オレ様はネコである。名前は3つほどある。
オレ様はネコである。名前は三つほどある。
ひとつは、ミケ。名前の通り、オレ様は三毛猫だ。体の模様が、白、黒、茶色の三色の毛で構成されているのは、言うまでもない。
もうひとつの名前は、ミミィ。オレ様が生まれたばかりのころ、そう、十数年前、お腹がすいて、ミィミィ鳴いていたら、そんな名前がついた。小学生の間で、オレ様はミミィと呼ばれているんだ。
そして、三つ目の名前は言うのも恥ずかしいのだが、チャーミーという。まるで、女みたいな名前だ。人間てのは、オスメスを考えずに名前をつけやがる。そもそも、三毛猫というのは、ほとんどがメスらしい。この柄と食べても太らない華奢な体つきのせいで、人間はオレ様をメスだと思っている。オレ様もオスの三毛猫にはまだ会ったことがない。
三つ持っているのは名前だけではない。家も三つ持っている。
一つ目は、オレ様をミケと呼んでいるばあさんの家。広い庭付きの一戸建て。庭にはいっぱい植木鉢が並んでいる。ばあさんはだいたい家にいるから、天気が悪い日にはここで過ごす。郊外とはいえ、都心に近いこの場所に、これだけ大きな庭があるのは、きっとお金持ちなんだろうとオレ様は思うのだが、ごはんは何故か猫まんまが多い。猫はみんな鰹節が大好きだと、ばあさんは思い込んでいるんだ。嫌いじゃないけどね。ばあさんはひとり暮らしだから、質素な生活をしているよ。米は一度炊いたら、二日はもつみたい。ごはんが余るから、猫まんまにするんだね、きっと。
ばあさんちには、時々息子が来るが、特にオレ様を可愛がるわけでもない。そもそも、オレ様は息子といっしょに暮したことはない。息子は大学の先生らしい。
五年前、じいさんが亡くなって、その一年後に、ばあさんは家のリフォームをしたんだ。じいさんが、生きていたころは、家の戸締りはほとんどしてなくて、オレ様は自由にこの家の出入りができた。玄関は引き戸で鍵がかかってないから、前足でひょいと簡単に開けることができたんだ。だけど、じいさんが死んで、ばあさんの一人暮らしは、不用心だってんで、しっかり閉まる玄関ドアに変えちまった。息子の入れ知恵さ。ショックだったよ。でも、別の場所にちゃんとオレ様専用の出入り口を作ってくれていたんだ。あんときゃうれしかったよ。だが、いまはもう使えないのさ。ばあさんが家にいるときにしか、オレ様はこの家には入れないんだ。
二つ目の家は神社だ。お社の縁の下がオレ様のねぐらになっている。オレ様はここで生まれた。兄弟が二、三匹いたと思う。みんな、飼い主が見つかって、もらわれていったよ。オレ様だけ残ったのにはわけがある。生まれてまもなく、オレ様はネズミに耳をかじられちまって、傷物だったんだ。マンガみたいな話だろう。でも、たいした傷じゃなかった。こうしてこの年まで元気に生きてるんだから。神社の神主さんと近所の小学生に面倒みてもらって、大人になったのさ。今でも神主さんは、キャットフードと猫のトイレはちゃんと用意してくれてるよ。当時、小学生だった子供らは、もう大人になっちまったけど、今でも近所の小学生が下校途中にオレ様をなでにきてくれるよ。ここは、他のネコたちもいっしょに暮しているから、シェアハウスってやつだ。
三つ目の家は女子大生が住んでいる家。昔は、年老いたおばあさんが一人で住んでいた。小さいボロ家で風呂もない。昔、よく遊びにきていた女の子が、数年前、きれいなお姉さんになって引っ越してきた。孫だったんだな。
チャーミーという名前は、姉ちゃんが小さいころに付けた名前だ。入れ替わりに、おばあさんは、介護施設に入ったらしい。姉ちゃんはオレ様のことを覚えてくれていて、結構うまいキャットフードを用意してくれている。缶詰だけど、開けた途端作りたての香りが広がり、それはそれは高級な味がするのだ。しっとりとしていて旨い。ちょっとだけ温めてくれたら最高なのにといつも思う。
姉ちゃんは土日が休みらしいので、オレ様はおもに、土日にこの家を利用する。オレ様が何で曜日がわかるかって? それは、街を歩いてりゃわかるのさ。空き缶のごみの日を人間は土曜日と呼んでいるんだ。空き缶を自転車いっぱい積んで走る日さ。
姉ちゃんはもうすぐ大学を卒業するらしい。荷物をまとめているのが気になる。
オレ様には仲間がたくさんいた。特に親しかったのはトラだ。彼とは幼なじみであり、ライバルだった。喧嘩もよくした。
