仕方がないので結婚しましょう
「『アメリア・サザーランド侯爵令嬢!今この瞬間を以て貴様との婚約は破棄させてもらう!』」
宙を指差し、静かな部屋で婚約者相手にそう宣言するは、アメリア・サザーランド。
由緒正しきサザーランド侯爵家のご令嬢である。
「なんだそれ」
自身の名を呼び、高らかに婚約破棄を告げるアメリアに怪訝な視線を送るのは、エドワード。
金髪碧眼に整った顔立ちをした、この国の王太子である。
「巷で流行りの恋愛小説ですわ!『平民の主人公と王子様の身分差の恋』を描いた物語なんですけど、これはその物語終盤のシーンのセリフです。主人公を虐めていた王子の婚約者を、学園の卒業パーティーの場で王子やその側近たちが断罪するんです。で、婚約者は国外追放されるんです」
「たかだか学生のいじめくらいで国外追放とか、罪が重すぎないか?」
キラキラと目を輝かせ語る婚約者に、エドワードはど正論を突きつける。
そしてノリの悪い彼は、はしたないから取り敢えず座れ、と促す。
アメリアは不貞腐れた顔をして、大人しくソファに腰掛けた。
「まあ、そこは物語なので」
「そもそも王子は婚約者がいるのに、平民と恋仲になったのか?それ、浮気じゃないのか?」
「そこはまあ、物語なので」
「公衆の面前で婚約者を断罪するような阿呆が王子の国とか、絶対住みたくないな」
「そりゃあ現実的に考えたら、卒業パーティーをぶち壊してまでする事ではないですけれど、まあ物語なので」
正論しか言わないエドワードに、頬を膨らませながら『物語だから』と連呼するアメリア。
そんなアメリアを可愛いと思いつつも、エドワードは当然の疑問をぶつける。
「で、どうしてそんな話が出てきたんだ?」
自分とのお茶会の時間のために、新しいネタでも仕入れてきたのかと一瞬思った。
しかし、婚約者同士の逢瀬の場にはあまり相応しくない話題だ。
幾度となく、この手の話題を提供されてきたエドワードは、今回も同様の理由からきた話だとわかりつつも、一応確かめる。
「もしかして例のアレ?」
「そうです!私たちの婚約破棄もこれに則れば良いのではないかと!」
アメリアはずいっと前に出て、妙案でしょう?とにっこり笑う。
幾度目かの婚約破棄の提案に、エドワードは深いため息をついた。
「…俺に婚約者を公衆の面前で辱めるような愚かな王子になれと?」
そう言うエドワードの顔は、口角は上がっているが、目は笑っていない。
流石にそこまで落ちぶれたくはない、と彼は当然のごとく拒否する。
*
王太子エドワードと侯爵令嬢アメリアは幼い頃から婚約者として共に歩んできた。
それはもう戦友のように。
面倒なお茶会も二人揃えば楽しかった。
夜会で見世物のように踊らねばならないダンスも、互いが相手だと苦ではなかった。
時には互いの存在を利用し、言い寄ってくる異性を躱したりもした。
エドワードはアメリアを、花を愛でるように優しく、それはとても大切に接してきた。
アメリアはそんな彼を本当の兄のように慕った。
しかしアメリアは、まるで兄妹のように育ってきた幼馴染に対して恋愛感情を抱く事なく、二人は間も無く成人を迎えようとしている。
「殿下。私たちは間も無く成人を迎えます」
「そうだな」
「成人すればすぐに婚姻の話が進みます。もちろん、この婚姻は王侯貴族としての義務です。国のため民のため、我がサザーランド侯爵家と王家のつながりをより強固なものにする必要があります」
「そうだな」
「私は今まで別にそれで良いと思っていました」
「俺もそうだ」
「しかしです!此度私達は出会ってしまったのです!運命の相手に!このチャンスを逃すわけにはまいりませんわ!」
アメリアは突然立ち上がり拳を天へ突き上げる。
エドワードは意気揚々と宣言する婚約者に、元気だなぁと感心しながら紅茶を啜る。
そして何かに気づいたように、ハッとする。
「ん!?」
「ん?」
「この茶葉、美味いな」
「でしょう!?帝国の東部の名産なのだそうです!お父様が、最近ローズ商会で取り寄せたそうで」
「流石は茶狂いの侯爵だ。素晴らしい」
「宜しければ後で包みますわ」
「それは有難い」
「あ、宜しければこちらのフィナンシェも召し上がりませんか?この茶葉と良く合うのです!」
「そうか、では頂こう」
