お転婆姫と雪の馬
何でも出来るお転婆姫は、馬に乗るのも得意でした。狩のシーズンがやってくると、仲良しの駿馬に股がって勇ましく弓を引くのです。
お城の馬には高貴な白馬もおりましたが、お転婆姫は見向きもしません。仲良しの駿馬は栗毛です。引き締まった体が躍動的な、とても大きな馬でした。
お転婆姫が乗るにはちょっと大き過ぎるですって?いいえ、全然そんなことはありませんよ。だってお転婆姫は、魔法がとっても上手なのですから。
ふわりと風の魔法を操り、大きな栗毛に乗るのです。鐙に足が届かなくても、魔法で乗るので鞍だって要りません。仲良しの栗毛とは、馬の言葉で話すので、手綱も無くて良いのです。
ある穏やかな春の日に、お転婆姫は遠乗りに出掛けたくなりました。王様のお許しなんかいただかなくって平気です。ひらりと栗毛に股がって、お城の高い高い城壁を軽々と飛び越してしまえば大丈夫。
お転婆姫はいそいそと、お城の厩に向かいます。勿論おサボりではございませんよ。キチンとお勉強もマナーレッスンも終わらせた後なのです。先生方に絶賛されて、今日もお転婆姫は大得意。
授業が終わって、お鼻の尖ったミス・マナーが大きな扉を閉めたとき、お転婆姫は窓に向かいます。どっしりとした大理石の手摺があるバルコニーに走り出て、軽々と壁に飛び移るのでした。
お天気が良いのでお空を見上げていた庭師の叔父さんは、ぎょっとして園芸鋏を取り落としてしまいました。
「またか!」
お弟子の若者は、うっかり薔薇の蕾をチョンと切ってしまいます。
「ああ、お妃様の大事な薔薇が」
でも、お弟子は処刑なんかされません。お城の皆はお転婆姫のせいだってことを、百も承知なんですから。
素敵な桃色のドレスをふわふわと揺らしながら、お転婆姫は銀色の繻子の靴でお城の壁をスルスルと降りて行きました。
魔法で飛ぶことだって出来ますよ。ですが、お転婆姫は壁登りが楽しくて仕方がないのです。
お城の壁の窪みには、時々雀が巣を作ったり、燕が宝物を隠していたり致しますからね。
残念ながらその日には、収穫はまるでありませんでした。
「そんな日だってあるんだわ」
お城の壁の隙間を覗いたお転婆姫は、気にも止めずにまたスルスルと降りて行きます。
やがて辿り着いた地面は、お城の裏庭でした。以前、お転婆姫が大魔法使いを助けた井戸の近くです。
今日は井戸には行かないで、そのまま厩に向かうのでした。
「やあ、来たね」
お転婆姫が厩に着くと、仲良しの栗毛が嬉しそうにご挨拶を致しました。他の人には解らない、馬の言葉でありました。
お転婆姫は駿馬に近寄ると、優しく頚を撫でました。
「あら?何かしら」
ふと横を観たお転婆姫は、厩の壁におかしな所を見つけます。
「ここだけ色が違うのね」
駿馬を離れたお転婆姫は、一ヶ所だけ色が変わった厩の板壁に顔を近づけてみました。他のところはつまらない茶色の板壁でしたのに、そこは素敵な銀蒼でした。
板と板との隙間には、霜のような物が生えておりました。
「おや、なんだろう」
栗毛の駿馬も、その壁については全く知らないようでした。
「さっきまで無かったんだけどなあ」
栗毛は色の変わった一ヶ所を眺めて、しきりに首を捻っております。
お転婆姫は、小さな可愛らしい手を開き、ペタンと壁を押してみました。すると、どうしたことでしょう。そこだけ銀蒼色に凍っていた壁は、音もなく向こう側へと開いて行くではありませんか。まるで魔法の扉です。
お転婆姫は迷うことなく、扉の向こうへ飛び込みました。栗毛の駿馬は繋がれたまま、呆れたように姫の小さな背中を見送るのでした。
銀蒼色の扉を通り抜けると、暖かな春の陽射しはすっかり消えて、一面の銀世界が広がっておりました。
「まあ、なんて綺麗なの」
お転婆姫は、ここまで見事な雪景色を目にしたことがありませんでした。野山を包む白銀の掛け布団は、冷たい冬の陽射しを浴びて、眩しく輝いておりました。
「でも、ちょっぴり眩しすぎるわね」