あのころは、楽しかったな。トラとはよくメスのとりあいをしたもんだ。オレ様もトラも若かった。何匹のメスと付き合ったかで競ったんだ。その結果、妊娠するメスが続発した。人間たちはあわてたよ。そして、トラは人間につかまって、病院に連れて行かれた。
トラが急におネエになったのはその後からだ。うわさによると、タマを取られたらしい。
最近は、発情するメスもすっかり見なくなった。昔は、春になると、そこいらじゅうで、「おぎゃあぁあ」とか「うおぉおん」とか、オスを誘ってくる声が聞こえたものだ。
それを聞くと、オスたちも興奮してきて、夜の町にメスを探しに繰り出したのだ。
耳が少し切れているネコを見たことあるかい。あれは、避妊手術が終わっているしるしなんだ。手術すると発情しなくなるらしく、すっかりおとなしくなっちまう。あいつらは、オスに興味がないから、デートに誘っても付いてきてくれない。
四年前、ミケのばあさん――オレ様をミケとよぶばあさんのこと――が家をリフォームしたとき、オレ様は自分専用の入り口ができたことがうれしくて、友達を招待したんだ。そのとき、オレ様は何匹ものメスに声をかけた。来てくれたのは、まだ手術が終わってないやつだけだったよ。そのときは、ばあさんが留守だったんで、パーティーは楽しくおひらきとなったのだが、その入り口を使っていいのはどうやら、オレ様だけだったらしい。その後、友達連中が勝手に入って遊んでいるところをばあさんに見つかっちゃって。それで、入口はふさがれてしまったってわけ。
ネコの世界も人間といっしょで高齢化がすすんでいると感じるよ。
今じゃあ、赤ん坊が生まれたなんて話も聞かなくなった。若い連中も見つかったら、すぐ病院に連れて行かれちまって。みんな、ふぬけになってやがる。オレ様はなんとか、いままで、捕まらずにすんだのは、この耳のおかげだと思う。パッと見、手術が済んでいるように見えるからね。
野良のクロがいっていたんだけど、あるときから公園のトイレが、ことごとく使えなくなったらしい。夜になるとシートがかぶせられたり、うるさい音の出る機械が設置されているのだ。昼間は使えるらしいのだが、たいていは、人間の子供が砂遊びをしていて、人間嫌いのクロは近づけなかった。トイレで遊ぶなんて、人間てのは変な動物だよ。公園のトイレは砂がかけやすくていいと評判だったのに。残念だって、クロはぐちってた。
クロは真っ黒なネコだった。人間は黒いネコを魔女かなんかと勘違いしているんだ。人間がクロを嫌うから、クロは人間を避けるようになった。人間の与えてくれる食べ物も食べたくないといった。そうして、クロはネコなのに一匹オオカミになった。
あのうるさい音が出る機械はやっかいだ。近づくと急に鳴りはじめるんだ。頭が割れそうなぐらい高い音で。おっかないよ。いままで通っていた道に、ある日突然設置されるんだ。おかげで、通れない道が多くなったこと。不思議なことに、人間の大人は、あの音が聞こえないらしい。あの道は、保育園に行く親子がよく通っているけど、あの子供いつかきっと発狂するよ。すごく嫌がってるもの。
最近、ミケのばあさんがよく病院へ行くようになった。息子も頻繁に来る。どうやら、病をかかえているらしい。
息子は、自分の家に来るように、すすめているようだ。ばあさんは、電話口で「ミケがいるし」と言っている。ちょっとうれしかった。でも、オレ様のことなんか気にしなくていいのに。オレ様は他にいくらでもいくところがある。いまさら、ばあさんとともに他の地区に行って、うまくやっていける自信もない。ネコには縄張りってもんがあるんだ。それに、家ネコにでもされたら、たまったもんじゃない。家ネコは、一生を室内で暮らすんだぜ。オレ様は生まれたときから、地域の人たちに飼われてる「地域ネコ」ってやつだったが、元家ネコのモカが言っていたよ。もう、あの生活には戻りたくないってな。モカは、焦げ茶色のオスで、ナントカいう立派な血筋を引き継いでいたらしい。でも、そんなこと一切鼻にかけずオレ様を慕ってくれたよ。モカは家ネコ時代、結構裕福な生活をしていた。冷暖房完備で三食昼寝付。食事は時間になったら、機械から自動で出てくるのだ。何不自由ない暮らしに見えるが、モカには友達がいなかった。一日のほとんどを、ひとりぼっちで過ごしていた。飼い主のOLは仕事が忙しく出張もよくあるので、二、三日帰ってこないときもある。モカは、テレビで見た地域ネコの生活に憧れて、家を出た。飼い主が玄関を開けたすきに飛び出したのだ。外の生活を少し見たら、戻ろうと思っていたらしい。