そう言って、2人は『茶狂いの侯爵オススメ』の紅茶とお菓子を味わい、優雅な時を過ごす。
暫しの静寂。先程までの忙しない雰囲気とは打って変わって、ゆったりとした貴族のティータイムらしい時間が流れる。
これこそエドワードが求めていた、婚約者との逢瀬。
しかし、その時間は何かを思い出したアメリアにより、アッサリ破られた。
「…って、違いますわ!そういう話をしていたのではありません!」
「チッ、ダメか」
エドワードの策略虚しく、アメリアは話を逸らされてくれない。
「婚約破棄だろ?俺は別に婚姻相手がアメリアでも問題ないぞ?」
エドワードは小さくため息をつきながら、現状維持を提案する。しかし、
「殿下!諦めてはいけません。お優しい殿下は今まで想い人ができても、相手のいない私を慮って一歩踏み出すことができませんでしたでしょう?」
「その想い人相手に、一歩踏み出したんだけどなぁ。かなり昔に」
「だから、その時は私に相手がいないから、残される私のことを憂いて、婚約破棄の話が進められなかったのでしょう?何の取り柄もない私は、婚約を破棄されてしまえば、ただの訳あり事故物件に成り下がってしまいますもの」
「自分のことを事故物件とか言うなよ」
いまいち会話が噛み合わない。
見目の良いエドワードは過去、多くの女性に言い寄られてきたが、別に特段誰かを好きになった事などない。
確かに美人を愛でる傾向にはあるが、それは男としての義務であり、エドワードにはそもそも婚約を破棄するつもりなどない。
彼はまた、小さくため息をつく。
そんな婚約者などお構い無しに、アメリアは話を続けた。
「しかし!私はこの度、恋をしました。初恋です。お互いに想い人ができたのですから、この機会に婚約破棄を進めるべきです!」
「初恋は叶わないらしいぞ」
「そんなものは無視です」
やる気のない態度のエドワードに、アメリアは口を尖らせる。
「…ミアは諦めるんですか?」
「別に、本当に欲しいなら愛妾として囲えば良い」
「まあ、それも無くはないですけど」
彼らの周りは政略結婚が多い。
子どもさえできたら、後は互いに外で恋愛するような冷めきった夫婦関係の家庭も多い。
「私はどうせなら、思い思われる幸せな結婚がしたいです」
そんな大人たちを見てきたアメリアは、物語にあるような、ドキドキのときめきが溢れる結婚を夢見つつも、どこか諦めていたのだ。
しかし、ひと月ほど前のこと。アメリアはお忍びで訪れた城下で出会ってしまった。運命の相手に。
「ローズ商会の息子か?」
「はい」
アメリアが一目惚れしたのは、輸入菓子や茶葉をメインに取り扱う商会の息子、ダグラス・ローズ。
歳はアメリアより10も上の優しく朗らかな好青年だ。
「あの歳で未婚なんて、訳ありじゃないのか?」
ジトッとした目で、エドワードは向かいの婚約者を見た。
「まあ、一目惚れするほどの容姿ではありませんし、人畜無害のいい人止まりタイプの男性なので、何だかんだと婚期を逃しているのかもしれません」
「…お前、好きなんだよな?」
想い人に対して、辛辣すぎる評価をするアメリア。
エドワードはその恋心を疑いたくなる。
「好きですよ?ただ現実を見ているだけです。それに結婚できないのは妹がまだ幼いというのもあるでしょう」
ローズ家には母親がいない。 数年前に儚くなったそうだ。
ダグラスの妹は、まだ10歳。
しっかり者と噂だが、それでもまだ子どもだ。母親代わりの兄がそばにいてやらねば、と彼は思っているらしい。
エドワードは「ふーん」と、その話を興味なさげに聞く。
「やる気出してください!殿下だってミアと結婚したいでしょ?」
「…できるもんならな」
エドワードは自嘲気味に答えた。
エドワードもまた、お忍びで訪れた城下で気になる少女を見つけたらしい。
その娘の名はミア。ダグラス・ローズの妹である。
そう、2人はローズ商会が経営するカフェでお忍びデートをし、そこでローズ兄妹と出会ったのだ。
「ミア、美しい子ですよね」
「…そうだな」
エドワードは、ローズ商会の紅茶を啜りながら考える。
何がどうなって、『彼女の中での自分の想い人』が10歳の小娘になってしまったのかと。
「しかし、いくら美しいからといえど、10歳の女の子に目をつけるなんて思いませんでしたわ。実は幼女趣味ですか?」
