プロローグ 『深淵の獣と六英雄』
投稿初日のため、少し間を開けて3話投稿します。
楽しんでいただけたら幸いです。
「ああ、クソッ、痛いな……」
一人のローブ姿の青年が岩にもたれ掛かっていた。青年――エイジの身体は血まみれで、その命がもう長くないことは誰の目から見ても明らかだった。
血まみれなのはエイジだけではなかった。何人もの人間が、エイジの周りに倒れていた。年老いた者も、若い者もいた。しかし、皆等しくその命の輝きは失われていた。辛うじて息をしていたのはエイジだけだった。
そこは戦場だった。草木は焦げ落ち、地面は抉れ、美しい草原だった原型を一切とどめていなかった。そんな地獄絵図の中で、エイジは感極まったように呟いた。
「ついに、俺たち、やり遂げたんだな」
エイジの目の前には幾何学模様の入った、六つの金属製の箱が落ちていた。つい今しがた、エイジたちは命を賭して、それらの箱に強大なモンスターを切り刻んで封印したのだ。
封印したのは深淵の獣――突如地の底から現れ、瞬く間に地上に住む生き物を滅亡の淵まで追いやったモンスター。あまりに強大な力を持っていたため、討伐することは叶わず、やむを得ず封印せざるを得なかった。
エイジは、周りで倒れ伏した仲間の姿を見た。そして、残された時間を使って、一人一人に最後の別れの言葉をかけることにした。
「僧侶、実はお前が隠してた秘蔵の酒を飲んだの俺なんだ、悪かったな。戦士、お前との喧嘩は結局引き分けのままだったな。賢者、お前のクソ不味い料理をもう食べられないのは、少し残念だ。最後に勇者と聖女、お前たち、隠してたつもりだったんだろうけど付き合ってたのバレバレだったぞ」
一息でそこまで言い切ると、エイジは大きく咳込み、大量の血を吐いた。エイジは血を乱暴にぬぐった。その拍子にバランスを崩し、エイジは倒れこんだ。倒れこんだエイジの周りには、何本もの剣が転がっていた。長剣も、短剣も、曲刀も、大剣もあった。そのどれもが、エイジが作り上げた魔剣だった。
「魔剣たちも、よく保ってくれたな……」
魔剣――エイジが深淵の獣に対抗すべくこの世に生み出した魔法の剣の総称だ。優れた魔法使いだったが生まれつき体の弱かったエイジは、魔剣と融合することにより、強靭な異形の肉体と強力な異能を持つ魔人に変身することができた。しかし、その魔人化も今は完全に解けてしまっていた。
「まさか、俺が一番最後まで生き残るなんて、想像もしてなかったよ」
エイジは自嘲気味に笑いながら、ふと空を見た。深淵の獣が現れてからずっと空を覆っていた瘴気は、その封印とともに晴れていた。エイジの目に映ったのは満天の星空だった。
「みんなで、この景色を見たかったなあ。街のみんなは無事にこの景色を見れているかなあ」
エイジは、街に残してきた友人たちの顔を思い出した。みんなが当たり前に笑って暮らせる世界を取り戻すために、エイジたちは戦ってきた。そして、それは成された。
「これでみんな、平和に暮らせる」
安心したように目を閉じようとしたエイジだったが、ふと一抹の不安が頭をよぎった。
確かに、アークの封印は強力だ。百年や二百年では封印は解けないだろう。だがもし遠い未来、アークの封印が何らかの原因で解けてしまった時、解き放たれた深淵の獣に、果たして未来の人々は適切に対処できるだろうか。
もしも、エイジたちの戦いが風化し、その記録が歴史に埋もれてしまっていたら?
もしも、アークの使い方や、深淵の獣への対抗策が失伝してしまったら?
きっと未来の技術は進歩しているだろう。今では考えられないほどに発展しているだろう。だがもし、それでも対処できなかったら?
エイジたちが守りたかった人々、あるいはその子や孫たちが蹂躙され、なす術もなく滅んでしまったら?
深淵の獣の封印に命を懸けたエイジや、仲間たちの努力が水の泡になってしまう。
そう思ったエイジは、最後の力を振り絞って自らに魔法をかけ始めた。
「本質情報抽出、魂魄定義、円環への割り込み指定――」
エイジが自らに施しているのは、未完成の転生魔法だった。エイジは転生魔法を理論としては構築していたが、その検証実験における危険性や悪用された時のリスクを考え、研究を凍結していた。当然、術式の構築が失敗する可能性の方が高い。ましてや、矮小で脆弱な人間の魂など、術式が構築できたとしても一度の転生に耐えられるかどうかすら怪しい。だが、
「何もしないよりはマシ、かな。転生条件設定――『アークの封印が解除されそうになる、或いは深淵の獣が復活しそうになった時』」
エイジは近くに転がっていたアークにも手を伸ばし、自らの身体に施した魔法とリンクさせるように、術式を構築していく。そして、
「――術式構築完了」
エイジの一世一代の術式構築は成功した。それを確認すると同時、エイジの身体からは精魂尽き果てたように力が抜けていく。
「できれば、転生しない方が、いいんだけどな」
エイジは力の入らない右手を星空に伸ばそうとした。そして震える声で言った。
「もし、もしも。次があるなら、もっと長く生きたい、な」
それがこの時代のエイジが、意識をもって最後に発した言葉だった。
そして、戦場には静寂が訪れた。
●
「昔々、そのまた昔。地の底から突如現れた強大なモンスターにより、地上の生き物たちは滅亡の危機に立たされました。そのモンスターの名前は深淵の獣。深淵の獣が発する瘴気によって空は覆われ、水は腐り、木々は枯れ落ちてしまいました」
渋い、穏やかな男の声が語る。
「世界の危機に、世界中の勇士たちが集いました。法国の僧侶と聖女、王国の勇者と戦士、そして帝国からは賢者と魔人。彼らの呼びかけに応え、更に多くの英傑が集いました。彼らは一丸となって深淵の獣に挑み、そしてついに、深淵の獣を封印することに成功したのでした」
男は、胡坐をかいて絵本を持っていた。男が読んでいるページには、数多の英雄が大きなモンスターと戦っている様子が描かれていた。男は、悲しそうにページをめくる。
「しかし、その代償は大きいものでした。戦いに参加した英雄たちはみな、命を落としてしまったのです。残った人々の手によって彼らの亡骸は篤く葬られ、その偉業は未来永劫語り継がれることになったのでした」
男は絵本をぱたんと閉じた。そして胡坐をかいた足に座らせた小さな男の子に語りかけた。
「この絵本『深淵の獣と六英雄』はお父さんが子供のころからずっと大切にしてきた絵本なんだ。お前の名前は、六英雄の中でもお父さんが一番大好きな人からとったんだぞ、エイジ」
「まだ難しいと思うわ、アラン。エイジ、アランお父さんの話が眠たいなら、マリーお母さんとベッドに行きましょうか?」
エイジ、と呼ばれた小さな男の子――赤ん坊と言ってもいい、はしばらくぼんやりと絵本を見つめ、ぽかんと口を開けていた。やがて、何かが込み上げてきたのか、じわじわと顔をクシャクシャにした。そして、叫ぶ。
「ほんぎゃああああああ!! ほんぎゃああああああ、ほんぎゃああああああ!!」
それがこの時代のエイジが、意識をもって最初に発した言葉だった。
かつて世界を救った英雄の一人、魔人エイジ。
世界のことを思えば望まず、しかし、個人の未練としてはどこか望んでいた転生を果たしたと気付いた瞬間だった。
そして、かつての英雄譚は再び動き出す。
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