お転婆姫は目を細めて、雪に反射する光を避けました。凍った枝や、幹を覆う霜も、キラキラと虹色の光を振り撒いておりました。
しばらくは眩しそうに立ち尽くしていたお転婆姫でしたが、いつまでもそうしている訳ではありませんよ。何度かパチパチと眼をしばたたくと、魔法も使って眼をならし辺りの様子を見回しました。
何処までも続く雪の世界には、人の姿がありません。建物さえも見つかりませんでした。
「人は住んでいないのかしら」
お転婆姫は扉を閉めると、雪原に初めての足跡をつけました。お転婆姫の後ろには、銀蒼色の扉がついた氷の小屋がありました。建物は、お城の厩とは似ても似つきません。でも、帰りもこの扉は使えそうでした。
お転婆姫は恐れずに、ずんずん歩いて行きました。一足ごとに沈む足を楽しみながら、濡れたところは魔法で乾かしてしまいます。
「冬の小鳥もいないのね」
お転婆姫のお城には、冬しか来ない小鳥もいます。ところがこの雪景色には、動くものがありません。お転婆姫はつまらなそうに口を尖らせるのでした。
しばらく行くと、森でした。枝も葉もみんな凍った白い森です。静かで美しい風景ですが、やっぱり生き物の気配がありません。
「リスやウサギもいないのかしら」
お転婆姫はキョロキョロしながら、凍った森を進みます。空は雲ひとつなく晴れていて、冷たい風が吹き抜けました。枝々から下がる氷が風に揺れてふれ合うと、澄んだ音を立てるのでした。
「あら?何か動いたわ」
銀蒼に凍った木々の間から、白い毛の束が通ったように見えたのです。お転婆姫は、何かが動いた方へ行ってみることにしました。
木の根元を覆い尽くす雪の上を、お転婆姫は軽やかに走ります。木々の間を注意深く見ていると、チラチラと白い毛束が踊っていました。毛束は、白い塊に続いているようです。塊は、細長い首に繋がり、下の方には細い脚が見えました。
「馬だわ!」
お城の高貴な白馬よりずっと白く、銀にさえ見える馬でした。
お転婆姫は、夢中で駆け寄ります。だんだん全身が見えてきました。凍った森の木々を縫って、真っ白な馬は楽しそうに走り回っておりました。
蹄は氷のように透き通り、霜のような体からは、絶え間なく雪の欠片が舞い散っております。氷の蹄が蹴立てる雪と、馬のからだから舞い上がる雪は、混ざりあって渦巻きました。
太陽が、氷の蹄を虹色に輝かせ、馬の纏う小さな吹雪を7色に染め上げます。お転婆姫は、もうすっかり、雪のようなその馬の虜になってしまいました。
「待って!素敵なお馬さん!わたくしを乗せてちょうだいな!」
お転婆姫は、子供らしい甲高い声で叫びます。魔法を乗せた馬の言葉で、一生懸命お願いしました。
「お願いよ、雪のようなお馬さん!あなたに乗って走る雪の中は、きっと楽しいに違いないわ」
「氷のような蹄の美しいこと!ねえ、乗せてちょうだいな!」
「あなたのように麗しいお馬さんには、会ったことがないわ!あなたの背中に乗りたいわ」
「雪を降らせながら走れるなんて、とっても素敵ね!」
馬はしばらく聞こえないふりをしておりましたが、お転婆姫があまりにも熱心にお願いしてくるので、とうとう仕方なく立ち止まりました。
馬は、ほんのちょっぴり怯えているようにも見えました。
だって、お転婆姫は、虹色の雪を纏って風のように走る馬の隣を、やっぱりおんなじように飛ぶような速さで走ってついてくるのですもの。
「ほんとに変な人間だねえ」
「変なことないわ。あなたはとっても素敵ですもの。夢中になるのは当たり前よ」
お転婆姫は、何だか自慢そうに胸を張りました。
「そうかなあ」
「そうよ」
「何だかだんだんそんな気がしてきたよ」
「そうでしょう?さ、はやく乗せてちょうだい」
ついに諦めた雪の馬は、お転婆姫のイキイキと光る菫色の眼を見て言いました。
「いいよ。背中に乗りなよ。一緒に走ろうか」
「ありがとう!」
随分しつこくねだりましたが、お転婆姫はお礼だってきちんと言えますよ。