アメリアは疑惑の目を向ける。
「そこは青田買いと言ってくれ。美人を愛でるのに年齢は関係ない」
「物は言いようですね」
「大体、幼女と言うが、別に幼女ほど幼くはないだろう。まあ見てろ、アレはあと3年もすれば大輪を咲かせるぞ?」
エドワードはなぜか得意げに言う。
女を見る目には自信があるらしい。
そういう所がアメリアの誤解を招く原因でもあるのだが、男の性か、やめられない。
「あと3年してもまだ13ですけどね」
やはり幼女趣味か、とアメリアは目の前の婚約者を半眼で見た。
エドワードは態とらしく咳払いする。
「あのな、アメリア。何度も言うが本当違うからな?あの時だって数年後が楽しみだと言っただけだからな?」
「でも、ダグラスさんに『嫁にしたいか』と聞かれたとき、『そうだな』と答えていらっしゃいましたわ」
「そう答える雰囲気だったからだ」
幼女趣味ではないと一応念押しする。
真面目で快活で善良だが、思慮の浅いアメリアはいつ口を滑らせるかわからない。
王宮に『王太子幼女趣味疑惑』が広まるのも時間の問題だろう。
「まあ、兎に角!当たって砕けろですわ、殿下!」
「砕けたくはないなぁ」
「そこは言葉の綾というやつです」
砕けたくはないけれど、エドワードは一応婚約者としてアメリアの話に耳を傾ける。
「それで、婚約破棄宣言?」
「そうなんですけど、実際に参考としたいのはそこではなく、その前の段階です」
「前段階?」
「はい。私たちの目的は私たちの婚約を破棄し、新たに想い人と結ばれることです。しかし、王命であるこの婚約を破棄させるためにはそれ相応の理由が必要。なので、巷で話題の恋愛小説を参考に、私が嫉妬に狂ってミアに嫌がらせをしたとするのです。そうすれば、次期王妃としての資質がないとされ、婚約を破棄できるという流れです!」
完璧な計画だろうとでも言いたげに、胸を張って主張するアメリア。
しかし、エドワードの反応は微妙だ。
「それは無理だ。たとえお前との婚約を破棄できたとしても、俺にはまた別の令嬢をあてがわれるだけだ」
的確にアメリアの作戦の穴をつく。
流石に、次期王妃に平民の娘を据えるわけにはいかない。
「それに、してもいない嫌がらせなんてすぐにバレる 」
周囲は、アメリアが平民の小娘に嫌がらせをするような女ではない事も、そもそも嫉妬に狂うほどエドワードに恋情など抱いていない事も知っている。
この案を実行しても、すぐに全てを明らかにされてしまうのは目に見えている。
「…あと、そもそもだ。お前に冤罪をかけてまで欲しいと思うものなど、俺にはない」
「そこはお気になさらずとも」
「気にするさ。お前はダグラス・ローズが初恋かもしれんが、俺はお前が初恋だからな」
アメリアはキョトンとしてエドワードを見る。
エドワードのサファイアの瞳が、真剣な眼差しでアメリアを見つめる。
「…ダウト」
「…なぜ?」
「殿下は昔からわかりやすい美人が好きです」
「アメリアも綺麗だよ」
「それこそダウトです。私は生まれてこの方、こんな平均顔は見たことがないと言われ続けてきたほどの平均顔です。お父様にもお母様にも、平均すぎて印象が薄いと言われてきましたもの。殿下の好みじゃありませんわ」
「侯爵も奥方も容赦ないな」
事実ですから、とアメリアは紅茶を啜る。
事実を言われても別に傷つきはしないし、アメリアとて自分の顔の評価くらい自分でわかる。
毎日鏡を見て、その度に美しい婚約者と自分を比べては落ち込んでいるのだから。
「殿下は無駄に顔が良いのですから、そのような嘘は言わない方が身のためですよ」
「無駄とか言うなよ」
「殿下の顔で、女の子を期待させるような事を言おうものなら、勘違いからの修羅場コースまっしぐらです」
「中々勘違いしてくれん奴もいるがな」
「ミアってイケメンに耐性のあるタイプですか?」
アメリアの反応に、エドワードは深くため息をついた。
暖簾に腕押しとはまさにこの事。
「いっそ俺が王位継承権を放棄できたら良いのだけれど」
エドワードに王位継承権が無ければ、誰に求婚しても大きな問題にはならない。
何のしがらみもない状態になれば、きっと彼の思いもストレートに伝わる事だろう。
しかし、それをアメリアは強く否定した。
