に見覚えがあった。しかし、今はそれよりも、命を奪われそうになっている少女を助けることが先決だ。
エイジは全速力で駆けだした。
●
由緒正しきウェルテクシア大公家の令嬢、ベアトリクス・ウェルテクシアはその日ヴァリエンテ港に到着した。家から呼び出しの手紙が届いたため、通っている学園から領地に戻る途中であった。
ベアトリクスは白く輝く長髪と紫の瞳を持つ、美しい少女だった。学園の白いブレザーとスカートに身を包んだベアトリクスが港に降り立つと、街行く人々はみな呆けたように彼女の美しさに見惚れた。
それを鼻にかけた様子もなく、ベアトリクスは迎えに来た御者と五人の護衛に挨拶した。
「出迎えご苦労様です。あら? いつもの護衛の方々ではないのですね」
ベアトリクスは可愛らしく小首をかしげた。護衛の一人は答えた。
「ええ、彼らは別の要件で出払っておりまして。代わりに私たちが派遣された次第でございます。ベアトリクス様」
ベアトリクスは頷いた。
「そうなのですね。わかりました。道中、よろしくお願いします」
「お任せください」
ベアトリクスは馬車に乗り込んだ。ウェルテクシア領に最短で帰るためには、ヴァリエンテ領の山道を通る必要があった。
馬車に揺られながら、ベアトリクスは自分が呼び戻された理由を考えていた。
「それにしても、突然呼び戻されるなんて。何かあったのでしょうか」
ベアトリクスが長期休暇を終え、学園に戻ったのは一ヶ月前のことである。ベアトリクスは学園において品行方正かつ成績優秀な生徒であるため、必然的に、呼び戻された理由はウェルテクシア家の事情ということになる。
「後継者問題がまた蒸し返されたのでしょうか」
ベアトリクスはその優秀さから、ウェルテクシア家の後継者の座を勝ち取っていた。同年代の親族たちに圧倒的な力を見せつけたため、今更表立って話を蒸し返すような人間は――
「――アルブレヒト兄様くらいでしょうか」
アルブレヒト・ウェルテクシア。ベアトリクスの兄であり、後継者争いで最後まで競い続けたライバルでもあった。兄妹の実力は拮抗していたが、最終的には現当主の判断によりベアトリクスが後継者に決定した。
ベアトリクスは後継者が決定した時、血が滴るほどに拳を握り俯いていた兄の姿を思い出した。
「アルブレヒト兄様の動向も気になりますし、これもよい機会かもしれませんね」
馬車は森の中を進んでいく。普段なら小鳥のさえずりの一つも聞こえてきそうなものだが、森は異様なまでに静かだった。
「それにしても、静かな森ですね……」
馬車がガタンと揺れた後、停止した。ベアトリクスは御者に呼び掛けた。
「……? どうかしたのですか?」
御者は馬車の扉を開け、ベアトリクスに申し訳なさそうに言った。
「すいません、ベアトリクス様。馬車がぬかるみにはまったようです。すぐに動かしますので、一度降りていただけますでしょうか」
「ええ、構いませんよ」
ベアトリクスは快く応じ、馬車を降りようとした。御者がベアトリクスに手を差し伸べた。
「お手を」
「ありがとうございます」
ベアトリクスがその手を取ろうとした瞬間、その御者に手首を強く掴まれた。ベアトリクスは反射的に叫んだ。
「っ。 何をするのです!」
御者はベアトリクスの手首を掴んだまま、周りの護衛たちに向けて叫んだ。
「今だ! やれ!」
護衛の一人が腰に佩いていた長剣を抜き、ベアトリクスに斬りかかった。
「覚悟!」
ベアトリクスは自らの手首を掴んでいる御者の手を強引に振り払った。強者の血を取り入れ続けてきたウェルテクシア家の令嬢であるベアトリクスの腕力は、常人の男性よりも遥かに強かった。ベアトリクスに手を振り払われた御者の腕は、脱臼したようにだらんと垂れ下がっていた。
「ぐわぁっ! 腕が!」
そのままベアトリクスは襲い来る長剣を身をひねって躱し、長剣を振り下ろした護衛の腹部を殴った。
「ふッ!」
「グッ!?」
殴られた護衛は大きく吹き飛び、意識を失ったように倒れ伏した。そのままくるりと回転し、呻く御者に回し蹴りを放ち、昏倒させた。
その後、気絶した護衛が持っていた長剣を拾い上げたベアトリクスは、それを残った護衛たちに向けた。
「護衛の皆様、どういうおつもりですか?」
残された護衛たちは一斉に抜剣すると、ベアトリクスを取り囲んだ。
「何をしている! 相手は『最優の令嬢』だぞ! 油断せず、全員でかかれ!」
「答える気はないようですね」
鋼と鋼がぶつかり合う音がしばらく森に響いた。十数秒後には、立っているのはベアトリクスだけだった。呻く護衛の一人にベアトリクスは剣を突きつけ、問い詰めた。
「何故このようなことを? 誰に指示されたのです?」
「――何をやっているのだ」
渋い男性の声が聞こえた。ベアトリクスは直前まで全く気配を感じなかったことに驚いた。
「何者です!」
ベアトリクスの正面、少し離れた位置に立っていたのは、翡翠色の細剣を携えた異形の男だった。その全身は、騎士の鎧にも見える翡翠色の金属装甲に覆われていた。
「その姿。それに、その剣。なるほど、魔人ですか。ですがその魔剣はヴァリエンテ侯爵家に授けられたものではありませんね」
ベアトリクスは翡翠色の魔人に向けて、長剣を向けた。
「もう一度聞きましょう、何者ですか?」
翡翠色の魔人はその質問に答えることなく、細剣を構えた。
「死に逝く者に名乗る名はない。我が主のため、ここで死んでもらう」
「戯言を!」
二人は同時に動いた。しかし、その力の差は歴然だった。
「ッ! 速い!」
目にもとまらぬ速さで襲い来る細剣を、ベアトリクスは紙一重でいなし続けた。翡翠色の魔人は感心したように声を発した。
「ほう、生身ながら我が太刀筋についてくるか。やはり貴様にはここで死んでもらわねばならん」
その時、ベアトリクスが振るっていた長剣の刀身が砕けた。魔人の猛攻に耐え切れなかったのだ。武器を失ったベアトリクスに、翡翠色の魔人は細剣を突きつけた。そして、翡翠色の魔人は細剣を勢いよく突き出した。
「終わりだ」
ベアトリクスは、次の瞬間には自らが絶命していることを確信しながらも、魔人を睨みつけ毅然と立ち続けた。しかし。
「いいや、それはどうかな?」
直後、甲高い音とともに翡翠色の魔人の突き出した細剣が何者かによって弾かれた。翡翠色の魔人は予想外の出来事に、大きく後ろに飛び退った。
細剣を弾いたのは白い刀身の短剣。そして、その短剣を振るったのは、黒と白の装甲を持つ異形ーーエイジだった。
ベアトリクスは、突然割り込んできたエイジを驚愕の眼差しで見つめながら呟いた。
「二人目の、魔人?」
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