だが、モカはオレ様と出会ってしまった。車にひかれそうになっていたモカをオレ様は助けた。モカはオレ様を兄貴と呼ぶようになり、オレ様もモカを子分にしてやった。
モカは体にマイクロチップが入っているといっていた。そこには、モカの情報が入っている。GPS機能で居場所もすぐにわかってしまう。見つかればすぐに飼い主のもとに戻されてしまう運命だ。だから、オレ様は精一杯モカをもてなした。エサ場を案内し、寝床も与えた。いっしょに遊び、季節の植物との戯れ方や危険な場所、近道なども教えた。
しかし、一年たっても、飼い主はモカを迎えに来なかった。そのうち、モカも飼い主のことを忘れた。飼い主のOLが海外赴任で何年も日本を留守にしていたことがわかったのは、モカが死んだあとだったよ。モカを逃がしたのは、わざとじゃないかって、疑ったね。
オレ様は、季節を感じて生きたい。自由な生活がしたい。残りの人生、家に閉じ込められて暮すなんでまっぴらごめんだ。
ある日、ばあさんちに息子が来た。いつものとおり、物陰に隠れながら、様子をうかがう。
「ミケ、おいで」
めずらしく、息子がいった。どういう風の吹き回しだろう。可愛がるどころか、眼中にもなかったオレ様に、猫なで声だ。息子がだんだん近づいてくる。オレ様は思いがけない出来事に緊張し、固まった。息子はオレ様を、するっと抱き上げた。
「あれ、こいつオスだな」
「そうかい? 気にしたことなかったよ」ばあさんは言った。
それから何日か後だった。ばあさんの息子がとってもおいしいものを食べさせてくれた。チュルチュルとそいつを吸うともっともっと欲しくなる。オレは息子に会うのが楽しみになっていった。
今日、ばあさんの息子が、とってもいいにおいのする木の棒をオレ様にプレゼントした。
その棒は何の変哲もない木の棒なのに、目の前に置かれた瞬間、とてつもなくわくわくしてきた。とにかくにおいがなんともいえない。興奮する。頭はぼうっとしているのに、気分はめちゃくちゃ楽しい。人間が使っている危険ドラッグとはたぶんこれだろうと想像した。オレ様は、一心不乱にその棒を転がしたり、かじったりして散々遊んだ。年甲斐もなく、暴れまわって、疲れて眠くなった。まるで、酒でも飲んだかのように、ほわんとして気持ちいい。酒は飲んだことないが、ビールを間違ってなめたことはあったな……。
ビールを飲んで酔っ払い、水瓶に落ちて死んだ伝説の猫の言い伝えを思い出していた。深い深い海の底に沈んでいくような感覚を覚えた。天国のトラとクロとモカが呼んでいるような気がする。このまま眠ってしまえば、もしかして……。いや、死ぬときはひっそりとひとりで死ぬのがネコというものだ。そのための場所も探してある。それに、何かやりのこしたことがあるような気がする。遠のく意識の中で思った。オレ様はまだ死にたくない――。これが、自然の摂理? 冗談じゃない……。
「またたびがこんなに効くとはね。買っておいてよかったよ」息子の声がした。
気が付くとオレ様はキャリーケースに入れられていた。鍵がしっかりかかっている。
ああ、やられた。息子だ。また、息子にしてやられた。あのとき、オレ様がまだ手術をしていないオスだと気付いたに違いない。病院に連れて行く気だろう。オレ様はもう年寄りだ。タマなんかもう役に立ってないよ。オレ様みたいな老いぼれ相手にしてくれるメスいねぇよ。だから、ここから出してくれよ。 ――もしかして、息子の家に連れて行く気か? ばあさんといっしょに? オレ様はどこにも行きたくない。この町で最期を迎えると決めてるんだ。この町にはオレ様の思い出がいっぱいつまっているんだ。どこにも行きたくない。出してくれよぅ。
延々と訴えたが、人間はネコの言葉を理解しない。人間は賢いのか、馬鹿なのか。オレ様は、叫ぶのをあきらめた。頭が痛い。
息子がいった。
「母さん、この猫は三万匹に一匹というめずらしい猫なんだ。三毛猫のオスというのはめったにおめにかかれない。大学の友人が研究したいと言っているので、ちょっと預からしてくれないかい。絶対に大事にするから」
オレ様はぼんやりした頭で、ばあさんちの庭の植木鉢の後ろに隠しておいたネズミのことを考えていた。