「それはなりませんわ!殿下は王になるべきお方です。王族でなくてはいけません」
エドワードは幼い頃から大変優秀で、将来は稀代の賢君になると臣下から期待されている王子だ。彼を失うことはこの国にとって不利益にしかならない。
また、エドワード自身も王族として並々ならぬ努力を積み重ねてきたことをいつも隣で見てきたアメリアは知っている。
「きっと殿下が治めるこの国はとても素敵な国になりますわ。私は殿下の治世の元、繁栄するこの国を見てみたいです」
「…アメリアがそう言うなら、俺は頑張らねばならんな。王族として」
そう言って、エドワードも微笑んだ。
大切にしてきたアメリアが幸せになれるよう、エドワードはこの国を守り、繁栄させていくことを誓う。
「では、私に他に好きな人ができたから婚約を解消したいとお父様にお願いするのはどうでしょう?」
いい感じに話が終わりかけていたのに、再び婚約破棄の話に戻され、エドワードは愕然とする。
「今日はやけに食い下がるな…。その話はまだ続くのか?」
「諦めたらそこで試合終了です」
そろそろ、流石のエドワードも面倒くさくなってきた。
「いや、本当に俺はこのまま結婚しても何の問題ないよ?というか、寧ろ俺はお前と結婚したい」
「そう仰って、過去何度も恋を諦めてこられたでしょう!?私は、殿下には幸せになって欲しいのです」
「俺だってアメリアには幸せになって欲しいし、幸せにするのは俺でありたいとも思う」
「だからこその婚約破棄です。お互いを幸せにできるのはお互いしかいませんわ」
「確かにそうだが、そういうことではない…」
エドワードは項垂れる。
もうここまでくると、どう言っても伝わる気がしない。
「あ、いっそミアを我が侯爵家の養子にするというのはどうでしょう?そうすれば、私と婚約破棄した後も、ミアと婚約を結べばサザーランド侯爵家と王家の絆も無事深まります!」
普段は阿呆のくせに、結構な妙案を出してきたのでエドワードは少し焦る。
この案はそれなりに現実味がある。
嫌な話だが、身分の違いから、この案はミアの意思関係なく強行突破できてしまう。
まあ、侯爵を説得できればの話だが。
「侯爵家にはアメリアという娘がいる。後継には君の兄、ローレンス殿もいる。わざわざ養子を取る理由などない」
「私はダグラスさんの元に嫁ぐのでいなくなります」
その言葉に、エドワードの眉がピクッと動いた。
他の男に嫁ぐという言葉に、思わず声が低くなる。
「仮にアメリアがダグラス・ローズの元に嫁ぎたいから、ミアを養子にしてくれと言っても、侯爵は認めない」
「なぜですか?」
「平民生まれの平民育ち。これから貴族女性として必要な教育を施す手間を考えても、アメリアを手放すわけがない」
アメリアは頭は弱いが、所作や立ち居振る舞いは完璧だ。
そしてそれは長年に及ぶ訓練の賜物。
「私が淑女になるための教育を受け始めたのは9つの時です。ミアはしっかり者ですし、成人するまでには立派な淑女となると思います」
「確かにそうかもしれないが、今からまた8年かけて、令嬢をひとり育てる手間をわざわざ取らないだろう。だいたい、ミアの気持ちはどうなる?ミアは貴族になることを選ぶか?」
ミアは兄思いの優しい子どもだ。
自分のために結婚もせずに養ってくれている兄を見捨て、ひとり貴族になるような選択はしないだろう。
皆が皆、貴族の暮らしをしたいと思っているわけじゃない。
アメリアはそこを失念している。エドワードはそう思った。しかし、
「現在、ローズ商会には借金があるそうです。ミアは家族思いです。ミアを養子にし、ローズ商会を経済的に支援するという契約を結べば可能ですよ?」
善良なアメリアから『ミアを金で買う』という案が出てきて、エドワードはギョッとする。
「…アメリア、それはミアを金で買うと言うことだぞ?」
「そうですよ?しかし、それによりローズ商会は救われますし、ミアは貴族になれます。貴族になれば今までとは違う裕福な暮らしができます。違いますか?」
少し、場の空気が張り詰める。
エドワードは努めて冷静に振る舞うが、その顔色はどんどん悪くなる。
「アメリア、自分が何を言っているのかわかっているのか?それは貴族という身分と金を利用して、平民のミアを無理やり従わせる行為だ」
