囮
ヨワネは女と逃げながら時々後ろを振り返った。
「後ろが気になりますか?」
彼女は、ヨワネにさりげなくたずねた。
「いや、んなこた無いぞ。兵士がつけてこないか用心しておるだけじゃ。」
ヨワネは目を見開き、ほほを引きつらせながら、答える。
兵士たちの近くの草むらに来た時、
「何か物音がしないか?」
一人の兵士が剣を突き出しながら近づいでくる。
「ピーヒョロロン。」
女が、甲高い口笛を吹いた。
「トンビだろう。ほら、遅れるぞ。」
別の兵士が山道から呼び戻した。
二人はなんとか、国境に続く山へと入った。
「ここまでくれば、後はわかる。」
ヨワネは、斜面を這うように進み、洞穴の前で止まった。
「この中をまっすぐ抜ければ近道じゃ。あとは一人で行ける。」
ヨワネは洞穴のなかを覗き込んだ瞬間、意識を失った。
気が付くと、彼は後ろ手に縛られ、杭につながれていた。
「お前は、おとりだ。へたな猿芝居だったぞ。笑いをこらえるのが大変だった。」
女は、数人の兵士と共に彼の前に立っていた。
「おのれ、だましたな。」
「お互いさまだ。わしはニロク。われらは皇帝の忠実なる密偵だ。さて、やつは仲間を見殺しにすることはできないはず。きっと我らの後をつけてきている。間もなく日が沈む。おそらく夕闇に紛れてやってくるに違いない。われらも隠れて待ち伏せじゃ。」
日が山陰に沈むと、辺りは薄暗くなった。
「気を抜くな。」
兵士は、草陰からじっとつながれているヨワネを見つめる。
さらに時が経つと、辺りが真っ暗になった。
「おかしい、待ち伏せはやめだ。」
しびれをきらせたニロクが立ち上がった瞬間だった。
「あばよ。」
といって、ヨワネは、兵士達を挑発するように尻を叩くと洞穴へとするりと潜り込んだ。彼は縄抜けができた。それは、逆に縛られたふりもできるということだった。
「しまった。逃がすな、やつに続け。」
あわてた兵士たちは、かれを追って、ニロクが止めるのも聞かずに洞穴の中へと入っていった。
洞穴の中は人ひとりがやっと通れる一本道だった。しばらく進むと、かれらは奥にある広い空間に出た。その瞬間、
「何者だ。」
数人の屈強な男たちが、剣を片手に彼らを取り囲む。
「ここをエトリア国境警備軍の野営地と知っての奇襲か?」
命からがら逃げ戻ってきた兵士がニロクに状況を報告する。
「愚か者めが。」
彼女はそう吐き捨てると、山道をさっさと下って行った。
洞穴の壁に張り付くように隠れていたヨワネは、さわぎがおさまるのを待って、入ってきたロウム側の口からゆっくりとあたりを見回しながら出てきた。そして、山の中へと消えた。