お転婆姫が雪の馬にひらりと飛び乗ると、馬は再び吹雪を巻き起こしながら疾風のように走り出しました。
お転婆姫は、得意の魔法で雪に形を付けました。渦巻く虹色の氷と雪が、小鳥や蝶や花びらに変わって行きます。
雪の馬も、お転婆姫の魔法を気に入ったようでした。輝く白い鬣を嬉しそうに振り立てて、真っ白な世界に楽しい色と形を届けて走るのでした。
虹色に輝く小鳥や花は雪原に広がり、また氷の森に踊ります。森を抜けると丘がありました。丘もすっかり雪模様です。動くものは、雪の馬に乗って駆け抜けるお転婆姫しかおりません。
「ここに生き物は、他にいないのかしら」
お転婆姫は聞いてみました。
「いないねえ」
雪の馬は答えます。
「何処かに雪や氷のお城はないの」
「みたことないよ」
雪景色の丘を越え、凍った河を跳び越えて、雪ばかりの平野を走ります。低木があちこちに生えていますが、やっぱり生き物はおりません。
平野を抜けるとまた森で、次第に登る坂道は、氷の山へと導きます。お転婆姫を乗せた雪の馬は、透明な蹄で銀の粉を削り出しながら、凍った山道を走ります。
氷の山には、霜や雪を被った茶色の苔が生えていました。
そんな枯れたような所にも、お転婆姫と雪の馬が虹色の吹雪を届けるのです。
やがて山道は降りに入り、狭い谷間が見えてきました。
お転婆姫が見渡すと、雪の谷間は深いばかりではありませんでした。雪のなかで咲く水仙や、青く透き通った不思議な花が雪を被りながらも花開いておりました。
「とっても綺麗ね」
お転婆姫が氷の谷川を覗いても、魚の影は見えません。やっぱり生き物はいないのでしょう。
静かで綺麗な谷間でしたが、お転婆姫は、生き物がいた方がもっと素敵じゃないかしら、と思いました。
凍った谷川を越えて、向こう岸の崖を登ると、氷の海が見えました。
「海を渡る?」
雪の馬が、期待を込めて聞いてきました。
「いいえ、疲れたから帰るわ」
「そうなの」
馬はがっかりしています。
「海の向こうには何があるの?」
「解らない。君みたいな魔法使いと一緒じゃないと渡れないんだ」
「あらそう?それなら今度渡りましょうよ」
「うん。そうしよう」
「そうしましょう」
馬は元気を取り戻し、蒼い扉のある小屋に向かって戻り始めました。お転婆姫は、雪の馬の背中に乗って、帰り道でも魔法を使います。馬の蹴立てる氷と雪に、今度は楽しげな音楽を乗せました。
来たときよりもあっという間に、帰りの道は過ぎました。霜にまみれた扉の前で、雪の馬の背中から降りたお転婆姫は、名残惜しそうに雪の馬を眺めます。雪の馬も、別れの時を悲しそうに雪を蹴立てておりました。
「またね」
お転婆姫が明るく言うと、雪の馬も
「またね」
と言いました。
遊び疲れたお転婆姫は、霜で覆われた銀蒼色の扉を開けて、栗毛の駿馬がいるお城の厩に帰って行きました。
お部屋に戻ったお転婆姫は、お昼寝パジャマに着替えさせて貰いながら、凍った海を思い出しておりました。
「海はとっても広いのかしら?細長のっぽのおじさんに、お弁当を頼みましょう」
細長のっぽのおじさんは、お城の料理長なのです。お転婆姫と仲良しで、いつだって美味しいおご馳走を用意してくれるのでした。
「お弁当は何がいいかしら?」
サンドイッチ、パンとリエット、ポテトサラダ、蒸し鶏とクネーデル。大好きなマグロフリットは、お弁当には向きません。大好きでなければ大丈夫ですが、お転婆姫は熱々が好きなのです。
色んな食べ物を想像しているうちに、お転婆姫の瞼は重くなりました。楽しい夢の世界では、きっとお腹一杯のマグロフリットを雪の馬と食べながら、氷の海を越えるのでしょう。
お転婆姫は、小さなお口であくびをひとつ。真っ白な枕には、大きめのフリルがついておりました。お転婆姫は、少し寂しいわね、と思いました。
(雪のお馬は、透き通った蒼いお目々をしていたわ)
午後の刺繍の時間には、蒼い水玉を枕に刺して見ようかしら、なんて思いながら、お転婆姫は夢の国へと旅立つのでした。
お読み下さりありがとうございます