貴族が自分の目的のためだけに、その身分差を利用し、金と権力で平民を買う。
その行為は善良なアメリアには似つかわしくない。
けれどエドワードはその行為に身に覚えがあった。
「わかっていますよ?ですが、ミアにとっては幸せなはずです。何故なら私がそうなのですから」
アメリアはその時、確かに花が綻ぶように笑った。
しかし、その目に感情が見えなかった。
*
エドワードが初めて恋をしたのは、9つの時だった。
相手は城に出入りする商会の子どもだった。
別に一目惚れだった訳ではない。
ただ数回も会話をすれば、その屈託のない笑顔に、彼女の纏う朗らかな空気に、癒され心惹かれた。
彼女を手に入れるため、エドワードはすぐに行動を起こした。
まず、サザーランド侯爵家へ養子に迎え入れて欲しい娘がいる事を提案する。その娘は自分が妃に望むと。
侯爵家にとって王族と縁つづきになる事は利益しかなく、エドワードの提案をすぐ受け入れた。
次に、エドワードは裏から手を回し、彼女の実家の商会に圧力をかけ、孤立させる。
最後に、サザーランド侯爵家に指示を出す。侯爵は商会を救う体で資金援助を申し入れ、代わりに『未来の王妃』を養子へと迎える。
そして、エドワードは王へと進言するのだ。
『妃に迎え入れたい娘がいる。侯爵家の娘だ』
と。
この間、わずか半年。
一部の貴族は、この件をきっかけにエドワードへ畏怖の感情を持つこととなった。
*
アメリアは貼り付けたような笑みを浮かべ、自身の出自を語り始める。
恐らくその話は、養子という点以外はエドワードが知らないはずの話だ。
エドワードは動揺が表に出ぬよう、努めて冷静に振る舞う。
「私はお金で侯爵家に買われた元平民です。困窮した我が家を救うため、侯爵が資金援助を申し出てくださり、その代わりとして私は侯爵家へと引き取られました」
「養子である事は知っている。だから婚約を破棄したがっていることも」
彼女が婚約を破棄したい理由が、そこではないことなどわかっているのに、嘘をついた。
もしかしたら、はじめはそうだったのかも知れないが、今は確実に違う。
「侯爵は、私の事をとても大切に育ててくださいました。貴族の娘として必要な教育を十分に受けさせてくださいました。適度な贅沢も与えてくださいました。実の親にも、たまに会う事を許してくださっています」
「…侯爵は温厚で優しい人格者だからな」
だからエドワードは、サザーランド侯爵家を選んだ。アメリアが傷つかないように。
「けれど、殿下。私はずっと不思議だったのです。何故、侯爵が資金援助の代わりに私を要求したのか。だって、侯爵家にはローレンスお兄様という跡取りがすでに存在していました。女児を求める理由がないのです」
「政治的な理由がなくとも侯爵はもうひとり、子どもが欲しかったのかもしれない。侯爵夫人は跡取りを産んだ後、子が産めなくなったと聞いたことがあるから」
だからエドワードは、侯爵家を選んだ。万が一にでもアメリアの下に娘ができてしまい、その娘を充てがわれては困るから。
なんとか平静を保ち、優しく穏やかに振る舞おうとするエドワード。
アメリアはふふっと微笑み、感情のない目をエドワードに向けた。
「実の両親は、今は幸せに暮らしていますし、侯爵家には大変感謝していました。侯爵家の方々から受けた愛情も、私は疑っていません。もしかしたらはじめは、何か利用価値があるから優しかっただけなのかもしれませんが、今はそれだけではない事も分かっています」
アメリアは目を閉じ、すうっと息を吸いこむ。
そして低く吐き出した。真っ直ぐに向かいの婚約者を見据えて。
「確証はありません。全ては巧妙に仕組まれ、その痕跡ひとつ残されていませんでした。故にこれは私の推測の域を出ません」
アメリアは何の事を指して話しているのか、主語を明確にしない。
故に、エドワードは何も反応を返せない。かと言って黙っている事もできない。
「なんの話か」と聞けば、アメリアの口から自身の悪行を説明されてしまう。
しかし何も言わなければ、それはアメリアが何の話をしているのか「理解している」と言っているも同然。
別に逃げ道がないわけではない。
証拠を残していないのだから、どうとでも言える。
だが、アメリアの視線が逃げることを許さない。
エドワードは恐る恐る口を開いた。
「…どこでまで知っている?」
「何も知りません。ただこの間、昔実家の商会に出入りしていた男性と出会いました」
エドワードはすぐに、ダグラス・ローズだと気づく。
「久しぶりに再会した男性が話してくれました。実家が困窮していた時期、何度かその場には似つかわしくない金髪碧眼の美しい少年を見たと。その少年とは知り合いだったのかと聞かれました」
「……アメリア、俺…」
エドワードは言い淀む。
アメリアがどこまで知っているのかわからない。おそらく詳しくは知らないだろう。
だが、エドワードが汚い手を使いアメリアを手に入れたことだけは、間違いなく知っている。
「ねえ、殿下。私は恐らく知ってはいけないことを知りました」
いつもは屈託のない純真無垢な笑みを見せるアメリアが、もの悲しげに微笑む。
「そう、か」
「けれど貴方への愛情はあります。貴方からの愛情も疑ってはいません。共に過ごした時間も、貴方が私にくださった優しさも、全て私の宝物です」
エドワードは、彼女が今日は何故ここまで食い下がるのか、ずっと不思議だった。
だが、ここまでの話で合点がいった。
アメリアは今日でこの関係も、ずっと続けてきた婚約破棄の話も終わりにしようとしているのだ。
「殿下、どういたしましょうか?」
アメリアはにっこりと笑う。
彼女の望みを叶えるのか、自分の望みを叶えるのか、選択権はエドワードにある。
それが身分というものだ。
「…ダメだ。婚約は破棄しない」
「殿下は私の幸せを願ってはくださらないのですか?私は幸せな結婚がしたいです」
「……婚約は、破棄しない」
「殿下のお相手に、私はやはり分不相応です。だから何度も婚約を破棄しようと申し上げてきました。私は殿下にも幸せになって欲しいのです」
「俺は!幸せになりたいから、お前と婚約した!」
エドワードは珍しく声を荒げた。
そう、幸せになりたいから婚約したのだ。無理矢理に。
アメリアは困ったように笑う。
「しかし、私は恐らく貴方に恋をする事はありません。一生」
それは、アメリアの望む『想い想われる結婚』が、二人の関係ではどうあがいても実現しないことを意味する。
別に彼女はエドワードを恨んでいるわけではない。
実の両親とは引き離されたが、会えなくなったわけではないし、侯爵家では沢山愛情を注いでもらった。
アメリアの人生は幸せだったし、エドワードとの関係も楽しいことの方が多かった。
長い婚約期間で育まれた彼への愛情も嘘ではないし、彼からの愛情も嘘ではない。
ただ、善良な彼女にとって、彼のとった手は卑劣極まりないもので、どうしても割り切ることができないのだ。それこそ一生。
「それでもダメだ」
「そうですか」
「俺たちの婚約は王命だ」
「そうですね」
「お前は従うしかない」
「そうですね、それが身分差というものです」
その言葉に、エドワードは胸が押しつぶされそうになった。
しかし、これは因果応報。自分で蒔いた種。
彼に傷つく権利などない。
当たり前だ。それだけの事をしたのだから。
エドワードは、今は想いが届かずとも、長く一緒にいればいつかは必ず想いが通じると思っていた。そして、彼女も自分に想いを返し、愛し愛される未来がいつかは来ると思っていた。
(…『いつか』なんて来ないのに)
エドワードはアメリアの前に立ち、そしてゆっくりと跪き、彼女の手を取る。
「アメリア・サザーランド侯爵令嬢。私、エドワード・ハインリヒ・エフェニアは貴女を妃に望みます。どうか、貴女を幸せにする権利を私にいただけないだろうか」
金髪碧眼の美しい王子様からの求婚。
女にとって、これ程嬉しいものはない。
しかしアメリアはまた、困ったように笑い、そして頷く。
「王命ですからね。仕方がありません、結婚しましょう」
エドワードは小さく、ありがとう、と呟いた。
***
エドワードは即位後すぐ、婚約できる年齢を15と定めた。
その他、本人の意思によらない婚約は異議申し立てをすれば破棄できる事などのルールを設けた。
この政策はまるで彼の贖罪のように、強引に推し進められたそうだ。
ハッピーエンドでもなければ、バッドエンドでもありません。
別に、誰かが不幸なわけでもないので。